こだまでしょうか

そういやどこか赤羽方面の面倒臭いオジサマが金子みすゞの詩を引用してたなー・・・みたいな。
まあいいかそんなこと。楽しい旅行に来てまで。

さて、今日の旅は東萩から始まりますよ。
とはいえ、別に吉田松陰とか萩明倫館を偲んだりするでもなく、とにかくひたすら列車のケツばかり追うという、そんな旅。

東萩に行くと、何とトワイライトエクスプレスが停まってんだけど・・・
決モチームY宇崎

どうやら、大阪~札幌の定期運用から外れたトワイライトはクルーズトレインとしての余生を送ることになったらしい。

ちなみに、ツイッターを見ると、「東萩でガルパンのフィギュアとDD51のナンバープレートを撮ってるキモいオッサンがいる」みたいなツイートがあるんだけど・・・
まさか・・・ まさかね? この子ガルパンっぽく見えないよね?

美祢線に乗りたいが、列車の時間までしばらくあるので益田側に1駅戻って、越ケ浜に行ってみることにする。その1つ先の長門大井で列車交換するので、さすがにそこで撮影する時間は取れなさそうなのでここでやめておく。

越ケ浜は地方の何の変哲もない駅らしい棒線駅。
決死モデル:チームR真夜

しばらくすると、益田方から中国地域色のキハ40が来たので乗ることにする。
さて、長門市へ向かいましょう・・・

長門市に到着すると、各方面に列車が停まっている。
下関方面には中国地域色のキハ40、益田方面はタラコ色のキハ40、そして美祢線方面にはキハ120。
決死モデル:チームY城ヶ崎

さて、こちらは美祢線へと歩を進めましょう・・・
美祢線は地方交通線ではなく幹線。
それは石灰石輸送で重要な幹線だったからである。
しかし、国鉄の度重なる値上げとストで荷主であった宇部興産は専用道路を建設し、国鉄からは貨物輸送を引き上げてしまった。
それは現実的な選択と言えなくもないが、日本から労働運動を大きく後退させることになりはしなかっただろうか。権利を主張することがそんなにいけないことなのだろうか・・・?

さて、美祢線は山口県の山奥を行く。

美祢駅での決死モデルは、TRS48のメンではなく、ロケッツから不二子に出てもらうこととしよう。みねだけに。

美祢駅は、現在向こうのホームを使っておらず、場内信号機も板張りで塞いである。つまり棒線駅の「停留場」ということ。ここを発着駅とすることすらできない状態である。
かりそめにの「市の代表駅」たる美祢駅がそれでいいのだろうか・・・? という気もしないではないが、乗降客の多い駅であればむしろ、階段を使わなくていいというのであればそちらの方が便利のような気もする。これはこれで現実的な判断なのかな・・・
ちなみに、「市の代表駅」が棒線駅なのは、日南線の日南駅や串間駅もそうだったはず。

さて、美祢線の南側はまたの機会に任せて、仙崎支線に乗ることを優先しましょう。

ということで、いったん正明市・・・ではなく長門市に戻る。
決死モデルチームP桃園

長門市というのは、人口比での焼鳥屋の数が全国一だと説明したページがあったのだが、どうもその気配がない。
というか、どこで昼食を食べればいいのか分からない。
とりあえずググって、駅の近くに中華屋があるみたいなのでそこで食べることにする。
ここは結構なボリュームでありがたかった。

さて仙崎へ行きましょう・・・
とは言っても、金子みすゞの跡を偲ぶとか言うまともな観光をしないのは言うまでもない。

と思ったら、下関方面から「みすゞ潮騒」が来よった。
この「みすゞ潮騒」で、仙崎まで数分間の旅。
決モチームY楼山

当たり前と言えば当たり前かもしれないが、現在の仙崎の駅はホーム1本の棒線駅。
ホームの上屋は割と古い感じの作りである。

仙崎は古い駅舎をそのままに。。。というか、これはきっと観光客向けに復元しているのだろう。
たしかに現在の仙崎支線なんて、観光客ぐらいしか乗らなさそうである。

さて、この復路は「みすゞ潮騒」が下関まで行ってくれる。これはありがたいね。

ということで、いそいそと車内の人となる。
あとはこの列車に身を委ねるだけ・・・

山陰の海はやはり美しい。
快速列車の列車名が「アクアライナー」と銘打っているだけのことはある。
決死モデル:チームTエリー

この海岸美は、観光客を誘致するだけの価値があると思う。
山陰の海岸は素晴らしい。
他に列車での旅行で海岸線を素晴らしいと思ったのは、伊勢志摩ぐらいかな・・・

この区間にも一応優等列車はあった。
国鉄の頃であれば大阪~博多を通しで走った「まつかぜ」、JRになってからは「いそかぜ」が小倉まで走っていたが、それも2005年でなくなった。

普通列車扱いで青春18きっぷでも乗車できる「みすゞ潮騒」は、小串で対向列車との待ち合わせのために7分停車する。
決モチームWBノノナナ

ここから先はもう「下関口」である。
ちなみに、小串の少し前の、「いそかぜ」も停車していた滝部は、自分のような標準語話者()からすると「きべ」と発音するが、地元出身者からすると「たきべ」と発音するらしい。
そんなもんなんだね・・・

さて、下関に到着するも、小倉から出る「はかた号」にはまだ時間があるので、ちょっと宇部線方面を旅することにしたい。
ということで下関の1つ前の幡生で降りることにする。
決死モデル:トルソーさんナイ

幡生からは、また末期色の113系に乗っていきましょうね・・・
それにしてもさすがは山陽本線で、至る所に国鉄情緒が残っている。
さすが「国鉄広島」だけはある。

果たして小郡に到着。
さすがは山口市や宇部市へのアクセス駅だけあり、小郡「町」にありながら駅は堂々としている。
かつてはブルートレインも停まっていたし、新幹線も「ひかり」はほとんどが停まっていたはずである。
決死モデル:チームPペギー

ちなみに現在の駅名が「新山口」であることは十分わかっているが、山陽鉄道上にあったこちらの開業は明治33年、山口線にある山口駅は大正2年の開業で、「新」でも何でもない。

さて、105系の宇部線はワンマンであるが、客はそこそこおり、駅間も短い。
宇部線は元々宇部軽便鉄道という私鉄だったものが、戦時中に仙石線などと共に国有化されたという経緯を持つ。
美祢線にしてもそうだが、この路線は石灰石や石炭の輸送という軍需輸送の側面も持つ路線であった。

その宇部線には「丸尾」という駅がある。であってみれば、決死モデルにトルソーさん丸尾桃を起用しない手はない。

また、人口密度も高い地域にあるので運行頻度も1時間に2本ぐらいは来る。
ということで宇部岬で105系同士の列車交換。
決モチームTヤギー

やはり宇部岬の駅も、国鉄離れした華奢な駅舎であり、いい味を出している。
まるで鶴見線の弁天橋かどこかのような雰囲気である。

宇部線自体が、家々の間を縫うように走る国鉄離れした路線である。

そして宇部新川に到着。
宇部新川は1950年代情緒を醸し出したいい駅舎である。
天井も高く、石炭で賑わった往時を偲ばせる。
決モチームTフジアキ

元々、宇部新川駅・・・ というかかつての宇部駅は、宇部興産ビルのあたりにあったのだそうで、それが現在の位置に移転したのは昭和27年であるという。
この駅舎も、その時に建てられたものだろうか。

宇部市内のバスは、宇部市交通局という市営の交通機関がある。
駅前のターミナルから続々とバスが発車する。

いつぞや、小野田線に乗ったことはあるのだが宇部線の居能~宇部間は乗ったことがない。
ということで、小野田行きの123系を居能で捨てて、居能からは宇部行きを待つことにする。
決死モデル:チームWBラジエッタ

居能は、それこそ鶴見線のような工業地帯の駅で、駅前は工場以外何もない感じである。
宇部行きさっさと来て・・・

ということで、待つことしばしで105系の宇部行きが来たので乗ることにする。
宇部線は105系、小野田線は123系と使い分けているのだろうか。

そして宇部に到着。
山陽本線上にはあっても宇部市としては西の外れにあるこの駅は、昭和39年まで西宇部駅と称した。
決モチームPユウリ

宇部からはもうフォロースルーらしく、おとなしく末期色の113系に乗っていくことにしたい。

日はもう響灘の彼方に暮れていく。
下関に到着する頃にはすっかり夜になっていた。

すっかり夜になった下関からは、JR九州持ちの交直流415系。
関門トンネル自体は直流電化であるが、門司駅の構内で交流に切り替わるようである。
決モチームY間宮

これはどこ行きだったかな・・・?
荒尾行きだっけ? 早岐行きだっけ?
そう。なぜか佐世保まで行かないでその直前の早岐で止まるという・・・

兎も角もそれで小倉まで。

そして最後は小倉の駅前から「はかた号」で新宿を目指すことに。
決モチームWBナギサヤ

はかた号も一応西鉄バスではあるものの、大人の事情で小倉駅のバスターミナルからは締め出されているらしい。

兎も角も、はかた号に揺られてあとは東京へ行くだけ・・・

 

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