体重の推移はともかく・・・
今日も中央区のプールへ行ったら・・・
ここが休みということは千代田区のプールも千住スイミーも休みということ。
じゃ久しぶりに船橋アリーナ行く・・・?
そんな気力もなく今日は水泳は中止。
あてどもなく人形町方面へ歩く。
・・・と、前々から気になってたのだが・・・
この「そば助」ってのは何なんだろう?
一番気になるのがこの「初代 そば助」というやつである。
ちょんまげしてるから江戸時代なのか? それにしては写真機があった時代のようなので幕末ぐらいなのだろうか。
幕末に写真取れる御身分と言ったら徳川慶喜公と同じぐらい高貴なあたりにおられた?
そのあたりを同社のHPで見てみると、
元禄元年、時は乱世。
度重なる戦により、民衆の生活は困窮し、誰もが疲弊していたそんな時代。
「蕎麦で天下統一を成し遂げ、平和と笑顔を取り戻したい。」
と、立ち上がった一人の男がいた。
先祖代々の小百姓の息子(ペンキ屋の息子)、後の伝説の蕎麦職人、そば助その人である。
そば助が作り上げた<塩だし蕎麦>は醤油を一滴も使わず、かつお風味と
蕎麦の味を極限まで高めた究極の蕎麦として瞬く間に全国に評判は広がった。
その琥珀色のだしは見るものの心を奪い、香ばしさと色とりどりの風味は
戦国武将の野望や戦意を忘れさせるほど夢中にさせ、
いつしか平和の塩だし、幸運の塩だし、究極の塩だしと呼ばれるようになった。
しかし、そば助は<塩だし蕎麦>作りに夢中になりすぎたために体調を崩し、
志半ばにしてこの世を去ってしまった・・・。
・・・
それから300年、ここに天下統一を夢見る平和と笑顔の使者、
そば助の塩だしが復活したのであった。
どこからどう突っ込んで良いものやら・・・
- 元禄元年(1688年)は写真機なんてまだ発明されてないと思うけど・・・?
(世界で初めての写真機は1824年のヘリオグラフィであるといわれている) - 士農工商の時代、先祖代々の小百姓が蕎麦屋にジョブチェンジできたものだろうか?
・・・と思ってWikipediaで「士農工商」を見てみると、 - 蕎麦で戦が止まったなんて史実はどこにある?
・・・なんて、もう突っ込む方が野暮というものですね。
でも学校の社会科で「士農工商」を習った世代としては、今の教科書がこんな風になってるとは知らなかった。