ノープランでマニラ

2025年5月3日、マニラは一日を通して蒸し暑く、午後から夜にかけてにわか雨や雷雨の可能性があります。朝は曇りがちで、日中の最高気温は33度、最低気温は29度の予想です。夕方以降は大気の状態が不安定になり、局地的な雷雨に注意が必要です。湿度が高いため、外出時には熱中症対策とともに、傘を持って出かけると安心です。

目が覚めたら6時過ぎ。
昨夜は3時近くに寝たので、明らかに睡眠不足だ。
朝食は10時までなので、もう少し寝ててもいい位だ。

それに加えて、今日は全くノープランなのだ。
だから、特にどこに行くでもなく、過ごしていたいところだ。

それでも、8時過ぎてしまったので朝食に出ることにしよう。
1階というかグラウンドフロアーでは朝食バイキングをやっている。

それぞれの食器や食材に、中国語表記が書いているのだが、それがいちいち面白い。
フォークは「叉」、スプーンは「勺」、マーガリンは「人造黄油」。
ただ、ご飯がパサパサなのはいただけなかった。日本以外の国ではまぁこんなもんだろう。

9時が過ぎたので、外に出ることにする。
とは言え、特に何を見たいというわけでもないのだ。
ただ、単にフィリピンに行ったことがありますという実績を作りたいだけ。

このホテルの周りには、高級ホテルがずらっと並んでおり、金持ってそうな客がウロウロしている。

そして、巨大な陸橋を渡って空港に行くことにする。
空港に行かないとバスに乗ることができないので。

まず空港でやることと言えば、お金をおろすこと。
もはや両替なんて使わない。
VISAカードのデビットカードで手近なATMからお金を下ろすだけ。

羽田空港もそうだが、マニラでも空港は巨大なバスターミナルとなっている。

とりあえずどこに行けばいいのか。
「PASAY」とあるバスに乗れば一応、ライトレールの駅に行くことはできるのだろう。

社内は既に満員になっていた。
そして運転手は切符を売り歩く。
PASAYまで40ペソで行くようだ。
40ペソ分の金券が千切って渡される。

10時ちょうど、バスは出発する。
通路にもビッシリと人が埋まっている。

空港を出てしまうと、後はアジアンカオスな街並みだ。

Google Mapで見る限りでは、想定していた経路と違うようだが、いずれにしてもライトレールのどこかの駅に到着すれば良いのだ。

そして、ライトレールの駅に近いどこかの街並みに到着したので、降りることにする。
生ゴミの匂いが鼻をつく、いかにも東南アジアの街並み。

近くにRedemptoristと言うLRTの駅がある。
ここから乗って行くことにしよう。
LRTは、日本の20mや18mの鉄道車両を思い浮かべるとかなり小さい。15mの銀座線の車両よりまだ小さい、2扉である。

北に行く1号線は、どうにか座ることができた。
この1号線の、セントラルターミナルと言う駅で降りてイントラムロスを目指すことにする。

イントラムロスというのは、16世紀にスペインが占領した時に建てた城郭都市である。いわば「旧市街」。

確かに、旧市街の面影を残している感じであるが、今やマニラの人たちの生活の場となっている。

このイントラムロスを突っ切っていくとマニラ大聖堂になる。
国内や国外の観光客がたくさんいる。
トゥクトゥクやサイクルリキシャだけではなく、馬車なんてのもある。

もう少し先に行くとサンチアゴ要塞がある。
ここは有料で、75ペソで入る。

この辺一帯は、スペインに占領されたときの諸々が残っているようだ。

しばらく、腰を下ろして、日記を追いつかせるなどする。
iPadはなぜか日本時間のままなので、13時台になっており、さっさと飯食わなきゃと思わされるのだが、こちらの時間ではまだ12時台である。

さて、さっさとサンティアゴ要塞を出て、どっかで食べることにしよう。

マニラ大聖堂を過ぎたあたりで、いい感じのレストランがあった。
小川ちゃんみたいな小人症の人が客引きをしている。
ここでドリアのような幅広パスタ・シーザーサラダ・アイスコーヒーを頼む。

その後、適当に歩いていたら「菲華歴史博物館」と言う博物館があったので、入ってみることにする。
つまり、在フィリピンの華僑の博物館ということ。この手の展示は割と好きだ。
しかし、戦時中の記述は日本に対する恨みがこもってるようなイメージ。

後は、やることもないので、適当にどこかに行こうと思うのだが、ノープランなので行くところがない。
ジプニーがどんどん通り過ぎていく。
ところで、ジプニーは行き先が割と同じようなので、調べてみると、「Divisoria〜Macuralan」と書いているジプニーが多い。
このDivisoriaとはどこなのか。調べると、この旧市街の少し北側のショッピングモールのようだ。
という事は、逆のMacuralanというのは南側にあるはずだ。
調べてみると、午前中にLRTを乗ったあたりがそれのようだ。
だったら乗ってみよう。

ということで、ジプニーの中の人となる。所々で降りる人がいて、「パラポー」と言って降りる。
その前にお金を渡す。
具体的にどのような料金体系になっているのかわからないが、20ペソの効果が2枚あるので、大体それで賄えるんじゃないだろうか。
そして、お金を渡す時は、前の席にいる人にバケツリレーみたいな形でお金を渡す。
そしてお釣りが返ってきたらまたそれを渡す。

それはともかく、頭が痛い。それもそうだ。
昨夜は3時近くに寝て起きたのは6時過ぎ。
絶対的に睡眠不足なのだ。

ジプニーの方はPASAYで「パラポー」と言って降り、そこから先はもうタクシーで400ペソ払って空港へ。
空港で目にエールの薬を飲んでベンチで寝込むことにする。

18時も近づいたので、夕食を検討することにしたい。

第3ターミナルなのだが、やたら日本を推している。
てんやがあり、ラーメン凪があり、弁当屋がある。
ちなみにラーメン凪は煮干しではなく、なぜか豚骨ラーメンである。

ただ、とんこつラーメンとしては、なかなか出来の良いラーメンであった。
それにしたって、なぜ「凪」なのか。

それはともかく、後は、もうチェックインカウンターでチェックインすることにしよう。
チェックインのほうは、あっさりとうまくいってしまった。

そして手荷物検査をしてボーディングを待つことにする。

102番ゲートで搭乗を待っている間はまたヴィーナス児の小説の新キャラ設定。

20時半になったので、搭乗が始まる。
どうやら日本のパスポートを持ってる人も何人かいるみたいだ。

昨日とは違って通路側の席であり、なおかつ出発もそれほど待たされる事はなかった。

機内では、睡眠時間を補うかのようにずっと寝ており、次に目が覚めた時は着陸寸前だった。

そして、ブルネイに入国する。ブルカをかぶった女性がイスラム教国の情緒を感じさせる。

ブルネイもまたオンラインで入国カードを書くことになる。
イミグレを待っている間に書き終えることができた。

そして到着ロビーに来る。ホテルは空港から近いところではあるが、1キロ強ある。
ここはタクシーで行くことにしよう。

カードでお金を下ろそうと思ってもおろせない。

ブルネイのタクシーアプリ・ Dartを使えばタクシーが来てくれるようだ。

カードですぐにお金を充填して、タクシーを呼ぶ。
ドライバーの名前と車のナンバーが表示される。しかし、遠い駐車場に歩かなければいけない。

それでもすぐにタクシーを見つけることができた。
運転手はヒゲを生やしており「歩いたかい?ルールだから仕方ないんだよ」と言っていた。

そしてホテルへ。チェックインもスムーズに進み、部屋に入ることにする。
ただし、コンセントが少ないのが難点だ。

後は、日記を追いつかせることにしよう。

今日の決死出演は4名(累計8名)。

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