「どうせ朝鮮なんてこんなもん」

韓国の李明博元大統領が訴追されるという。
本当に大韓民国の大統領というのは、任期が終わると誰一人としてハッピー・リタイアメントなどというものをした形跡がない。

今回注目するのは朴正煕である。
上記に上げられた大統領の中で、最も長い期間大統領の座にあり、民主化を弾圧し自らの任期を延ばしながらも「漢江の奇跡」という経済成長を成し遂げた、良くも悪くも韓国現代史に残る大統領である。

最後は、1979年に暗殺されるのだが、その5年前の1974年にも、実は暗殺されかかったことがある。

それは8月15日、日本であれば「終戦の日」であるが、韓国にしてみれば36年の日帝強占期から解放された「解放記念日」となる。

その記念式典で朴正煕大統領の演説の最中、何者かに拳銃で撃たれ、弾は逸れたものの大統領夫人に陸英修ユクヨンスに当たって死亡、反撃した警官隊の銃弾が、合唱隊の女子高生・張峰華チャンポンファさんにに当たって死亡するという痛ましい事件にまでなってしまった。

逮捕された男は、日本のパスポートを持っていた。
ちょうど日本の技術協力によりソウル地下鉄の1号線が開業した日、この事件のために式典は中断され、ソウルにいた日本人は全員足止めとなってしまった。

押収されたパスポートの名前を日本大使館が調べると、それは大阪府泉大津市に住む日本人の男の名前が書かれていた。
しかし、日本の警察の調べでは、パスポートの写真にあった顔は、大阪市生野区在住の在日コリアン・文世光ムンセグァンのものであると早くから突き止め、これは翌8月16日の新聞では報じられている。

では、その泉大津の男の名前はどこで・・・?
本人は「文世光」なんていう朝鮮人は知らないと言う。

文世光は、その男の妻の「元カレ」だったのだ。
その妻は、大阪市内の女子高にいた頃、社会科学研究部の活動で文世光と知り合い付き合ったのだという。
20代の前半で夫と結婚し、泉大津で落ち着いた生活をしていた時、ふと元カレ文世光の消息が知りたくなり、「元気?」と電話を掛けたのが運命の分かれ道であった。

サラ金で金借りたいねんけど、名前が朝鮮やと貸してくれへんねん。旦那さんの戸籍謄本とってくれへんやろか

高校時代、社会科学研究部で差別問題にも向き合ったであろう彼女に、コリアンである彼の頼みを断ることができただろうか。
「そんなん無理やって」そう言って断ることもできたかもしれない。でもその次に返ってくるであろう言葉は想像に難くない。
「何や、日本人なんて。優しそうにしとっても大事な所になれば冷たいねんな。どうせ俺なんて朝鮮やもんな。口では差別はありません言うとっても朝鮮なんていざとなればこんなもんや」

結局、彼女は夫の戸籍謄本を文世光に渡した。
そのようにして「差別者」の烙印を押されることを回避する道を選んだ。

テレビから突然、なぜか夫の名前が報じられた時、彼女はあの「朝鮮」の頼みを断らなかったことを深く後悔したであろう。

さて、大統領狙撃事件であるが犯人は日本から来たということは分かった。では拳銃はどこから?

この1か月前にあたる7月18日の新聞では、大阪市南区の派出所で拳銃盗難事件があったことを報じている。

夜勤中の派出所で、拳銃の盗難事件があった。
当初、2人いた警官の供述では「仮眠中に侵入され、ポケットから拳銃の保管庫の鍵を抜き出され盗難にあった」というものであった。
たとえそうであっても、ポケットに鍵を入れることは規則違反となり、専用の袋に入れていなければならないはずのものであった。

ところが翌7月19日の新聞では、2警官は「拳銃そのものを布団に置きっぱなしにして熟睡していた」と供述を変えた。
改めて、拳銃管理の杜撰さが浮き彫りになる形となった。

そしてこの拳銃で朴正煕大統領を狙ったものであるということは、事件の翌日8月16日には明らかになっていた―――

今回の「事件現場を歩く」は、その盗難があった派出所へ行ってみたいと思う。

現在も「大阪府南警察署高津交番」として、千日前通のその場所にある。
決モは、やはり警察マターだけにデカレンジャー出身のチームPウメコ

現在は、常勤の警察官が詰めていないのか無人で、写真を撮りやすくはあった。
もし警官が詰めていれば、職務質問の一つもされていただろう。

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