児玉郡収鋲

梅雨前線はわりとすぐ南にあるが、中心となっている低気圧は過ぎ去っているようだ。
予報はと言うと、パラパラ雨が降ることもあるようだが、昨日のようなベッタリとした雨では無い予想。

北朝鮮KCTV「録画報道:畜産に力を入れている」より🇰🇵
まずは慈江道は江界ヤギ農場。
そもそもなぜヤギなのかといえば、ヤギが劣悪な環境でも育てやすいからそれだけである。
個人的には、ヤギの乳も肉もそれほど口にしたいと思えるかといえば難しい。
でも沖縄のヤギ刺しは良かった。

こちらは平壌市江南郡は永津協同農場。
ヤギだけではなく、アヒルや豚など色々な動物を飼っている。
やはり個人的な話ではあるが、アヒルの肉は脂が乗っていて美味。

目が覚めたのは6時台。
今日は、8時39分の新京成線で出ることにしている。
やっぱり、分単位で予定を設定すると比較的うまくいくような気がする。

Tumblr案件や、副産物ブログ案件をこなすなど。

そして出発することに。
そろそろミントスプレーも買い直さないといけない。

そして、新京成線で八柱へ。
新八柱から武蔵野線に乗り換えることにする。

武蔵野線ではコーナーに座ることができた。
車内では、副産物ブログを3記事ほどつける。

そして南浦和で京浜東北線に乗り換えて浦和へ。
浦和から乗る高崎行きの快速アーバンは、グリーン車ではなく普通車に乗ることにする。
まぁいろいろ緊縮財政なので。

どうしても座りたいので、11号車から15号車の付属編成のほうがいいかなと思ったが、この付属編成は籠原までだと言う。

まぁ籠原までは、この付属編成に乗っていればいい。
籠原に到着したら、分離風景を撮影がてら10号車に乗り換えれば良い。

さて、今日は高崎線に乗って何がしたいのか。
それはダークツーリズムとなる。

それは昭和34年のこと…

第一報は昭和34年11月29日の埼玉新聞に載っている。

それは、11月18日の朝9時ごろだった。
子ども連れの浮浪者が、高崎線神保原駅の北側を歩いていると、桑畑に男の死体があるではないか!
急いで警察に届け出た。

その死体の身元はすぐに判明した。
富山県滑川市の男のようであった。
死因は、首を絞められて歩行状態になったところを列車から突き落とされて死んだようであった。

遺留品の書類から、静岡県三島市で取引をした帰りではないかということが推測された。

では、どの列車から投げ落とされたのか。
推測されたのは、21時15分上野発の信越線経由金沢行きの急行「北陸」、または、上野発23時50分の信越線経由米原行きの普通列車611列車ではないかと言うことであった。

ただ、被害者が静岡県三島市を出たのは、18時半ごろであったと言う。
そうすると、上野発21時15分の北陸には間に合わないであろう。
そうすると、611列車ではないかと言うことが推測された。

翌11月30日の埼玉新聞でも、この事件のことが報じられている。

何分にも、列車内で発生した殺人事件である。
埼玉県警の協力を依頼したのは、警視庁、静岡、神奈川、君も、長野、新潟、富山の各警察本部にまで及んだ。

被害者の足取りとしては、静岡県の井川ダムの建設現場で働く長男がガス爆発で重傷を負ったことから、現金と米を持って富山から訪れ、その帰りに三島市で取引を行い、三島から18時30分の列車に乗り、23時50分に上野から米原行きの普通列車に乗ったようである。

米原に到着した列車を調べてみると、被害者の中折帽が発見されたと言う。
しかし、ボストンバックは発見されなかった。

服装に不釣り合いな立派なボストンバッグを持った被害者に目をつけて犯行に及んだのではないかと言う見立てがなされた。

そして月が変わり、昭和34年12月1日の埼玉新聞。

そもそも、事件のあった611列車と言うのはどのような列車であったか。
機関車に牽引され、前6両は上越線経由の新潟行き、後8両は信越線経由の米原行きのようであった。
これが分割されるのは、もちろん高崎駅となる。

被害者の中折帽は発見された、つまり被害者が乗っていたと推測されるのは、後から4両目の三等車であった。

また、調べてみると、死体が発見された28日の朝、早朝の上野行きの列車でやはり強盗団による列車強盗が発生していることがわかった。

事件のあった611列車は、28日の午前2時34分に高崎駅に到着する。
強盗団による事件があったと言う上野行きの列車は、朝5時25分に軽井沢を出発し、高崎は7時25分に発車する。
同じ強盗団よる犯行は、充分可能である。

そこまでわかったにもかかわらず、犯人については全くわからない状態であった。

全くの余談ではあるが、この当時の横川〜軽井沢間はまだアプト式でED42が後ろに付いて押し上げていた時期である。

そして、犯人は杳として行方が分からなくなっていった。
事件から1週間が経った昭和34年12月6日の埼玉新聞では、問題の611列車について報じている。

問題の列車に、埼玉新聞の記者が乗って取材をしてみたようだ。
車両は、同じ後から4両目の三等車である。

夜の23時50分に上野を出発した列車は、ほぼ満員であり、遠距離旅行者に混じって、飲み屋のマダムやバー、カフェの女給や愚連隊らしいものもかなり目立ちでも治安の悪い車内だったようである。

車内ではタバコの煙が渦巻いており、水商売の女給たちの甲高い声で列車の轟音もかき消されると言う状態だったと言う。

上野出発した時は立ち客もいたようだが、赤羽を過ぎたあたりではほぼみんな座っていたようだ。
車掌が検札を始めると、長距離旅行者は多いようだが、終点米原まで行く客はおらず、長野県内が多いようであったと言う。

そして事件のあった、神保原を過ぎると、記者は眠りこけていたようだ。
周りの客も眠りこけていた。

このような状態であれば、何も殺さなくても盗みはできたのではないだろうかと記者は見ていた。

「埼玉年鑑」昭和35年版では、昭和35年夏ごろまでの出来事を取り扱っているが、この時点で「まだ犯人は見つかっていない」と記述している。

結局、この事件は迷宮入りしたようである。

さて、ダークツーリズムへと戻りたい。

高崎行きの電車は、埼玉県北部の田園風景の中を行く。
熊谷あたりまでは、まだ米作地帯が多いようである。

そして、籠原に到着。
籠原で、前の5両を切り離すことになる。
11号車に乗っている自分は、隣の車両に映らなければいけない。

で、切り離し風景であるが、サンライズとかであれば、お客さんが集まってスマ歩で取ったりするものであるが、籠原におけるそれは、作業員は1人立ち会ってはいるが、非常に呆気ないものであった。

ほどなくして、籠原を出発。

籠原を出発すると、神保原までの時間はそれほどないので、副産物ブログをつけるでもなし、非常に中途半端な時間となる。

ほどなくして、10時48分に神保原に到着した。
神保原駅は、埼玉県児玉郡上里町の中心駅である。
とは言え、上里町自体は、関越自動車道上里パーキングエリアによることで既に収鋲は済んでいる。

神保原の駅舎は、なかなか良い木造駅舎である。
おそらくは、事件発生当時もこの駅舎だったのではないだろうか。

EF57が客車をひいていたり、80系湘南電車が走っていた頃の息吹を伝えてくれる。

さて、では現場に行きましょう。

事件現場は、イオンタウン上里の近くであり、そこまではコミュニティーバスが走ってはいるようではあるが、日曜日は走っていないようだ。
それで、1キロ位を歩いていかなければいけない。

次に乗る予定の電車は、12時07分なので、それまでに神保原駅に戻って来なければいけない。

大丈夫だろうか。タクシーで行ったほうがよかったのだろうか。
それでも、いよいよとなったらイオンタウン上里からタクシーに乗ることにして、とりあえず行きだけを歩いて出発することにしたい。

周囲は、畑作地帯が広がる。
しかし、イオンタウン上里の反対側あたりは、水田地帯となっていた。

いみじくも、パトカーが追い抜いていく。

おそらくはここではないかと思われる踏切に到着。
多少、住宅や工場は立っているが、ほとんど当時と変わらない風景なのではないだろうか。

さて、踵を返して神保原駅に戻ることにしたい。

戻りは意外と速く、11時50分ごろに戻ることができた。
後は12時07分の小田原行きに乗るだけ。

その小田原行きに乗って、本庄に到着。
本庄駅西口のセブンイレブンで、納豆巻きを買って食べて昼食とする。

そして、神泉総合支所行きの朝日バスに乗って丹荘駅入口を目指す。

バスは丹荘駅前を通らないので、丹荘駅入口で降りることになる。
とは言っても、それほどの距離ではない。
すぐに丹荘駅に到着した。

丹荘駅は、その昔は上武鉄道が分岐しており、日本ニッケル前駅まで小さな客車が走っていた。
しかし今や、交換設備も取り外され、単なる棒線駅になっている。

さあここで13時16分の高麗川行きを待つぞ…と思ったら何やら駅員がいる。
交換設備まで取り外される位なので、ここは有人駅ではそもそもない。

どういうことかと思ったら、アナウンスで「群馬藤岡から丹荘の間で倒木があって遅れている」と言う。

倒木の撤去は13時45分ごろで、運転再開は13時50分ごろであると言う。

まぁ別に急ぐ旅ではないんだけど。
これを機に、今日のブログの新聞記事の部分などを書き進めてしまおう。
しかし、アナウンスがあったり風が強かったりで、音声入力がなかなかうまくいかない。

しばらくするとまたアナウンスがあった。
倒木の撤去作業が意外に順調に済んだらしい。
それで、13時半過ぎには運転を再開することになったようだ。
結局、遅れ時間としては20分程度となった。

駅にいた係員は「強風で木が倒れちゃったみたいなんですよね」と説明していた。
いずれにしても、この丹荘駅をもって埼玉県児玉郡神川町は収鋲としたい。(収鋲率:埼玉県92.1%、全国52.4%)

さて、高麗川行きに乗っていきましょう。

丹荘の次は児玉、児玉の次は松久である。
その松久で降りることにする。

松久駅は、埼玉県児玉郡美里町の中心駅であるが、単なる棒線駅である。

薄緑のカプセルのような駅舎を通り過ぎたら、また建物があって、そこは駅舎のようになっていた。
何か不思議な構造だなぁと思ったら、この薄緑のカプセルのような建物が松久駅の駅舎であり、その前面にあるログハウスのような駅舎のような建物が「美里町交流館」なのだと言う。

他の自治体のように、素直に駅と交流館を兼ねることができなかったのだろうか。
その辺に何か「大人の事情」を感じた。
いずれにしても、埼玉県児玉郡美里町はここにて収鋲としたい。(収鋲率:埼玉県93.7%、全国52.4%)

ともかくも、八高線全体がダイヤ乱れのようなので、しばらく次の高麗川行きを待つことにしたい。

…と、向こうから踏切の音が聞こえる。
もしかしてもう高麗川行きが来ると言う事?

意外と早く、高麗川行きに乗ることになった。
さて、これからどうするかであるが、普通に考えれば高麗川で川越線に乗り換えることになる。

ただ、最終的な目的地は新宿になるわけで、なおかつ、新宿にすぐ着いたところで何もやる事は無い。
埼玉県内のどこかで夕食を食べることにしたい。

そういう意味では、小川町で東武東上線に乗り換えて、川越の例の焼き鳥を食べると言うのもいいかもしれない。
しかし、今は緊縮財政中であるから、そんなに何千円もするようなものを食べたくは無い。

とは言え、小川町から川越市まで東武東上線で行き、本川越から西武新宿まで西武新宿線で行くと言うのは自分の中では確定した。

それで小川町で降りることにした。
小川町というのは埼玉の田舎の駅ではあるが、八高線のホームは7番と8番らしい。ずいぶん大きな番号である。

そう思って、東武東上線のホームに行くと、落雷による影響で森林公園から小川町が動いていないらしい。
今回の旅はいつもこんなのばっかりだ。
1番早いルートは、高麗川を経由することらしい。
そのようなことがわかっていれば、小川町で降りることなんかなかったのだ。

それはともかく、15時になったら八高線が来ると言うので、それに乗ることにする。
今度は八高線に救われることになった。

また、園田の決死をもってハ群も消尽したので、ここから先は決死は無し。

そして高麗川で川越線に乗り換える。
川越線も、すっかり八高線の高麗川〜八王子と運転系統が同化してしまっており、すっかり独立した系統になってしまっている。

ともかくも、その「川越八王子線」で川越へ。
ここから、20時のJデーまで何をすればいいかなのだが、ブログつけて夕食食ってという一連農行動とセットで考えないと行けない。

本川越からの時刻表を調べると、19時02分の急行が西武新宿に19時59分に着くようだ。

とりあえずそれは、川越駅から本川越駅まで行く間のクレアモールと言う商店街で考えることにしよう。
果たして、ガストがあったのでここに寄って充電がてらブログでもつけていることにする。

しかし、副業ブログの副産物ブログも、1日4記事に留めて、それ以外の時間を、仕事や직맹のことを考えることに当てようと思っていたのに、全然それができていない。
少し前までは、旅行中でも직맹に関してホテルでノマドワークできていたのに。
こんな気力のないことでいいのだろうか。

そんなこんなで、ガストの中での時間を無駄に過ごし、500いくらを払い、ガストを出ることに。
そして、本川越駅近くの天下一品テンイチへ。

天下一品テンイチではチャーハン定食のこってりを食べ1140円。
緊縮財政どこ行った?

本川越に行くと、1本早い18時40分の急行に乗ることができたので、それに乗って行くことにする。

西武新宿に到着するまで、ほとんどガラガラであった。
歌舞伎町に行くと言う客で結構混むのかと思ったら、意外だった。
もっとも、今日は日曜日で、明日は月曜日なので飲む客も少ないだろうと言うことは予想される。

さて、西武新宿に到着したのは19時39分。
歌舞伎町をゆっくり歩いたとしてもまだぽわんちゃんの店の開店までは20分弱時間がある。
というか、客引きがウヨウヨいる歌舞伎町をゆっくり歩きたくはない。

と言うことで、早くついてしまったが、時間を潰す所がない。
そんな時、区役所通りのローソンのイートインは助かる。
ちなみに自分はイートイン脱税はしない。

そして、ぽわんちゃんの店のアカウントで、オープンした旨のツイートがあったので、早速行くことに。
20時前に到着したので、自分が最初の客であった。

そのうち、どんどん客が入ってくる。
シャンパンも入る。

果ては、4人席まで埋まりだしたので、また自分自身も明日は出勤なので、早々に帰ることにした。

後は例によって新宿から代々木上原経由で千代田線に乗って帰る。

帰宅し風呂。
例によりKCTVを見つつ。

風呂から上がったら1時過ぎているが寝付けない。
札幌市電を支障して駐停車した若い男性のニュースなど。

これじゃ7:50の松戸始発だって怪しいぞ…

関連するエントリ(とシステム側で自動的に判断したもの)


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です