回顧録です。(2023年5月8日しるす)
ということで旅の始まりは大阪駅ですよ。
JR西日本は物持ちが良いので、103系がまだ走っている。
201系もまだ走っている。
1月で廃止になるという阪堺電車の住吉公園駅。
日本一早い終電ですよ。
電車も古ければもっと良かったが・・・
猫駅長がヒットした和歌山電鐵は明けても暮れても猫一色である。
車体にも猫だらけである。
乗客数は順調に増えるか・・・
ということで、経県値に和歌山が追加。
湯浅で「くろしお」退避の8分間で跨線橋を渡り決死ですよ。
湯浅の駅名標にて。
サンダバを交流電装解除した「くろしお」が通過。
さて、御坊で慌ただしく紀州鉄道に乗り換えて、終点の西御坊まで来ましたよと。
光線状態はよろしくない。
ホームの端はスペース的にかなり厳しい。
西御坊での折り返しは40分ぐらいあるので、車庫のある紀伊御坊まで歩いて行く。
鉄道部が入っているのもこの駅。
そして元大分交通のキハ600。
ということで御坊に到着。
紀伊田辺方面は、これは103系か・・・?
いや、裾が絞ってあって3扉なので113系だ。
ということで、須川まきこさんの出身地である紀伊田辺ですよ。
この界隈の車両は全てマリンブルー。
オーシャンビューくろしおが到着。
朝来で「くろしお」との交換待ちで3分停車。
その間に駅も撮ってしまう。
交換シーンを取ろうと思ったらカメラの電池切れになったので、改めて白浜で。
串本でも5分ぐらいあるので決死ですよ。
ここから先は太陽と影の方向も違ってくる・・・
紀伊田原で「くろしお」との交換で3分停車。
駅舎は向こう側にあるので行くのは無理だが、それでもホーム上で決死に励む。
JR西日本とJR東海の境界である新宮での乗り換え時間はたったの6分。
それも直射日光が激しいときてやがらあ。
SL時代の洗面所が残る。
そしてJR東海のキハ25。
阿田和でも「南紀」と交換のために5分停車。
5分もあれば構内踏切を渡って駅舎まで取っちゃいますよ。
「南紀」とのすれ違い。
熊野市でも列車交換。
熊野市は那智黒石の産地だという。
交換する列車も普通列車。
尾鷲の2分停車でも果敢に決死ですよ。
とは言っても、駅舎側で人通りも多く、ドアの外から写真を撮るのが精一杯・・・
紀伊長島に到着するとすっかり日も暮れている。
それで駅前の決死は無理だったので待合室にて。
たしかこの辺りが紀勢本線最後の開業区間だったような気がするのだが・・・?
Wikipedia.jp:三瀬谷駅によれば、
1959年(昭和34年)7月15日 – 三木里駅 – 新鹿駅間の開通をもって現在の紀勢本線が全通し新たに亀山駅と和歌山駅(現在の紀和駅)の間が紀勢本線となり、当駅も国鉄紀勢本線の駅となる[1]。
違かった。
兎も角も今回出るのは真夜。
行灯形ではないので撮りやすい。
この紀勢本線の神髄ともいえる和歌山~多気間の旅もこれで終わり。
やたらと鉄建公団情緒のする駅である。
関西本線で橋げたにトラックがぶつかったとかで遅れ。
さて、名古屋に到着して高速バスに乗るばかりになりました。
新幹線口の何かのオブジェ。