最近は桜井何ちゃらが極右政党「日本第一党」の東北支部が立ち上がったの何のと大喜びの御様子。。。
先ほど連絡があり、日本第一党東北初の地方本部、宮城県本部の設立届が受理されました。田中信吉本部長を中心に是非宮城県内の党員は一致団結して運動を盛り立てて下さい。北鮮問題など国難に直面する我が国ですが少しずつ我々の主張も広がりを見せています。日本第一党は日本の未来の為に頑張ります!
— 桜井誠 (@Doronpa01) 2017年8月10日
大体にして「日本第一党」の党名自体が、アメリカのトランプ大統領の「アメリカ・ファースト」をもじってるので、日本のオリジナリティも何もあったものではない。
あ。。。 いや、そんな話はどうでもいい。あんまりこの手の話をしていると変な人が蝟集してくるだけである。
今から遡ること85年前、この大船渡線でも日本人労働者が朝鮮人労働者を襲撃する事件があった。
これは「矢作事件」としてWikipediaの項目として存在する事件でもある。
このWikipediaの書きぶりを見ていると、「朝鮮人に不当な労働を強いた怒りが朝鮮人労働者の大衆行動を呼び、この要求が各飯場に広がることを恐れた日本人が朝鮮人の溜まり場を襲撃した」・・・という、コリアン寄りの書きぶりをしている。
この記事は「Amazon | 朝鮮人虐殺・矢作事件 (1984年) (さんりく文庫〈10〉) | 西田 耕三 | 日本史 通販」を参考資料にしているようなので、そうなってしまうのかもしれないが、当方の手持ち資料はあの「官製講談」「官製カストリ雑誌」とも言うべきあの珍書「岩手の重要犯罪」(←拙ブログのブックレビュー参照)で、やはりこの事件を「矢作騒擾事件」として取り扱っている。
(右の写真は「岩手の重要犯罪」巻頭より)
「岩手の重要犯罪」においては、要約すれば、
「悪質な下請け業者が、大船渡線の工事により負債を生じたとして工事業者に金銭を要求。次第に要求がエスカレートし、配下の朝鮮人土工を唆して、やれ失業手当だ引っ越し手当だと要求するようになる。要求通り引っ越し代を払ってやっても引っ越しする気配もなく、工期終了により解雇となった土工を次の工期でも雇うように要求を重ねるなどすることに憤りを感じた日本人労働者たちが、矢作村(当時)梅木にあった朝鮮人の根拠地である飲み屋を襲撃して死者を出した」というものである。
Wikipediaで「Category:在日韓国・朝鮮人の事件」をホルホルして記事追加してるようなネトウヨさんはぜひ、この「岩手の重要犯罪」を国会図書館なりどこなりで読んだうえ、ネトウヨ寄りに書いてみてはどうだろう。ついでにこの「官製講談」「官製カストリ雑誌」の同書の魅力を余すところなく感じてほしい所である。
何しろ「朝鮮人が人間ならば、蜻蛉蝶々も鳥のうち」なんて言われていたような時代である。
日本人の認識としても、朝鮮人は「安くこき使える労働力。権利の要求などもってのほか」ぐらいにしか思っておらず、他方朝鮮人としても「どうせ実力に訴え出なければ碌に給料も渡す気が無いに決まってる」なんて、相互不信が渦巻いていたに違いない。
この事件の12年前に発生した関東大震災では、朝鮮人の虐殺事件が発生したことは有名であるが、東京都立中央図書館には、その当時の小学生の作文集が残っている。
これを読むと、とにかく出てくるのが「朝鮮人は怖い」「朝鮮人が襲ってくる」というコリアフォビアとも言うべき状況である。
「恐怖」という感情は、被害者になりうる恐れから発生するものであろう。しかしそれは「自分には得体の知れないもの」という差別という「加害」の始まりでもある。個人的な経験を言っても仕方ないが、クラスの女の子に痴漢でも見るような恐怖の入り混じった目で見られた時、かわいらしい顔をしたこの子を絶対許すまいと思ったものであるが、まあ田舎に埋没して生きていくしかないお脳しか持ち合せていければ、そうやって自分を守っていくしかなかったのだろう。
まあいいや。こんな話は。
さて、現在BRT化した大船渡線の陸前矢作付近はどうなっているかというと、そもそもの大船渡線の陸前高田~気仙沼のルートが、現在の国道45号線から大きく外れたルートをたどっており、震災を機にこのルートは国道45線回りとなり、陸前高田~陸前矢作と、鹿折唐桑~上鹿折間は、それぞれ離れ小島となってしまった。
その離れ小島を行くのが、今回の惨劇の跡をたどる旅になるのだが、もう一つ問題がある。
BRT化した後、BRTの陸前矢作駅は、駅があった元々の下矢作の集落からさらに陸前高田寄りまで短縮されることになったのである。
そしてまた、騒擾事件の起こった梅木地区は逆に、大船渡線の陸前矢作駅よりさらに気仙沼寄りの山の方にあるという状態である。
・・・ということはだよ?(ヤギー風)、さっき乗ってきた臨時バスで通ってきたかもしれないということである。
実に惜しいことをしたものである。こういうことなら、下調べをしておくんだった。
後悔先に立たずである。
まあ無理なものはしょうがないので、日本人労働者たちが、今で言うところの「在日特権ガーーーー!!!」と言わんばかりに駆け上がってきたであろう道でも撮ることにしましょう。
決死モデルには、TRS48メンの中の中の人随一の韓国通であるトルソーさんのアハメス(中の中の人)を起用したい。
ちなみに後方左側がBRTの陸前矢作駅、右側が草むした大船渡線の線路跡である。
この騒擾事件が発生した翌年の昭和8年3月3日、三陸地方に大津波が発生したが、この時点ではやっと気仙沼方面から陸前矢作まで開業(昭和8年2月15日)し、津波後の同年12月15日、陸前高田の先の細浦まで開業したという状況である。
そしてその78年後の2011年、日本人や朝鮮人の血がしみ込んだこの大船渡線の鉄道線路は、廃止という運命をたどることになる。
さて、撮影を終えて同じBRTで戻ろうにも、30分ぐらいあるので気仙沼行きを乗り逃がしてしまう。
仕方がないのでタクシーで大枚はたいて陸前高田に戻ることにした。
どうせタクシーを使うなら、この4月27日に開業したばかりの「まちなか陸前高田」のバス停に行ってもらうことにした。
タクシーの運転手氏によれば、「震災で全壊した街の中心部を嵩上げし、その場所にショッピングセンターを建設した。それは気仙地方の方言で「おいで」という意味の「アバッセ」という名称なのだ」という。
確かに、地場のスーパーマーケットなどが入居した、郊外型のショッピングセンターにはなっているが、周囲には全く何もない。
いずれは「まちなか」になっていくのだろう。
その「まちなか」になる前の貴重なショットということになるだろうか。