中央官庁の障害者雇用率問題が飛び火して、今度は国民民主党職員の障害者雇用率の話にまでなっている。
国民民主党の職員数が障害者雇用促進法に基づく雇用義務の基準を満たしていない状況であることが分かりました。
中央省庁での障害者雇用水増し問題をめぐり、玉木代表は「安倍晋三政権の隠蔽体質が表れている。障害者雇用に対する大きな裏切り行為だ」と批判していました。https://t.co/vwHZ7ub8CM— 産経ニュース (@Sankei_news) 2018年9月2日
国民民主党ねえ・・・ カジノリゾート問題では「対決より解決」なんぞと言って、「ギャンブル依存症への対応策という実を取った」と言うつもりになって自民党案に賛成とは思わなかった。本当にこれが野党だろうか・・・?
よく、「損して得取れ」なんていう言葉を耳にするが、それを言ってるのが「損させる側」だったりするのはよくあること。
で、結局取れた「実」というのが完全に反対する人(例:共産党)よりはマシという程度の雀の涙・・・ という。
こういう例を世の中でさんざっぱら見せられていると、この「損して得取れ」というロジックも、ある種の統治術なのかな・・・ と思わされたりもする。 というか、「損して得取れ」で納得させられるような処世術しか下々の者に与えられていない、これがベストな処世術であるという日本社会は明確に問題があるのではないかと思う。
この「損して得取れ」の精神は、例えば日本独自の「記者クラブ」制度などがその典型ではないだろうか。
「報道の自由」はよく言われている所であるが、記者クラブに入って得られる情報をエサに、結局は事実上の報道の統制が行われているわけだ。かといって記者クラブに入らずに独立した報道をしようとしても、結局は記者クラブで得られる以上の情報が取れるわけではない。結局「報道の自由を売り渡す」という損を取って、「ある程度の情報」という得しか得られていないという事である。こんな感じで「自分に良いようになびいてくれる人にはたくさん分け前を上げるよ」と手なずけるやり方に何の疑問を持たないから、安倍政権がこうしてのさばっていられるのだと思う。それで自民党の総裁選で支持の誓約書なんてのが出てきてしまう。
ともかくも「国民民主党」という政党、リベラル中道を自称しているが、何がやりたいのか分からない。なるほど中道というのは一見バランスがいいようには見えるが、「何がやりたいのか分からない」という、まるで自民党55年体制の時の民社党のような御用労組御用達の政党になっている。
どうせリベラルに徹するなら、よほど立憲民主や共産党の方が何がやりたいのか分かりやすくていいくらいだ。
・・・まあいいや。こんな話。
さて、今日の第262回水泳は三田にある港区スポーツセンターへ行こうと思う。
三田と言えば、個人的には東京都障害者福祉会館のイメージがある。
今日行ってみたら、現今の問題を知ってか知らずか「障害者の社会への完全参加と平等を」という横断幕が掲げられていた。
(決モ:チームPみく)
大学入学のため、田舎から笈を負って上京してきた頃、まだインターネットはギリギリ存在しない時代だった。
そんな時代、どうやってdevotee的な欲求を満たしていたかと言うと、結局はガレージキット(「フィギュア」という言い方も一般的ではなかった)の手足をどうにかする、クソ高い医学書を購入する・・・ ぐらいしかなかった。
そのような本は、この障害者関係の福祉施設に行けばいくらでも読めるだろう、あわよくばそこには万が一、億が一にも義手・義足の少女がいてお知り合いになれるかも知れない・・・ という淡い期待も無いではなかった。
ここは図書室が2階にある。
さすがは障害者関係の図書室だけあって、聴覚障害、肢体障害・・・ など、障害の部位別に本が並べてある。
もちろんお目当ては「肢体障害」であるが、肢体障害などと言っても主流は車いすであったり、脳性麻痺の方であった。欠損・切断関係の本は非常に少なく、義肢の技術的な本の他にはサリドマイドの本がある程度であった。
そこに理想の美少女などいるべくもなかった。
その中に「旅立とう、いま ――こずえ20歳の青春」という、吉森こずえさんというサリドマイドで生まれつき両腕の無い方の本があった。
著者の吉森さんは昭和35年1月のお生まれというので、年度としては昭和34年度ということになる。つまり一般企業で言えば再来年で定年退職というお歳になってしまわれたが、1981年の本で20歳時点のことを書かれている。
「サリドマイド禍」は昭和30年代後半から騒がれてきていたが、そんな子供達のための義手の開発のために日本の義肢の技術が発展してきた、という経緯もある。昭和43年の11月、ある地方のライオンズクラブにより電動義手の贈呈式が行われたのだという。
時に著者は小学校低学年。ミニスカートで精一杯おしゃれして贈呈式に臨んだようである。
ライオンズクラブというのは、その地域でお金を持っている人が余った金で社会福祉活動をしているというイメージがあるが、その一環だったのだろう。
自分がもしそんなライオンズクラブにいて、「義手の贈呈式」なんてのをやるのであれば、小学生ではなくもっと良い年齢の女の子を連れてきてもっと大胆な恰好をしてもらったかもしれない。金持ちなんてのはそのくらいのことは平気でやる。
この薄暗い図書室に来て、インターネットが無かった頃どのようにして欲求を満たしていたかをブヮーッと思い出してしまった。
それもまた「私的devotee史」の1ページである。
ところでだな・・・
この障害者福祉会館につながる都営地下鉄の三田駅のエスカレーターであるが、やっぱり途中までしかないのである。
新木場でも岩本町でもそんなのがあった。
何でこう中途半端な作り方するの? 徹頭徹尾エスカレーターで登れるようになぜできない?
場所もあろうに障害者福祉会館につながる出口でこの状態とは心胆寒からしめる思いしか感じない。
さて、ブツクサ言ってても仕方がないのでプールにでも行きますか・・・
ということで、この障害者福祉会館からはJRの線路をくぐってすぐの位置にある港区立スポーツセンターへ。
ここに来ると新幹線は見える、山手線は見える、東海道本線は見える、モノレールは見えるで、「とうきょうのでんしゃ」を一望に見渡すことができるというロケーションである。
・・・が、港区の中学校のスポーツ大会があるとかで利用できないという。
みくでプールに行くとこういうことを引き当てることがよくあり、十条のプールに行った時も、辰巳国際に行った時もそうだった。
仕方がないので別な所に行きましょ・・・。