第345回水泳 ~みんな仲良かった頃~

体重の推移は以下の如し。

徹夜案件が終わり、案の定と言えば案の定体重は減り-2.9kg(前回比-0.9kg)。10回平均では-1.9kg(前回比+0.1kg)。
増加したのは、前回減りすぎた時より減っていないからであろう。

しかし-3.0kgに一度到達した時の勢いがない。回り道をしているような感じである。

さて、昨日の欠損バーではミレニアム頃のネット上のdevotee情勢を知っている人が来ており、あもりちゃんに言わせれば「ディープ過ぎてついていけない」と言わしめる状態であったが、そこは大人で分かりにくい話はせず「何がdevoteeになるきっかけだったか」の様な、比較的当たり障りのない話題に終始した・・・と思う。
いっそ、オフ会でも設けてあの頃を偲んでみたいような気もする。「私的devotee史」では重要な時期となる。

それはそうと、今日のプールは北区の元気プラザに再び行くことにしたい。あそこの流水プールは捨てがたい。
ということで、赤羽で降りて長々歩くことに。
決死モデル:チームR園田

・・・で、またあの頃の話に戻るんだけど、何回も述べているような気がするが、初めて掲示板に書き込む誰もが「自分以外にもこんな嗜好を持っているとは知らなかった。思いを語ることができて嬉しい」と言っていた。
それで、毎日盛り上がっていた気がする。昨日の欠損バーでも話題になったが、我々devoteeの他に、wanabeeという「自分から手足を切断したい」という人もいた。(MOON BASE)
たしか、どこかの主婦の方だと思ったけど、ロングスカートで片足を折りたたんだ状態で縛って、傍目には隻脚に見える状態で外出された方の書き込みもあった。

そうかと思えば、実際の切断女性が降臨して書き込むと、参加しているdevoteeの男どもから質問の嵐(その中の1人が自分だったのだけど)・・・
考えてみれば、この「女神降臨」こそが崩壊の序曲だったような気がする。
女神を前に男どものそれぞれの本能がむき出しになった時、見たくないものが露見するようになったというか・・・
今時の言い方で言えば「LINEおじさん」そのものの状態になってしまったわけである。

今考えれば愚かしい話ではあるが、自分自身も「積極的に話しかける」愚を犯してしまったのだ。
その中で一番多かったのは「空気を読まない知識自慢」かな・・・ (その最たるものは自分なんだけど)

なんでわざわざ知識を自慢しようとするのか。そこには自らがdevoteeであることに対する疚しさやコンプレックスを糊塗する意図が無かっただろうか。だからこそ「自分には学識がある」「自分には常識がある」と殊更に主張する。

そのようなことが続き、平成も終わろうとしている今ではそれぞれにdevoteeとしての活動を続けていても、話しかけることもできないという状況。おそらく「マカがいるだけで欠損バーには行きたくない」という人もいるのではないだろうか。
話せるだけで嬉しかったあの頃はもう戻ってこない。

いろいろ回想してたらプールに到着。
ここは年末は28日まで営業しているという。

今日はやたら子供連れが多い。それもそうか。天皇誕生日の振替休日で休みなのだから。
それにしても、子供達の中で浸るラ歩き続けるのは怪しい・・・

そんなこんなでプールを上がり、いましばらく「一番仲が良かった頃」を偲んでみることにしたい。
それは、自分は新入社員として北海道に赴任していたので、「早く会いたいですね」なんて言い合っていたものである。
そして北海道から多摩地方への辞令が下り、引っ越す時の事。
自分も期待に胸を膨らませ、車に荷物を満載して室蘭から大洗に行くフェリーに乗ったものだ。
そして大洗からは国道50号線で東京を目指すことにした。

その途中で宿泊したのが「健康ランド武蔵野」であった。
当時から場末の健康ランドという面持ちだったが、その後故郷の生活より長く続くことになった関東での生活の第一夜は、ここであったという事を覚えている。

今では車を持っていないので、南浦和から送迎バスで行くことにした。

健康ランドの面影は今でも変わっていないが、自分自身の周囲はあの頃からすっかり変わってしまった。
そしてこの先自分はどこへ行くというのか・・・

 

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