ゼロ票確認からの三浦半島

3月19日の北朝鮮KCTV「朝鮮の今日」より🇰🇵
黄海南道の道庁所在地・海州の水産加工場が改築し操業開始というニュース。
板海苔などの生産に能力を発揮。
ホームページに寄せられた読者の声には、タイの主婦から「朝鮮の女性が羨ましい。朝鮮の女性に生まれ直したい」という投稿も。
何を見てそう思った?

今日は日曜日であり春分の日。
今日を境に日が長くなることになる。
しかし今日は雨。

今日はどうしても早起きしたい事情があった。
それは千葉県知事選挙。選挙といえばゼロ票確認である。
7時から始まるので、6時半に行っとけば大丈夫だろう。

そう思って30分前に着いてみると、案の定自分が最初だった。

投票所には、他には今日1日雇われた学生さんとかが続ぞきやってくる。

「雨ですのでこちらに座って下さい」と、軒下に椅子を出してくれた。
「あの、最初に投票所に来られた方には投票箱に何も入っていないか確認していただいておりますので」と言われる。
もちろんそれが目的で来ているのでOKする。

ゼロ票確認はこれで2回目。
そのうち、市の関係者に顔を覚えられるんじゃないだろうか。
妙な写真も撮ってるし…
こちらは良いアングルから決死できるよう苦慮する。
それと同時に、入場票の住所氏名バーコードは隠しておかないといけないので、みくの体と脚で隠す。

果たして7時、投票が始まる。
さて、小池百合子と結婚したいあのお医者さんはどうなることやら…

ゼロ票確認は、箱の中を確認すると同時に何か証明みたいなのに記入し、記念品を手渡される。
記念品はタオルのような何か。

さて、雨ではあるが異常行動者の端くれとしてどこかにお出かけしたい。
今日はちょっと三浦半島方面にダークしに行きましょうかね。
そして新京成の車内の人となる。

ところで今日は新京成は遅れているらしい。理由は人身事故。
珍しいこともあるものだが、コロナ解雇とかだろうか。
その人身事故で、本来は千葉中央行きであったものが新津田沼止まりとなった。
その爆誕した終点である新津田沼で降り、まずは朝食。

この津田沼駅前の富士そばで朝食にするが、DQNが鼾を描いて寝ている。
これはなかなか良い被写体。心置きなく数枚撮らせてもらった。

さて、では8:36の久里浜行きに乗ることにしたい。
今回ダークツーリズムで目指す事件は、どんな事件であったか…

昭和25年4月15日の神奈川新聞から拾ってみることにしたい。

4月14日11:30頃、横須賀駅発三崎行きの京浜急行バスは、三浦半島の西側の林経由で走っていた。
そのトレーラーバスは、三浦半島を横切ると林の交差点で左に曲がり、右手に進駐軍武山部隊と相模湾を見ながら三崎を目指すことになる。

が、そのトレーラーの客室から火の手が上がっているではないか!
結局死者16名という凄惨な火災となり、記事の表現をそのまま使えば「大震災の頃を思わせる」光景であったという。
関東大震災は1923年なのでこの当時27年前のこと。
今で言えば阪神大震災ぐらいの歴史感だったのだろう。

原因は、客の持ち込んだガソリンだった。
衣笠駅の付近でガソリンを購入し、長井の自宅に到着する直前のことだった。
それに別の客のタバコの火が引火したのだ。
自動車持ってるなら自分で運転して運べばよかっただろう、恐らくは漁船の燃料に使う目的だったのだろうか。
自家用車の普及率も低い時代の惨事であったということだろう。

そして、その煙草を吸っていた客は、朝日新聞によれば東京地方貯金局(蔵前)事務官の27歳、読売新聞によれば東京中央郵便局員で24歳。
いずれにしても蔵前1丁目に住む郵政省職員であったようだ。
戦火の中で学生生活を送り、学徒出陣もリアルタイムで経験していた世界で、明るい官途を夢見ていたのではないだろうか。

生き残った客によれば、そもそも車内はなんとなくガソリン臭かったのだという。
それが現場の10m前ぐらいで火が付き出して、ガソリンの持ち主は外に投げ捨てようとしたがどこのドアも開かなかったのだという。

同じような火災事故といえば翌昭和26年の桜木町事故。
この横須賀のトレーラーバス事故からちょうど1年後のことになる。

横須賀線の車内で寝ていたらもう大船を過ぎていた。
あとは横須賀に到着する準備をするだけ。

車窓の左手に軍艦が見えるといよいよ横須賀である。
横須賀でかなりの客が降りる。
横須賀駅は1面のホームを頭端式で1つ、通過式で1つ使っており、列車交換のできない事実上の棒線駅として利用している。

雨の中を三崎東岡方面のバスを待つ。
須6が三崎東岡行き、須7が三崎港行き、須8が三崎口駅行きとなるようだ。
いずれにしろバスは1時間に2本か3本程度となっているようで、20分程度待たないと次が来ないようだった。

そして「須6」の三崎東岡行きが来たので乗ることに。
あとは三浦半島を横断するために坂を登っていく。

そして坂を下り、林の交差点を左に曲がると、右手に陸上自衛隊武山駐屯地が広がる。

高等工科学校の前でおり、少し戻ると慰霊碑に到着する。
その前にバスの時間を確認する。10分に1本は来るようである。

どうせならバスも被写体に入れたいが、雨が降っており、なおかつ海沿いで風も強いのでブレてしょうがない。
バスは長井行きと横須賀行きが来たもののブレて使えなかった。

さてでは次は三崎東岡へ行きましょう。
鉄道が中心部まで走っていない三浦市にとって、三浦東岡はバスターミナルとなる。
Googleマップで見る限りでは、バス駅のような情緒を醸し出している。

…と、カメラ忘れた。
ちょうど三崎東岡は京急バス三崎営業所がある所。
すぐに駆け込んで心当たりないか聞いてみると、あったようで、
「今もう横須賀に行っちゃってるね。いや、三崎口の駅にいるわ。じゃすぐ連絡してあげるからね、三崎口の案内所で聞いて」
と言う。

結局三崎口の駅まで戻ることになった。

三崎口のバス案内所でカメラをゲットバックして、改めて三崎東岡へ。
三崎東岡のバス停には乗り場が4番まであり、乗務員詰所があったり、ちょっとしたバス駅の情緒がある。
ただし定期券や回数券の発売は付近にある京急バス三崎営業所となる。
ここでの決死はあっけなく終わってしまった。

すでに12時も過ぎているので、腹ごしらえするとしたい。
三崎といえばマグロ。どこかでイキのいいマグロを食べることにしたい。

三崎東岡から歩いて三崎港方面に。
マグロの店がそこかしこにあるのが三浦市らしい。

三崎港の近くのマグロ丼の店に入ることにする。
本マグロ丼は〆て3100円なり。
三崎のマグロの特徴として、冷凍していない、生温かさがあるのだ。

さて、その次は城ヶ島へ行こう。
それで三崎港のバス停で城ヶ島行きを待つのだが、小学生男子3名がやたら奇声がひどい。
友達同士のようであるが、家族と一緒に来ている?
母親と別のバス停で降りてしまったようであるが、油壺行きのバスでないといけないようで、それが来ないので待っているのだった。

そう思っていたら母親らしき2名の方が来た。
トドみたいに太った、いかにもこの奇声をあげる小学生男児の飼い主に相応しい風貌の母親である。

そして城ヶ島行きのバスに乗る。
データイムは1時間に4本来ているようだ。

城ヶ島大橋を渡り、程なくして到着。
雨はやんでいたが風は強い。

バス停の近くに、何やら岩肌がある。
そういえば地質学的に何やら意味があるとか聞いた気がする。
それで城ヶ島で城ヶ崎の決死

あとはもう帰るだけ。
三崎口から高砂行きの快速特急に乗る。
残した仕事も色々とある。

押上で「青砥までお急ぎの方は3番線の快速特急で」と言うことだったので乗ったら、青砥で雨の中をやたら寒いホームで待たされた。
印旛日本医大行きは17:02まで無い。
結局元の三崎口発に乗る羽目になった。

そして新鎌ヶ谷に到着し新京成で帰途に就く。

夕食は例の日韓関係どこ吹く。
今日もまた繁盛していたがどうにかスペースを作ってもらった。

そして帰宅し、オワコン仕事で溜まってる案件をこなしていく。
本当に忙しい週がもう始まってるよ・・・

そういえば今日の決死旅行でハ群を消尽したので、イロハシャッフルを敢行することにする。
今回のイロハは以下の通り。

ところで、オワコン仕事で溜まっている仕事があり、おそらく明日朝やろうとするとできなくなるので日付は跨いだが寝る前にこなしてしまうことにする。

また、昨日の令和納豆での決死が決死撮影史上最バズになり、「戦場カメラマン」という評価もいただいた。
これは、決死撮影にあたり目指していたものではあったが、しかし、あの令和納豆を追い詰めたい人たちからのいいねやRTばかりであり、これでは撮影を許可してくれたあの店の人に申し訳ない気がするのだ。
いろいろトラブルはあったのかもしれないが、そしてそのトラブルがあったからこそ行こうと思ったのだが、少なくとも自分はいい納豆を食わせて貰ったと思っている。
プチバズったとはいえ、どう処置していいのか戸惑っている。

また「戦場カメラマン」という評価に浮かれないことも大切だ。
戦場カメラマンといえばロバート・キャパも、沢田教一も、戦場でその命を散らしているのだ。
同じような結末を見ないよう、注意が必要である。

 

 

 

 

 

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