ダークのちポール

今日は東京は晴れで、日中は日差しがたっぷりあります。朝は0度前後まで冷え込みますが、昼間は11度くらいまで気温が上がる見込みです。降水の心配はほとんどなく、空気は乾燥気味なので、外出時は防寒と乾燥対策を意識したほうがよさそうです。夜にかけては再び冷え込むため、帰りは少し厚手の上着があると安心です。
今日は東京は晴れで、日中はよく日が差す一日になりそうです。朝はかなり冷え込み、気温は0度前後まで下がりますが、昼間は11度くらいまで上がる見込みです。雨の心配はほとんどなく、全体に乾燥した空気が続きます。日中は日向では少し暖かさを感じられますが、朝晩は冷えますので、防寒はしっかりしたほうがよさそうです。

何かやったことも振り返りが必要なのだが、既にそれについてはメモしているので、それをそのまま使ったら、それぞれの項目は逆だったので、逆のものに差し替えるという夢。

目が覚めたら6時半過ぎだった。
今日は、7時台に出たいと思っていたので、起床事故ではない。

7時代に出てどこに行きたいのか。
それはダークツーリズムである。

以下は、Geminiによる要約である。

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昭和41年11月10日付の茨城新聞は、北相馬郡取手町台宿にある竜ヶ崎電報電話局官舎で発生した痛ましい殺人事件を大きく報じています。被害に遭ったのは、東京の大手町にある東京電話番号案内局で案内係として勤務していた22歳の女性です。彼女は当時ビジネスガールを略してBGと呼ばれていた職業女性の一人で、104番のオペレーターとして通信の第一線で働いていました。

事件は11月8日の夜、出張から帰宅した父親である竜ヶ崎電報電話局長によって発見されました。現場となったのは水戸街道沿いの人家が密集した地域でしたが、被害者は家族が留守の間に一人で自宅を守っているところを襲われました。遺体は竜ヶ崎協同病院に運ばれ、日赤水戸病院の医師による司法解剖が行われた結果、死因は紐のようなもので首を絞められたことによる窒息死と判明しています。

警察の初動捜査によれば、犯人は台所のガラス戸を割って侵入し、犯行後には玄関から逃走した可能性が高いとみられています。室内には物色された跡がほとんど見られず、それどころか犯人が後片付けをしたような形跡さえ残されていました。こうした異様な状況から、捜査当局は顔見知りによる犯行、あるいは複数犯による犯行の両面で捜査を進めています。

一方で、遺体の発見が遅れたことに加えて犯人の遺留品も乏しく、捜査は難航することが予想されていました。現場からはかなりの数の指紋が採取されており、警察はそれらを既存の前科カードと照合する作業に全力を挙げています。街道沿いの人目がある場所でありながら、日本の通信インフラを支える家族の一員であった若い女性が、住み慣れた官舎の中で命を奪われたこの事件は、当時の社会に大きな衝撃を与えました。

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昭和41年11月12日付の茨城新聞は、発生から数日を経ても依然として有力な手がかりが掴めていない現状を詳細に報じています。11月11日も取手署の捜査本部は現場検証を継続し、犯人のものと思われる指紋を10数個採取したほか、ルミノール検査で血痕の付着状況などを詳細に調べました。捜査の結果、犯人は被害者を暴行した後にわざわざ下着を履かせたような形跡があり、その後で室内を整理したとみられています。一方で、被害者の父である竜ヶ崎電報電話局長は、遺体の血を拭きとったのではないかという見方に対し、そのような事実はなかったと証言しています。

現場は水戸街道沿いの人家密集地であるにもかかわらず、悲鳴や争う音を聞いた人は一人もいませんでした。犯行当夜に被害者の姿を目撃したのは隣家の主婦だけであり、有力な目撃情報の乏しさが捜査の大きな壁となっています。捜査当局は顔見知りの犯行だけでなく、外部からの侵入者による流しの犯行も視野に入れており、その一環として事件前日の11月7日に開催されていた取手競輪の客の中に不審な者がいなかったか、聞き込みを開始しました。当時は娯楽や歓楽街の象徴といえば東京の浅草であったため、競輪で得た泡銭を手にした者が流れる先として、また広く情報を集める拠点として、浅草へも捜査員を派遣し多角的な捜査を展開しています。

このように、街道沿いの人目がある場所で起きた大胆かつ不可解な事件は、決定的な証拠を欠いたまま、犯人の動機が流しの強盗か怨恨によるものかさえ判別できない難航した状況にありました。

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昭和41年11月14日付の茨城新聞の記事に基づき、事件発生から1週間が経過した時点での状況を再構成します。

事件当初、被害者の死因は心臓麻痺と診断されていましたが、その後の検死によって紐による絞殺であることが判明し、室内から父親の腕時計などがなくなっていたことから強盗殺人事件と断定されました。県警捜査一課長は、動機を婦女暴行および強盗の線とみて捜査を進めていますが、依然として解決に結びつく有力な手がかりは得られていません。

現場の状況は極めて異質で、犯人は被害者を暴行した後にわざわざ下着を履かせ、乱れた室内を片付けるといった現場の偽装工作を行っており、こうした形跡から犯人は複数であるという見方が強まっています。捜査の唯一の焦点となっているのは、現場に残されていた11月7日付の「日刊スポーツ」であり、捜査当局は犯人が競輪マニアである可能性を視野に入れ、当時の歓楽街であった浅草や取手競輪の関係者を中心に執念深い聞き込みを続けています。

紙面では8段抜きの大きな見出しで「早期解決は困難」と報じられており、社会的な関心と捜査当局の「必ず挙げる」という強い決意が示されているものの、客観的には決定的な証拠を欠いたまま長期戦へと突入した状況が浮き彫りになっています。

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昭和41年11月20日付の茨城新聞の内容に基づき、事件発生から12日が経過した時点での状況を再構成します。

昭和41年11月8日夜、北相馬郡取手町台宿の電報電話局官舎で発生したBG(電話番号案内係)殺害事件の捜査は、発生から12日を経て新たな局面を迎えています。当初は複数犯による犯行が疑われていましたが、現場の状況を精査した結果、現在は単独犯による犯行説が強まっています。

捜査本部が注目しているのは、現場の引き出しから「5円玉」などの少額貨幣までが持ち去られていた点です。こうした金銭の奪い方は、計画的で手慣れた強盗の仕業というよりは、場当たり的な素人による犯行であることを示唆しています。また、事件当夜、現場裏の高台にある住宅の飼い犬が、約1時間にわたって激しく吠え続けていたという有力な証言が得られました。この犬は家族や知人には吠えないことから、犯人のような「見知らぬ侵入者」の気配を察知して、テリトリー防衛本能から激しく警戒の声を上げたものと考えられます。

これまで有力な手がかりとされていた現場の「日刊スポーツ」から競輪マニアを洗う捜査や、10数個の指紋の照合、浅草方面への聞き込みなどは依然として継続されていますが、決定的な証拠には至っていません。しかし、この「犬の鳴き声」と「5円玉の紛失」という新たな事実によって、犯人が事件当夜に現場周辺を長時間徘徊していた可能性や、その人物像がより具体的に絞り込まれつつあります。

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昭和41年11月27日付の茨城新聞の内容に基づき、新たな展開を見せる捜査状況を再構成します。

昭和41年11月8日夜、北相馬郡取手町台宿の電報電話局官舎で発生したBG(電話番号案内係)殺害事件は、発生から約20日を経て、「痴情のモツレ」という新たな局面を迎えています。

捜査本部に寄せられた匿名の投書により、事件当夜、被害女性が柏市内の喫茶店で若い男性と同席していたという新事実が浮上しました。この男性は二十歳前後とみられ、彼女と一緒にいたという目撃証言が詳しく記されています。しかし、この情報はあくまで匿名の投書に基づくものであり、実際に目撃された女性が被害者本人であったかどうかは依然として不明です。

現場の状況も改めて精査されています。犯人は室内から清酒2本を持ち去っている一方で、高価なウイスキーや被害者の指輪には手を付けていません。こうした物色の偏りや、以前から判明していた「被害者に再び下着を履かせ、室内を後片付けする」という異質な偽装工作は、単なる金品目的の「流しの強盗」とは矛盾する点が多く、顔見知りによる痴情や怨恨の線を強く示唆しています。

このため、捜査本部は「流しの犯行」に絞り込むことが困難になったと判断し、被害者の交友関係の洗い直しに重点を移しつつあります。一方で、数少ない遺留品である11月7日付の「日刊スポーツ」から競輪マニアを追う方針も継続しており、これまでの浅草・取手に加え、新たに松戸競輪にも捜査員を派遣して執念の捜査を続けています。

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昭和42年7月29日付の茨城新聞は、発生から260日ぶりに取手町のBG殺し事件が急転直下で解決したことを「取手町の信子さん殺し急転解決」という大きな見出しとともに報じています。解決のきっかけは、別件の住居侵入容疑で水海道署に逮捕されていた東京都墨田区の工員(25歳、谷和原村下小目出身)による自供でした。

この男はのぞき見が趣味の常習犯で、事件当日も取手競輪を楽しんだ後に取手町内をぶらぶらしており、官舎で寝ている被害女性を覗いていたところを本人に気づかれて騒がれたため、発覚を恐れて殺害に及んだと自供しました。男は以前から不審者として捜査線上に浮かんでおり、発生から1週間後の11月14日時点でも、のぞき見の常習犯がいないか、現場から十数個採取された指紋と前科カードの照合が進められていました。しかし、当時は決定的な証拠がないまま一度は捜査網から外れていました。

解決の大きな決め手となったのは、男の出身地である谷和原村の駐在所に勤務する巡査の鋭い洞察力でした。水海道署に勾留されていた男がのぞき見の常習犯であることを知ったこの巡査は、「もしかして取手のBG殺しと関係があるのではないか」と第六感を働かせ、その粘り強い追及が自供を引き出すお手柄となりました。犯行の動機が、当初疑われていた強盗目的や複雑な痴情のもつれなどではなく、のぞき見を見つかったことによる偶発的なものだったことも、この自供により裏付けられました。

解決の報を受け、水戸市内の被害女性の実家では、母親が変わり果てた娘の遺影に向かって、霊前にようやく犯人が捕まったことを報告し、新たな涙にくれたと伝えられています。長期にわたって世間を騒がせ、一時は迷宮入りも危惧された凄惨な事件は、一人の警察官の執念によってようやく終止符を打つこととなりました。

以上が、Geminiによる要約である。

ともかく、note小説の第577話をアップして、出ることにする。
朝の風が冷たい。
そしてつくば駅に到着し、TXに乗る。
今日は8時07分発。

車内で日記を追いつかせる。
みらい平を出ても、ある程度は座れる位の混雑度。
そして守谷に到着。
本来は、8時37分のつくば発でもよかったのだが、早めに来たのは守谷で吉牛を食べたかったからである。
すき家と吉牛はやはりどこか違う。

そして、8時45分の関東鉄道の取手行きに乗る。
車内は閑散としている。

そして取手に到着。
関東鉄道でいつも乗り換える取手駅は、実は西口は裏口となる。
地下の自由通路を通って東口に出る。こちらが本来は表口なのだ。
西口は西友しかないのに対して、東口は飲み屋とか学習塾がひしめいている。

そして、旧水戸街道に出ることにする。
現在は茨城県道11号線となっているが、いずれ被害女性はこの道を通勤路としていたはずだ。

もともと、取手というところは、水戸街道の取手宿だったところだ。
それで、古い店も並んでいる。

中には「取手名物 奈良漬」などという店もある。この店はこの道が本当に水戸街道だった頃から商いを続けていたのだろう。
そして、確実に東京に通勤する被害女性を見ていたはずだ。

さて、被害のあった家、つまり電電公社の官舎は「茨城県警察史」によれば取手駅から直線距離で800メートル、茨城新聞によれば、取手駅から1キロというところなのだそうだが、特定するのはまず不可能だし、特定したところで、そこを撮影するわけにはいかない。おそらく一般の住居だからだ。「大島てる」にも、さすがに60年前の事件が載っているはずは無い。

そのようなわけで、被害女性や、加害者の男が歩いたであろう。水戸街道を決死した位にして、退散することにしよう。
ところでなのだが、昭和41年11月10日の新聞では「今春水戸三高を卒業し」とある。つまり、昭和22年生まれの世代。まさにこの世代に、叔母(父上の弟の奥さん)が千葉県内の高校を卒業し東京電話番号案内局に勤務していたのだ。この事件について何か分かってないだろうか。

そして、取手駅に戻ってバッテリーで充電しながら、note小説をアップしていくことにする。

11時も近づいたので5番線へ向かい、取手始発の緑色の電車に乗る。上野で山手線に乗り換え、秋葉原に到着する。万世橋警察署の通りにある、韓国料理とベトナム料理が同居した店に入り、ユッケジャンクッパを食べる。

その後、黄色い電車に乗って錦糸町へ向かう。まだ少し時間が早いので喫茶店に寄るのだが、こうしていちいち数百円を無駄にしている気がして、我ながらどうなのだろうと思ってしまう。

13時半になったのでシルクロードカフェへ向かう。
向かいには担々麺の中本があり、行列ができている。

シルクロードカフェの店内はすでに満員で、向かいの席には伊東さんが来ていた。
今日はちょーこちゃんもROSSOでショーがあるらしい。

やがてポールダンスのショーが始まる。
出演者は15名で、ハルナちゃんは10番目の登場だ。
どの人もそれぞれに個性的な演技を見せてくれる。
中には初心者ではないかと思うような人もいたが、客席からは終始温かい声援が送られていた。

ちなみに、ROSSOと違って、ここは撮影禁止である。
進行は意外にスムーズで、20分ほど時間を余してすべての演目が終了した。
最後は各演者が席の間を回ってきたので、おひねりを出すことにした。
ポールダンスは演技がセクシーであるのとともに、こうしておひねりの文化があり、夜職の世界と親和性が高いように思える。

そして、全ての演者による記念撮影が行われた。
その中に、ハイレグ衣装を着たスタイルの良い方がいて、話を聞くと幼い息子さんも会場に来ているのだという。
母親のこのように性的に取られかねない姿を、子どもがどう受け止めているのかというのは、なかなか難しい問題だなと思う。実際、プリンセスプリンセスの奥居香も、子どもから「ミニスカート履くなよ」と意見されることがあるという話を耳にすることがある。また、最近のゴルフウェアでミニスカート型のが流行っているようだが、そんなのを母親が着ると息子が嫌がるという記事もあった。
親子の距離感や、成長過程での心境の変化というのは、なかなか一筋縄ではいかないものだ。

ともかく、16時ごろにはすべてが終わった。
秋葉原に寄って帰る準備をしようかとも思ったが、どうせ人が多いに決まっている。
それならばと、錦糸町のカフェで少し時間を潰すことにした。

ところが、錦糸町も思った以上に人が多い。
どうにかエスニック系の軽食が取れそうなカフェに落ち着いたものの、奥まった場所にあるせいか電波がかなり悪い。
パパドも頼んだ結果、1000円あまりかかってしまった。

これなら、さっさと秋葉原に向かった方が良さそうだと思い直すことにした。

秋葉原も中央通り側を歩くのは久しぶりだ。もちろん、ゆっくりできて、なおかつ電源も取れそうなカフェなど、そう簡単には見つからない。それでもエクセルシオールで、奇跡的に電源のあるコーナー席を確保することができた。ここでしばらく充電をしながら、note小説を書き進めていく。

18時も過ぎたので、すた丼に行こうかと思ったが、途中で十割そばの嵯峨谷を見かけたので、予定を変えてそちらに入る。かき揚げセットを頼み、手早く腹を満たす。

その後はTXで戻ることにする。19時の快速にうまく間に合った。つくばに到着すると、また408号線沿いのコメダへ向かう。ここでまず、溜まっていた日記を追いつかせる。

結局、21時半ぐらいまで滞在することになった。その後ベルクに立ち寄り、キムチ、さけるチーズ、飲むヨーグルトを買って帰宅する。帰ってから風呂に入ることにする。BGMはふじわらのみいのどこだかの温泉編だったが、最近はあのテンションの高さについていけなくなってきた気もする。

結局、風呂から上がったのは0時過ぎ。明日はイロハシャッフルだ。

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