回顧録です。(2023年5月5日しるす)
今日は金沢方面に行くことにする。
取りあえず朝は4:30に起きて6時台の「かがやき」に間に合う。
何でも、新庄行きの「つばさ」は前日の車両故障で車両繰りができず、東京~福島に臨時の「やまびこ」が出るらしい。
さて、金沢に到着です。
金沢名物噴水時計と鼓門。
霧ヶ峰の石川県バージョン。
さて、福井行きの鈍行で小松に到着しました。
かつて北陸鉄道小松線や尾小屋鉄道を分岐していた小松も今や高架駅です。
しらさぎとサンダバが追い抜く。
相変わらず金沢以西は特急街道である。
ということで、粟津で下車する。
この駅舎は、Wikipedia.jp:北陸鉄道粟津線(昭和38年廃止)も知っているだろうか。
どうも鉄道曲線にしか見えない自転車道なのだが・・・
今回の現地指導の目的である、小松市粟津児童館のなかよし鉄道は、土日に1日2回走ると言うことは知っていた。
・・・で、雨の日は休みだと!?
気が気ではなかったが、どうにか運行することに。
また、小松空港がある街だけに、飛行機も展示している。
これは昭和33年製で、中日新聞が使っていたのだと。
ところで、なかよし鉄道の運転手さんは、「普通の児童館の先生」といった感じの女性が、手際よくノッチを捌いている。
終わった後で車庫を見学させてもらう際に話を伺うと、
「ノッチさばきがうまいなんてとんでもない。
もっと上手い人はいますよ。年配の方です。
運転の練習は3か月ぐらいします。
何しろ古い車両なので、メンテナンスも気を使いますよ。
雨が降ったら動かせませんけど、もし無理して何かあったら、永久に動かせんようなりますから・・・
向こうにあるDC(機関車DC121)は、毎年5月5日の交流イベントと、8月の第3日曜日の尾小屋鉄道を守る会のイベントで走りますよ。
守る会の人は運転も慣れているので、雨の日でも動かします。マニアの人もたくさん来ますよ。
金沢のホテルは取れなかったんですか?それは珍しいですね。
でもきっと今年だけですよ。来年は泊りがけでゆっくり来てください。
今の季節はお寿司屋さんがお勧めですよ。お魚の身が締まって美味しいです。」
さて、粟津から戻って、金沢駅の1つ手前の西金沢で下車。
西金沢も駅舎が経て替わって高架化している。
目的は、北陸鉄道の新西金沢である。
新西金沢のホームには独特の風除けがある。
待合室を建てるほどホームも広くないだけに?
車両は元東急の7000系。
新西金沢から、13:15の野町行きに乗るはずだった。
しかし、12:57の鶴来行きが先に来るという。
・・・と言うことは、その12:57は、13:15の野町行きとどこかですれ違うはずだ。
石川線の電車は、全て額住宅前ですれ違うという。
・・・と言うことは、その1つ手前の駅であれば、丁度いい余裕ができるはずである。
それが馬替であった。
ということで、下車。
馬替駅には、「馬替駅」と言う看板があるわけでもない。
これが北鉄スタイルなのか?
・・・と思う間もなく、逆の野町行きが来る。
京王ステンプラカー。
中央弘前に並ぶ、地方都市の単独ターミナル・野町駅。
ついに線路は1本だけになってしまった。
それでもバスの便は充実している。
すぐに香林坊や武蔵が辻に行ける。
さて、金沢の中心街・香林坊である。
そこから程近い場所に旧制四高がある。
旧制四高がこんなに市街地に近いとは思わなかった。
旧制高校なんて「栄華の巷低く見て」世俗を離れた丘の上にでもあるんじゃなかったのか?
金沢市役所の向かい側にある、この壮麗な建物は、どう見ても昔の石川県庁である。
(現在の石川県庁は、金石往還沿いに移転)
現在は、「しいの木迎賓館」と言うのだという。
金沢に来た以上、まともな観光を1つは入れておきたい。
ということで兼六園へ。
日本武尊の銅像だと。
経県値をまた上げた。
そして今度は浅野川線に乗り内灘へ。
ステンプラカーの車内。
北鉄金沢では電車の発車時刻が近づくと、列をなして整然と並ぶ。
余裕をもって旅程を建てたので結構時間が余った。
ということで、金沢市玉川図書館へ警察史の渉猟に行くことに。
・・・が、石川県警察史にはどこにも犯罪史の記述は無い。
どうにか「加賀能登」と言う本に、「忘れられない事件」として申し訳程度に載っていた。
持田の決死は、いつも帰りしなが多いような気がする。
兎も角も金沢のゆるキャラ「ひゃくまんさん」。