南西諸島縦断の船旅

本土ではまた前線通過の気配。
梅雨はいつになったら明けるのか….

一方、こちらは前線帯を抜けて東シナ海を南へと航行している。

目が覚めたは4時過ぎだった。
まだ外は暗い。

4時50分、名瀬港到着。
暗い内から荷役作業をしている。

フォークリフトが忙しく動いている。最近のフェリーでこのような生活感のある情景というのはなかなかお目に掛かることができない。

途中寄港地の中では名瀬は最も規模の大きい町となる。そのためか、停泊時間を1時間と最も長く取っている。
その間にすっかり夜が明けた。
決死モデル:チームTアンヌ

5時50分、船は再び南へと向かう。
しかし船内でやることがない。ブログ付けようにも電波の状態は良ろしくない。おそらくは限られた帯域を乗船客全員で取り合っている状態なのだろう。
オフラインでできることと言えば、そのブログの下準備ぐらいかな。。。

次は9時10分、徳之島の亀徳港に到着。
徳之島と言えば有名なのは長寿ギネスに載った泉重千代さん。ただし、Wikipediaによれば「専門家の間では泉の120歳という年齢はほぼ否定されており、105歳が通説となっている」のだといい、ギネス記録も取り消されたのだという。
また、徳田虎雄が大志を抱いて大阪に出たのがこの亀徳港である。自伝漫画「明日はいい日だ」には感動したものである。

亀徳港は30分だけの停泊で、次の沖永良部島・和泊港には11時30分の到着。

いよいよこの沖永良部島が鹿児島県の最後となる。ついに果ての果てまで来た感があり「(日本離れした)南の島」の情緒を醸し出している。
決死モデル:チームWB小津麗

そして昼食は沖永良部を出てから。メニューはコロナ期のためかカレーライスだけであるという。そして夕食は魚のフライ定食だけという。
そのような訳で、供食設備はフェリーによくあるニチレイの冷凍食品の自販機があるわけでもなく貧弱。

ちなみに、展望浴場があるわけでもなく、シャワーがあるだけ。それに加えて石鹸などを忘れてしまったので、お湯で体を流すだけになってしまった。
まあ・・・ これで那覇まで持たせるか。

沖永良部を出ると、次は沖縄県入りすることになり、最初の停泊地は与論島で13時40分の到着となる。
決死モデル:チームPメイ

相変わらずやることなんてない。
ただ、みんなネットに飽きて昼寝でもしているのか、はたまた鹿児島からの客があらかた降りてしまい船内がガラガラになったのか、ネットが使いやすくなっている。
とはいえあくまで「比較的」という話。

そうこうしていると、長い島影が見えてくる。いよいよ沖縄本島なのだ。低くなだらかな島影に一面の緑。あれこそがやんばるの自然であろう。

そして本部港に到着。これまでで最も多くの客が下りたのではないかというほど沢山の客が下りた。何かあるんだろうか?
そしてあとは、沖縄本島の西海岸の町々を見ながら進んでいく。どんどん建物が増えていく。

そしてマンションが増えてくる。いよいよ那覇に近づいてくる。

沖縄県は製造業の生産が全国で最下位であるという(ゴルゴ13によれば)。
その乏しい製造業のサイロが並んでいる。
これが沖縄県最大の商業港・那覇港の一面でもある。
決死モデル:チームPペギー

19時、ほぼ定刻に那覇港に到着し、25時間の船旅が終わる。
今日の宿はコザの前回泊ったAサインのお宿。

そのコザへ行く77番の最終バスは21時台だったはず。
その間に沖縄名物ステーキでも食べますかね・・・

ちょうど、バスターミナルに行く途中にステーキハウスがあるのである。
そう思って行ってみると、かなりの行列ができている。密も密である。ステーキハウスクラスタでもできるんとちゃうか。

まあしゃあないのでさっさと77番のバスでコザへ行くことにしましょう。
と思ってバスターミナルで決死してると、19時30分のバスがあるという。
決死モデル:チームP芳香ちゃん

で、今は何分?と思ったらその19時30分ではないか!

急いで5番の乗り場へ行ったらどうにかその77番の名護行きにギリギリ乗ることができた。
最初はガラガラだったバスが、浦添や普天間のあたりでだんだん客が増えてきた。
それも若い女の子ばかり。

なんで風呂に入ってない時に限って若い女の子ばかり周囲に座るんだ? こんな時間にコザとか名護方面に何かあるのか? 例えばジャニーズのコンサートとか。

コザの中の町でどうにか降りる。
夜のコザを原チャが何台も通って行く。
つまり、男は原チャに乗り、女はバスに乗る、とそういうことではないだろうか。

そんなこんなで夜はそのホテルのAサインのステーキ。

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