欠損バーへの切符(その2)

小笠原諸島Bonin islandsは前線が通過しつつある。
今日1日は朝は雨の後曇りとなるようだ。
最高気温は26℃になる模様。

近々に予定されている文化祭のような何かで、落語のようなものをする予定は全く準備していなかったと言うリアリティーのある夢を見て起きた。
段取りを立てて物事を進めると言うことが全くできないのは昔からだ。

それで6時に目が覚める。
社用の携帯には、特段何の連絡も入ってきていないようだ。
これをのがしたら重大情報を聞き逃したりなど、えらいことになる。

YouTubeのライブニュースでは「スマホ首」と言うことで、ストレートネックについて報じている。
ストレートネックと言えば、乃公おれ自身も、3月に盛岡に旅行するときになって、八柱の整形外科に駆け込んだ記憶がある。

さて、今日もまたおがさわら丸のチケットの受け取りということで、午前中の半休を申請している。
だから、出発が遅いとは言っても、久しぶりに製氷海岸まで朝の散歩ができそうだ。

何しろ、昨日久しぶりにInstagramににしこくんをアップしたが、それ自体が6日ぶりだったのだ。
プランクを覚えてからと言うもの、そちらのほうに意識がいってしまって、散歩の方がおろそかになっている。

今日は、せっかくなので、製氷海岸とは言わず、赤灯台の方まで行ってみようか。
市街地の中で1番遠いと言ったら、なんといっても赤灯台であろう。

それで、奥村の方まで行くわけだが、運動場の辺の船だまりはレジャーで使うような小さなボートが多い。

そして、奥村の奥の方まで行くと、ガソリンスタンドや売店があり、そのまた先に漁船が何隻も連なっている。

赤灯台に行く道は、岩手のひょっこりひょうたん島のような細い道なのかと思っていたら、意外とそうでもなく、漁師の軽トラックが行き来できる程度には太い道であった。

どうせここまできたなら、プランクをやってしまうことにしよう。
と言うことで、20秒3セットやる。
いつもながら、かなりきつい。

後は戻るだけ。
それにしたって、小笠原諸島Bonin islandsと言うところは、カエルさんのご遺体がいたるところに落ちている。

結局、帰宅したのは9時近くになってからだった。
さっさと二見港に行くことにしよう。
その前に、朝食のヨーグルトを食べることにしよう。

そして、出勤する準備までして社宅いえを出る。
相変わらず日差しが激しい。

社用携帯に何やらワン切りが入っていたと思ったら前任者で、昨日の健康診断などに関する質問事項に答えてくれた。

そして二見港に到着。
チケット・・・というか搭乗券引換書はあっさりとゲット。
これでいよいよ欠損バーのはんぺんちゃんの誕生日に行く準備はできた。
なにしろ乃公おれが8月19日(土)から8月20日(日)に移動させたのだ。

このまま職場に行ってしまってもいいのだが、どうせなら五六助弁当で昼食にしたい。
だからその間、屋根のあるベンチで回顧録を付けている。

引き続き2016年4月の回顧録をつけているが、この時に熊本地震があったのだ。
それより、ずいぶんと酷い差別的な暴言を吐いていたものだ。クソオス丸出しだ。恥ずかしいことこの上ない。

結局、回顧録はパソコンの電源が切れそうだったので青梅鉄道公園のところで終わり。
これでも11時になってないので、この先何をすればいいのやら、だ。

弁当は12時以降に食べたいところ。
そうすると、11時半に弁当屋に行って作ってもらうのは少し早いような気がする。
ということで「日記逍遥 昭和を行く」(山本一生)をiPadで読んでいることにする。
ちょうど、古川ロッパが戦争や空襲をどのように捉えたかというところに入っている。
しかし「新しい戦前」なんて言われている昨今であるが、一体戦争でも始まったらどんなことになるのだろうか。
国民の3割だかが餓死するなんてことまで言われている。

さて、11時40分を過ぎたのでもういいだろう。
そろそろ弁当屋に行こう。

ここに来るのは2回目だが、またメンチカツ弁当を頼む。
ここは土方御用達の店だけに盛りが多い。
店によれば「ヤマトが送料を値上げしたのでごはんの量をへらします」ということだが、減らしてもなおこの量というのは凄い。
店の前で二等兵23−4と会った。奴の勤務は午後からだっけ?

さて、午後からは職場に行くことにしましょう。
ということで、炎天下の裏通りを通って職場へ向かう。

ここまでの決死出演は3名(累計13名)。

 

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