北朝鮮KCTVの番組「革命逸話 深く関心を持たれた問題」🇰🇵
今回のテーマは元山の葛麻食料工場。
日本海…じゃなくて朝鮮東海のスケトウダラを加工している。
ちなみに朝鮮でスケトウダラは「명태」(ミョンテ:明太)。日本の「明太子」と語源は同じ。
で、敬愛する最高司令官同志が現地指導に来られたのだというが、それは朝鮮新報によれば2014年のこと。
7年前とは言っても、日本だって天皇陛下の御台覧とあればいつまでも語り継ぎたいもの。
そういえば富津市の高宕山自然動物園では昭和32年に皇太子殿下(現:上皇陛下)が御台覧された写真があった🇯🇵
今日は本当は尾瀬〜日光のバスに乗りたかった。
6時に一度起床したのでできないこともなかったが、また寝る事にした。かなり疲れていて体がだるい。
結局、9時過ぎに行動開始。
新八柱の吉牛で朝食。
老化のせいか普通盛り。
じゃオワコン仕事… ならぬ직맹仲間で定年間際のあの人の大食いとか何なんだ。
それはいいとして武蔵野線で南浦和へ。
南浦和から京浜東北線で大宮へ。
Yahoo路線では、上田に行くには12時台の「はくたか」と出ていたが、11:48にはくたかがあるではないか!
大急ぎで「えきねっと」にログインして切符を買おうとするが、「もう締め切りました」と。
仕方がないので券売機で自由席券を買って飛び乗る。
エスカレーターを走って駆け上がって、どうにか間に合った。
間に合ったはいいが、これからどんな風に収鋲していこうか。
少なくともJRバスの長久保駅と災害から復旧した上田交通別所線には乗りたい。
ということはV字型に乗るのか?
そう思って時刻表を調べると、どうも接続がうまくいかない。
というか、上田から直接JRバスで行くよりも、上田交通バスの下之郷〜西丸子線を使った方が良さそう。
しかしその下之郷〜西丸子線は、日曜日は全く走っていないという。
この状態で長久保に行っても恐らくは虻蜂取らずになって面白くなさそう。
上田とか東信方面で収鋲してない所はというと…
では今回は国鉄バスの芦田駅にしよう。それで長野県北佐久郡立科町を収鋲としよう。
それで、予定を変更して軽井沢で降りることにする。
乗車券や特急券を無駄にしないのであれば、続行の「はくたか」に乗れば軽井沢〜佐久平には乗れるが、ここまで来たのであれば、軽井沢駅とか草軽のジェフリーとかを見てから行きたい。
ということで軽井沢の改札を出る。
ここでジェフリーを撮影するなど。
現在でも軽井沢駅の旧駅舎の改札口はしなの鉄道の改札として機能しているようで「旧駅舎口」と呼ばれている。
ともあれ12:28の小諸行きに乗ることにする。
しなの鉄道の小諸行きは115系だった。
車内はまだ国鉄の面持ち。
そういえば大学の先輩で軽井沢町出身で野沢北高出身の人がいた。
あのあたりだと野沢北なのか。
幹線筋から支線筋の旧制中学に通うってエモいな。
例えば取手とか牛久あたりから龍ヶ崎一高とか。
まあいいかそんなのは。
さほどの時間もかからず小諸に到着。
同じホームの向かい側で待っていたのは同じ115系で湘南色である。
これはまたエモい。
城ヶ崎は本来小諸・佐久平で決死に出そうと思っていたが、小諸までで枠を消尽してしまう事に。
そして小海線の中込行きに乗って佐久平を目指す。
途中、東小諸と乙女は信越本線というかしなの鉄道にピッタリ近接している。
買収私鉄ならではの情緒。
佐久平が近づくと小海線は高架になる。
え?高架?
普通は新幹線機方が高架になるものだと思うけど。
そして佐久平に到着。
支線筋の後付けの新幹線駅らしく、在来線は棒線駅になっている。
これは新花巻も同じだ。
バスの時間までは余りない。
急いでバスの乗り場へ行こう。
芦田へ行くバスは千曲バスであった。
芦田といえば国鉄バスというイメージだったが、それはあくまで信越本線の小諸からの培養路線で、北佐久郡の中心である岩村田とは千曲バスで結ばれているということらしい。
立科役場前行きのバスは、中山道を登っていく。
いかにも宿場町というような街並みを抜けていく。
そして国道筋から抜けて細い道を行くと、望月のバスターミナルとなる。
駅舎こそないが転回場あり上屋ありで、それなりに「バス駅」の面持ちはある。
小諸からの国鉄バスも来ており、第二種自動車駅ではあったのだろうか。
そして山あり谷ありを抜けて行き、この路線で何個目かの宿場町に辿り着くとそこが立科町役場前となる。
立科町役場は街道筋から少し外れた、信州らしい高原の風景を見渡すことができる。
この立科町役場前のバス停の向かいに、国鉄バスの芦田駅だった建物がある。
後年、商店に売り渡されたようだが、確かに商店や住居にしては硬さのある建物である。
さて、昼食を食べる事にしたい。
近くの街道筋に、何とヴィーガンレストランがある。
古民家を改築したのだそうで、なかなか意識高い系。
さて、腹も膨れてあとは大屋行きのバスに乗るだけだが、30分近くあるのでその間に宿場町としてに芦田を見てみたい。
ヴィーガンレストランの斜向かいに「芦田宿 本陣」というのがある。
「本陣」なんてものものしいイメージがあるが、そもそもの話、江戸時代なら大名行列が通ったのだ。
お殿様がお泊まりになるならそれは「本陣」に決まっている。
芦田宿では現在でもその本陣が残っている。
しかしその当主の表札も掛かっている。
つまり現在でも住居として使用しているということ。
入っていいんだか悪いんだかとにかく案内の出ている所なら入っていいものと合点し、少し見てみることに。
本陣として使用していたであろう建物は、流石に現在は住居として使ってはいないようだ。
でも維持費用は掛かる事だろう。
光線状態も芳しくなく、いい写真が撮れない。
さて、いい時間になったので大屋行きのバスに乗ることにしましょう。
大屋といえば上田丸子電鉄が丸子まで分岐していた駅。
昭和31年まで小県郡神川村だったようだが現在は上田市に属し独立した自治体ではないが、それなりにターミナル機能はあるようだ。
大屋行きのバスは東信観光バス。
千曲バスとは別のようだが千曲バスと色は同じである。
系列会社なのだろう。
やはり山あり谷あり信州の大自然の中をバスは走り、大屋の市街地へ。
そして大屋駅に到着。
駅舎は、以下にも上田丸子電鉄の頃を知っているような木造駅舎である。
えーと、列車は16:11ね。了解。
ところで腹が猛烈に痛い。
何が悪かった?軽井沢の駅で買った味噌チーズ?
とにかくどこかトイレ行かないと。
駅の外側にそこそこ立派な様式トイレがあった。
よかった…
スッキリして駅舎に戻ったら小諸行きが来てる?
そうか。
あくまで16:11というのは上田方面。
田中駅って上田方とは逆方向だったか。
乗り逃がしてしまった…
どうする?
東御市収鋲は諦める?
しかし田中駅はなかなか好もしい木造駅舎だ。
仕方がないのでタクシーで行くしかない。
そしてタクシーで大枚はたいて田中駅へ。
ところが田中駅は木造駅舎であるとはいえ、リニューアルされてエセレトロ化している。
それでも台湾の田中駅と姉妹駅提携してるようで、大々的にアピールしている。
どうせならミャンマー鉄道と提携してはどうだろうか。
タナカだけに。
さて、あとは帰るだけとなってしまった。
軽井沢からでも上田からでも同じ新幹線になるようだ。
ならば軽井沢からにしようか。
軽井沢行きは、午前中に軽井沢から乗った車両と同じだった。
軽井沢に到着し、EC40を撮影するなど。
さて、今回の収鋲は終わり。
あとは新幹線で帰るだけ。
大宮で夕食にすることにしよう。
そして髪を分けれそうなくらいに伸びてきたのでQBハウスで散髪もしよう。
そう思ってQBハウスを探すも見つからない。
Googleマップにはあるのに。
仕方ないので夕食を先にしよう。
大宮で夕食となると、すた丼か凪かいつも悩む。
結局「凪」にしたけど。
夕食が終わり帰るだけ。
時間的に「しもうさ号」には乗れない。
じゃ埼京線で行こうか。
武蔵浦和で乗り換えなので、1駅分座れる確率は上がるはず。
そう思って埼京線の階段を降りると、QBハウスは何と埼京線の乗り換え階段の所にあった。
そりゃ見つからない訳だ…
埼京線は大宮発新宿行きがりんかい線の70-000系で、つまりはアルバイト運用。
武蔵浦和で乗り換えると、埼京線を選んだのが功を奏しコーナーに座れる。
あとは帰宅してブログ付けだ。
今後の方針として、TwitterとInstagramは以下のように運用しよう。
・Twitterは「収鋲」
・Instagramは「旅行」
・Instagramはこれまで「いいね」が20個溜まるたびに次の投稿としていたが、今後は「いいね」の数にかかわらず、フォローしてる人の縦ハボがしきれる範囲で1つ投稿することにする。