父母を父母へ

本日(令和7年3月29日)の小笠原諸島の天気は「晴れ時々曇り」です。
最高気温は23度、最低気温は21度の予想で、日中は暖かく過ごしやすい気候となります。降水確率は20%と低く、雨の心配はあまりありませんが、空全体がすっきりと晴れ渡ることはなさそうです。
曇りがちな理由は、小笠原諸島が現在、高気圧の縁に位置しており、湿った空気が流れ込んでいるためです。この湿った空気の影響で、低い雲がかかりやすく、ところにより日差しが遮られる時間帯もあります。
また、気象庁は小笠原村に濃霧注意報を発表しています。朝晩を中心に視界が悪くなるおそれがあるため、船の運航や屋外での移動には十分注意が必要です。

エアベッドは既に送り出しているので、ソファーで目が覚めたら5時過ぎ。

父上と母上は既に起き出して、朝食の準備や洗濯をしている。
ゴミも玄関に置いてある。

今日の朝食は、ハッシュポテト・さつま揚げ・目玉焼き・大根おろし。
それとえのき茸の味噌汁。

今日は父上と母上を母島に連れて行くことにしている。
ははじま丸の出港は7時半だ。

まずはゴミを集積所に捨ててくることにする。
31日の月曜日の昼が退去の点検なので、それまでにはなるべく空っぽにしなければならない。

そして、乃公おれは早めに行って、ははじま丸のチケットを買いに行くことにする。

外は曇っており、決死にはちょうど良い。
それで、今日の決死楼山にしたのである。
楼山は前髪が庇すので炎天下の決死には全く向いていない。

ともかくも、3人分のチケットを買う。
島民以外は往復は買えず、母島でお買い求めくださいということである。

そのうち、父上と母上も桟橋に来た。
そして乗船する。

9時半、定刻にははじま丸は出港する。
奇跡的に、後ろのカーペット席を陣取ることができた。
父上は2階に上がって海を見ている。

こちらは、ははじま丸なんて何回目かになるので、すっかり飽きている。
それで、ヴィーナス児の生成なんかしている。
こんな息子になり果ててしまったのだ。

母島に近づき、iPadを充電して2階いや3階に行くことにする。
直射日光も激しいし、風も激しい。決死には全く向いていない状況。

それでも、沖港の湾に入ると風も凪いできて、決死しやすくなってきた。
乳房山のほうは霧が掛かっている。

アングルを変えて決死してたら、下船時間になってしまった。
2階にいる老人たちが全然降りてくれなくて、こちらはカーペットルームまで荷物を取りに行くことができない。

結局、どうにか最後の客として荷物を取って降りることができた。

母島に到着して、まず最初に案内するところは、小剣先山が良いだろう。
ユーチューバーのドスコイによれば、20分程度で登ることができるという。

途中、農協の店は改築中だったが、ずいぶんおしゃれに変わるようだ。

ということで、階段を登ることにする。
母上は、途中の草花を撮影しながら登っている。
植物学的には、小笠原諸島はアジアではなくオセアニアなので、珍しい草木が多いのだ。

ところで、今日1日曇りの天気予報だったのが、だんだん晴れ間が見えてきた。
正直、決死撮影するには不都合だ。

いとも簡単に登れるかと思ったら、途中険しいところもある。
父上も母上も辛そうに登っている。何だか申し訳無いおもさげねえ気がする。

ともかくも、小剣先山の山頂に到着。
母島の集落が一望に見渡すことができる。

基本的に、父上と母上がいる場所なので、決死に割ける時間もあまりないだろうと思って、前髪が庇さないようにデコ出しのメンとしてジャスミンを連れてきたのだ。

ところで、決死しているこちらをじっと撮影しているママがいてぎょっとする。
肖像権ガン無視で無神経なのはお互い様ではあるのだが。

ともかくも、山を降りることにしよう。
父上と母上は「西国三十三ヶ所廻りよりは楽」と言っているが。
そんな所にも行ってるらしい。

ともかくも無事に山を降りることができた。
この時点で10時40分過ぎ。

さて、次ははどこへ行こうか。
父上と母上は霊場巡りが好きなようなので、寺社仏閣を巡るべく、清見寺と月が丘神社に行くことにする。

昼食も近いので、88カフェに行くべく漁港のほうに行こうか。

そう思って88カフェに行くと満席であるという。
仕方がないので、大漁寿司に行くことにしよう。

大漁寿司は相席ではあるが、どうにか座ることができた。
乃公おれと父親はカツ丼を、母上は冷やし中華を頼む。

冷やし中華はステンレスのボールに入って出てきた。結構ワイルド。

12時10分ごろに食べ終わるが、時間もあまりないので、ロース記念館に行く程度にすることにしよう。

そしてロース記念館へ。
父上も母上も戦前の写真や品物を興味深そうに見ている。
案内のボランティアのおばさんによれば、現在石破が慰霊祭で硫黄島に来ているという。

あとはガジュマルの下で休む。

iPhoneのバッテリーはもう5%ぐらいしかない。
モバイルバッテリーも持ってこなかった。完全に失敗だ。
そもそも昨夜は充電しておらず朝から70%ぐらいしかなかったのだ。

13時15分ぐらいになり、沖港の船客待合所せんまちに行くことにした。
ここで帰りの切符を買って乗船を待つ。

そういえば母島では乗船名簿を受け取らないといけないのだったが、最近はプラスチックというかラミネートで使い回しにしているようだ。

そして13時40分過ぎに乗船開始。
どうにかカーペット席に陣取り、電源も確保。

いよいよ、母島も本当に最後になってしまうのだ。おそらくもう来る事は無いのではないだろうか。
子供たちが鯨のぼりを振ってお見送りをしている。

父上と母上はははじま丸の2階デッキで外の景色を眺めているようだ。

あとは、拙ブログのヴィーナス児の記事をアップロードしたり何だり。
結局やる事はそういうこと。

ところで、iPhoneの方でバックアップしているGoogleフォトのアカウントのほうにバックアップささらない(北奥羽方言)。
バックアップできないと、マカ垢の方にもバックアップささらない(北奥羽方言)のだが。

のんびり寝て2階に上がってみたらもうハートロックも過ぎている。

そして左前には大村の市街地やおがさわら丸が見え始めた。

そして二見港に到着する。ははじま丸の前方には、巨大な四角い穴がある。
ここにクレーンでコンテナを積み込むらしい。

ともかくも降りて帰宅する。

夕食はどこか飲み屋で食べたい、そして亀刺しを食べたいというので、どこにするか迷う。
裏通りはどこの店でも新亀のシーズンだ。

そして帰宅して居酒屋が開店する17時半まで休憩。
こちらはまたヴィーナス児の生成。本当に飽きないね・・・

そして17時半になったので、夕食に繰り出すことにする。
さてどこにしようか。波食波食ぱくぱくでもいいのだが、ここは一品料理は出してくれるのだろうか。とりあえず今回はチャラにすることにしよう。
そう思ったら18時からるのだという。
仕方がないので、隣のコモへ。ここで新亀を食べてもらう。
とは言え、亀の刺身だけだったが。
亀煮込みは要らないと言う。
その他にもいろいろ食べてもらう。

後は帰宅する。このような島なので、星もきれいに見える。

しかしなんだかずいぶんと暑いような気がする。
今シーズンの冷房初め。

あとは、明日どれだけの荷物が運べるかにかかってくる。
朝食はなるべく早く終えて、荷物を送り出すことに専心することにしよう。

がらんどうになった部屋で、例によって無為にTwitterなんか見ている。
ミャンマーでは昨日の大地震で死者が1000人以上と。それで済むだろうか。

22時も近いので風呂に入ってしまうことにしよう。

そして23時ぐらいに風呂から上がる。
SNS周りをやってしまおう。
がらんどうになった寝室にいると、下から24−1や24−4の声が聞こえてくる。

さっさと寝てしまおう。

今日の決死出演は5名(累計8名)。

 

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