石炭が通った道

今日は思うところあり、小樽方面に行ってみようと思う。
あたかも、夕張炭鉱で掘られた石炭が夕張鉄道で野幌に運ばれ、そこから小樽に運び出されたように。

朝が早いので心配であったがどうにか起床事故を免れる。

いつも決死旅行後の面倒なー大イベントである「洗い」は、もうホテルで済ませることにした。

こちらの方がいろいろ手間がなくていいかと思う。
しかし一昨日、昨日でこれだけのメンを決死に出していたんだなーなんて。
また、夕張駅7:10発なので、朝食も頼んでおらず素泊まりである。

もはや夜明けも近づいた、死にましょう・・・というのは津山三十人殺しの都井睦雄の遺書として、行動開始しましょう。

昔であれば本町の朝は一番方で出勤する鉱夫や登校する小学生で賑わっていただろうか。
しかし今や人っ子一人いない。
決死モデル:トルソーさんメア

映画のポスターで町おこしを図ろうにも、もう人がいないという状況である。
建物の前の雪かきをしているかどうかで、生きている建物かどうかが分かる。
かつては大会社の支社だった建物、かつては病院だった建物も今やガラスも割れ、荒れるにまかせている。

それでも、美唄炭山のように完全に自然に還ったわけでもないので、まだマシなんだろうか。

そして市役所とその隣の市民会館である。

夕張市役所は財政破綻後、職員の給与をカットしボーナスも出さなくなったら職員が半分以下になり、特に年代の高い管理職が一斉にやめた結果、ヒラだった職員が突然課長をさせられることもあったという。
また、市長の年収は300万円にも満たないという。
維新などは普段から公務員給与の削減を公約にしているが、その行き着く先がこの夕張にあるということだろう。
維新の議員は、挙って夕張に視察に訪れてはどうだろうか。自らの理想が体現した姿を一度見てみればいいだろう。

・・・それはともかく、市民会館も今や閉鎖されている。
昭和38年に建てられたこの市民会館の1階は、昭和46年まで夕張鉄道の夕張本町駅として栗山や野幌へのディ一ゼルカーが出ていた。
しかし今では入囗に目張りがされている。

ここから現在の夕張駅に向かうためには、志幎加別川の谷に降りることになる。
本町6丁目はそんな谷底にあり、かつての夕張第一小学校がある。

そして谷を上がるとすぐセイコーマートがあり、夕張駅となる。
もはや本町地区でまともな小売店舗は、6時から24時まで営業しているこのセイコーマート以外はないのではないだろうか。
というかこのセイコマは既に谷を渡った時点で「本町」というより「末広」なのか。

ところで、向こうには火鍋屋・・・?
現在はMt.レースイは中国資本によって運営されているとは聞いたことはあるが、火鍋屋まであるとは知らなかった。
本当に中国人観光客が頼みになっているようである。
決死モデル:チームPユウリ

・・・と、駐車場が完全に凍結していて豪快に転んでしまった。
おかげで台座の右足部分がもげてしまった。
これで立たせるのは結構つらい・・・

さて、これが最後の夕張駅である。
夕張だけにユウリ

セーラー服でコスプレしてお面をかぶったおばさんが記念写真を撮っている。
自分そうだが、世の中にはいろいろな形のオタクがいるものである。

さて、最後の夕張線で出発である。
さらば夕張駅。
さらば鹿ノ谷駅。
そしていよいよ清水沢に到着・・・
キハ40を降りる。
これが夕張線との永訣となる。

ありがとう、さようなら、夕張線。

清水沢の駅前に出てみる。
道路に面して駅前広場がない構造が、産業鉄道であったことを思わせる。
そして駅からまっすぐ伸びた通りを歩いてみる。
決死モデル:チームWBミサメグ

松ヶ枝通と同じで、坂道になっている。
「夕張 苦うばり 坂ばかり ドカンと来れば 死ぬばかり」だったのだ。

坂道から清水沢駅を望むと、シャッターの降りた商店街と、板張りされた清水沢駅がすべてを物語っている。
今、ここにいる人間は自分一人だけである。
これが現在の夕張の「中心部」なのだ。

さて、せっかく倶知安までの切符を買ったものの、ちょっと趣向を変えてバスに乗ってみようか。
これまで来た方向に逆戻りして、若菜方面へ行ってみることとしたい。

若菜と言うのは夕張鉄道の本社があり、現在でもバスターミナルがある。
かつては夕張鉄道の駅もあり、若菜から各方面へバスが出ていたのだという。
大洋にも若菜という捕手がおり、まるで日本語地名のようにも思えるが、アイヌ語のWakka nam pet(水・冷たい・沢)が語源なのだという。

清水沢から若菜までは、志幌加別川の谷沿いに結構な距離がある。
夕張の難しさというのはまさにここにあると思う。
コンパクトシティを目指そうにも、人口が散逸しすぎているのだ。

そして若菜の市街地を過ぎ、今や廃墟となってしまった家並みが途切れたところで若菜ターミナルとなる。
決死モデル:トルソーさんナイ

ちなみに、夕張駅の火鍋屋で台座が折れたために、ナイの右脚も写真の通りとなってしまっている。
そろそろ替え時かな・・・
そういえば、この衣装は数年前から酷使しているので、これもかれこれ何代目かになるのだが、同じような部分が破損し、ポッチの部分を爪楊枝で代用していたことがあった。

さて、ちょっと「若菜駅前踏切」に行ってみますか・・・

富野や栗山へ行く道道3号線の交差点には、タクシー会社の車庫がある。
若菜はそれだけの交通の結節点であったということでもある。

ところで、若菜駅というのはこちら側だっただろうか?
何か違和感を感じつつも、市街地と逆の方向に歩く。
とりあえず、Googleマップで見る限り、一番近い踏切はそこだったので。

たしか、若菜駅というのは夕張線の東側に並走する夕張鉄道の棒線駅だったはず。
そして踏切の南側に駅舎があったはずであるが、地図で見る限りそのようなスペースはないような気がする・・・

果たして到着してみると、何か見覚えのある建物。
ここは若菜駅ではない。営林署前駅だった建物である。
現在は犬作先生の宗教の仏具店となっているが、かつては夕鉄協栄社という夕張鉄道の駅売店を運営する会社の売店であり、落盤事故で一家の大黒柱を失った鉱員の妻の受け入れ先でもあったのだという。

これはこれで見て良かったかもしれない。

しかし、ここまで来た以上は若菜駅前踏切も見てみたい。
ということで、線路の東側のアップダウンを上り下りしながら南を目指す。
考えてみれば、若菜の駅は若菜の市街地にあるに決まっているのだ。
スマホばかり見て実際の街を見ないからこんなことになってしまう。(営林署前を見れたのは収穫だったが)

最後はダンプや除雪車が並ぶ私有地のような場所を通って若菜駅前通り踏切に到着。
決死モデルチームPウメコ

やはり駅前といった感じの通りになっている。
道路に面して、これまた廃墟となってしまったスナックがある。
この若菜地区も、現在はどのくらいの人口があるのだろうか。

さて、札幌急行バスの時間も近いので、さっさとバスターミナルに戻るとしましょう。

・・・と、何やら左手にいい感じの建物が見える。
これはバスの車庫だった。
曰く「夕鉄バス 第2車庫」。

炭鉱華やかなりし時代、この若菜から夕張市内各方面にバスが出ていた頃は、現在の本社バスターミナルにも収容できないほどのバスがここに入れられていたのだろうか。
現在では、廃車になったバスや捨てられたバス停が置かれている。

いつか、ここも自然に還ってしまうのだろうか。

さて、本当に時間がない。
志幌加別川の橋を渡り、バスターミナルへ急ぎたい。

バスターミナルに行こうとしたところで、後ろからバスが来る。
これが夕鉄バスの札幌急行だった。
本当にギリギリだったのだ。

あとは札幌を目指すだけである。
新札幌に到着するのは10時18分で、新札幌から小樽行きの快速エアポートが出るのが10時36分。
渋滞さえしなければ余裕かな・・・

そして札幌急行は道道3号線を札幌に向けて走る。
現在でも駅舎の殘る新二岐や継立の駅を横目に。

長沼町の中心部・中央長沼は事業者によって停留所名が違い、中央バスは「農協前」となっている。

そして南幌町を抜け、北広島市内に入ってもだいたい定時で走っているようである。
ところで「上野幌駅通」というのは、上野幌駅にどれだけ遠いのだろう。
調べてみたら、結構近いことが分かった。

なおかつ、そこから余裕のある時間で小樽行きがあるかどうか調べたら、10時11分に新札幌から快速エアポートがあるではないか!

そして上野幌駅通で夕張急行を降りる。
上野幌駅が見える国道36号線(室蘭街道)上で、札幌市のカントリーサインもある。
決死モデル:トルソーさん丸尾

線路沿いの道を歩けば、3分とせず上野幌駅に到着である。
上野幌駅は築堤の上にある駅で、切符こそ販売しているがかなり小さい駅である。

ここから再び、倶知安までの切符を使うことにしたい。
しかし上野幌なんて使うのは初めてである。

さすがは北海道だけに、通路にもガラス扉が備わっている。
そのガラス扉の前で列車待ちをしているのである。

そして手稲行きを待っていると、逆方向からDF200の単行タンコロが来る。
これは!と思いこの写真を撮った次の瞬間だった。

丸尾がクリッピングしている切符ごと風に飛ばされて落ちてしまった。
急いで丸尾を拾い上げたは良かったが、切符はホームの下の線路に転落してしまった。

これが1日数本しか来ない、自分しかいないような駅なら自分で取りもしただろう。
しかしかなりの人が見ている。
この状況で取りに行くなど到底できない。
仕方がないので、切符は諦めることに・・・

決死撮影史上、こんな事は前代未聞であった。
至急に再発防止策を取ることが求められるが、これはなぜ発生したのだろうか。
脚で切符をクリッピングしていれば、風の抵抗が生じる。
その状態で決死撮影を敢行したことが今回の事態の原因ではないだろうか。
本地権を含め、これまでの決死撮影におけるトラブル・インシデントを独立ページにまとめることにした。

仕方がないので、改めて切符を買うしかない。
とりあえず、南小樽までの930円の切符を買う。

そして手稲行きに乗り、新札幌から快速エアポートに乗り換えて南小樽を目指す。

そして南小樽に到着。
南小樽駅は昭和33年に建築。いかにも当時のお洒落な建築という感じであり、小樽という都市圏の駅にふさわしい駅舎として建築されたのだろう。
決死モデル:トルソーさんラ・バルバ・デ

この駅は、C62急行「ニセコ」も知っていれば、手宮線知っている、そんな世代の「近代的な駅舎」なのだ。

裏手に回ると、木のサッシの大扉の荷物扱い所がある。
この駅から、数多くの荷物が山線を通って運ばれていったであろうか。

南小樽から手宮線沿いに歩くと、煉瓦造りの高架橋に出会う。
この橋はそう最近のものではない。
もしかすると、国有化以前の「北海道炭礦鉄道」まで知っている橋桁ではないだろうか。
決死モデル:チームPみく

ちょっと、列車が通るタイミングを狙って撮ってみようか。
調べてみると、小樽からは10分毎に出ているようである。
次は11時30分の快速エアポート。

ちょっと粘ってみるか・・・

と、30分過ぎ、721系の快速エアポートが来る。
うまい感じで、みくのたぬき顔も含めて撮影することができた。
やっぱり、みくの美人アングルはたぬき顔である。

そしてなおも手宮線沿いに歩く。
寿司屋通りまで出ると、何やらレンガのガードがある。

これが正に手宮線の跡だったのだ。
ここから手宮方向には、まだ線路が残っている。
手宮線は昭和38年に旅客輸送を廃止したものの、貨物輸送は昭和60年まで残っていた。

その線路沿いに歩くと、色内駅が今でも残っている。
残っているというか「復元されている」?

その後ろのインターナショナルスタイルの建物は、現在は小樽市文学館として使われているが、かつては郵政省の小樽地方貯金局であった。
何とも好ましい建物であることよ・・・

さて、小樽での用件はこれで終了。
色内から小樽駅は、歩いてもさほどの距離ではない。

そして小樽駅に到着する。
小樽に来たら、なぜか寿司でもあんかけ焼きそばでもなく、バーガーキングを食べたくなる。
小樽のバーキン。隠れた名物ではないだろか。
とりあえずアボガドワッパ―を食べることに。

食べ終わったら、自動券売機で帰りの快速エアポートのuシートの指定券を買ってしまいたい。
・・・と、モッサリした感じの若い女性が、指定券の購入に手間取っている様子。
そこで「どちらへお出でですか。お手伝いしましょうか?」と、出会いを求めるナンパオジサンっぽくしゃべってみたら、恐怖に満ちた眼で無言で逃げて行った。
女性ってこういうのでも怖いものかね? デュフフ・・・

あとはキハ150に乗って倶知安を目指すだけ。

 

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