ぽわんちゃんの店の仮オープンから、1年近く通いつめてきたが、ぽわんちゃんはよく頑張っていると思う。
それもこれもひとえに、ぽわんちゃんの「生きる力」の強さではないだろうかと思うのだ。
曰く「私は店を守り抜く。店が潰れそうになったら風俗で働いたっていい」とまで言っている。
現在のところ、それは実行せずに済んでいるようだが。
ただ、それもこれも「美人である」からこその生き方だよな… と思うことも多々ある。
では、戦後すぐ、美人と生まれた九州のある女性の場合はどうだったのだろうか…
それは、昭和28年。福岡県でのことである。
その事件の第一報は、昭和28年1月18日の「夕刊フクニチ」である。
時代相としては、終戦からまだ8年しか経っておらず、まだまだ枢軸国であった日本も西ドイツも、軍備を持つこと自体が連合国や周辺諸国からの警戒にさらされていた頃である。
かといって、冷戦期でもあり、ソ連に対峙して西ヨーロッパの防衛はどのようにしようかと言うことも議論されていた。
それで、フランスを主導としてEDCと言う枠組みで集団的自衛権を発動する枠組みを作ろうと画策していた。
しかし、それに対してはアメリカはいい顔をしていなかった。
日本はと言えば、前の年にサンフランシスコ平和条約発効してやっと国家主権を回復したと言う時期である。
そんな時期の福岡の郊外の日佐村で、那珂川沿いの竹やぶに、女の変死体が見つかったと言うのである。
発見したのは地元の農民で、被害者は23〜24歳位のダンサーか夜の女風であったと言う。
現場には、金属製のシガレットケースも散乱していたと言う。
これは米兵相手の女だ…誰もがそう思った。
その2日後の昭和28年1月20日の夕刊フクニチでは、事件のことを詳細に報じている。
また女性の身元であるが、筑紫郡大野町雑餉隈の春日マーケットの裏に住む23歳の女性であったと言う。
本名より「バーバラ」の方が通りが良かったという。
また、殺害は死体発見現場で行われたのではなく、橋を渡った先の福岡市内で行われたのではないかと言う推定がなされた。
ともあれ、警察がつかんだ足取りは、1月16日の13時過ぎに「郷里の熊本に帰る」と雑餉隈の自宅を出たのだと言う。
そして西鉄の春日原駅から西鉄福岡行きの電車に乗って福岡市内に行ったのではないかと推定された。
そして翌17日16時ごろには、福岡市高宮に住む友人の家を訪れ、「現在キープされている米兵には申し訳ないが、もともとキープしてされていた米兵が朝鮮から帰ってきたので、その米兵に金をもらって熊本の父の還暦祝いをしてくる」と語っていたのだと言う。
で、その「朝鮮から帰ってきた米兵」なのだが、被害女性の金を巻き上げるあくどさに辟易していたのだと言う。
美人ではあるが、なかなか強かな女性だったようである。
殺害の動機としては、十分に考えられることだった。
その上の女性ではあっても、親思いではあったようで還暦を祝うと言うことであったが、ついには殺されてしまったのだ。
還暦を祝ってもらうはずの父は、熊本県豊肥本線の宮地の方から死体を引き取りに来た。
しかし、そう簡単には逮捕はできなかったようで、昭和28年1月23日の西日本新聞でもまだ捜査中の段階であったようだ。
しかし、被害女性の足取りは詳細に浮かび上がってきた。
1月16日13時ごろ、春日原の自宅から「熊本の父の還暦祝いに帰る」と出てから、20時ごろ、福岡市新大工町(天神南駅付近)のバーの女給をしている友人の方に姿を見せたようである。
そして、翌17日の朝5時ごろまで語り明かしたらしい。
そして、10時ごろ米兵を招き入れたのだと言う。
しかし、夜通し語り明かすような友人がいるとは、なかなか「女子」である。
そして、その日の17時ごろ唐人町の電停から西鉄福岡市内線に乗車して、大名町か天神町で下車したのだと言う。
死体で発見された時に持っていたと言う赤いハンドバックは、その時には持っていたのだと言う。
そして、21時ごろ再びその友人宅に寄ったが「帰ってないから」と家主に言われ出て行ったのだと言う。
そして、死体が発見される18日の朝までの足取りは分かっていない。
そして、昭和28年1月25日の西日本新聞には、「迷宮入り濃厚」と言う見出しが出ている。
早い時期に、米兵との噂が話題になっていたようだが、その辺は一体全体どうなってたのか、ここでは全く触れられていない。
ただ「何一つ物的証拠は出ない」「有力視されていた聞き込みも片っ端から崩れて」と言うことだけが記述されている。
また、目撃証言も別の日であったことが判明するなど、捜査も振り出しに戻らざるを得なくなったようだ。
また、朝まで語り明かすような友達がいる割には、パンパン仲間の間では「無軌道のパンパンの生活で行動は気まぐれで評判が良くない」と言うことも証言されていたようだ。
でも、この当時のパンパンで規則正しい生活をしている者があったのだろうか。
捜査当局としては、痴情ではなく強盗殺人の可能性も視野に入れて捜査をするようになったと言う。
この事件の解決が報じられたのは、昭和28年2月3日の西日本新聞である。
犯人は米兵ではなく、事件のあった村の29歳の万年筆外交員だったと言う。
被害女性との関係は、米兵宛の英文代筆などをしていたことからであると言う。
阿蘇の麓の田舎から出てきた被害女性は、英語はまるでわからなかったのだろう。
強盗殺人の線の捜査で、福岡市内を質屋を片っ端から調べているうちに、鉄砲町通りの質屋から被害者の腕時計が出てきたのだと言う。
この腕時計を入手したのは、近所の花売りの37歳の女であったと言うが、追求したところ、犯人の男の名を白状したのだと言う。
その男によれば、17日の18時、英文の代筆のために会おうと言うことになり、被害女性の友人宅でお茶あったのだと言う。
その後、2人で唐人町でおでんを食べ、コーヒーを飲み、タクシーで井尻橋付近まで行ったのだと言う。
そこで、男が「妻を捨てる。一緒に神戸に行こう」と誘いかけたところ、被害女性が「死にたい。殺してくれ」といったのだと言う。
それで殺した…と言う自供であった。
これが本当なら「嘱託殺人」と言うことになるが、何しろ死人に口がないので本当のところはわからない。
さて、ダークツーリズムへと赴くことにしたい。
久山町からのJRバスを、どこで降りるかが問題である。
結局、箱崎駅で降りることにした。
JR九州の列車は、特急でもなければ意外と博多止まりと言うのは少ないのだ。
だから、箱崎に来た列車は、竹下や笹原まで行ってくれるはず。
そう思って、箱崎駅西口で降りることにした。
JRバスのバス停のほかに、西鉄バスのバス停も経っており、福岡らしさを感じさせてくれる。
箱崎駅は、完全に高架駅になっている。
電車は、20分ごとに来るようだ。
16時13分の鳥栖行きというのが来るので、これに乗ることにする。
果たして乗車したが、やたら混んでいる。
しかし、博多に到着すればほとんどが降りるだろうから、そこで座ることにしよう。
博多に到着したら、案の定ほとんどの客が降りて座ることができた。
そして博多で7分停車の後、鳥栖に向けて出発する。
竹下駅の西側には、車両基地が広がる。
世が世なら、「竹下気動車区」だったところだ。
なにぶんにも、電車は南福岡電車区にお任せなので、こちらは今でもキハ47など気動車がメインである。
竹下駅の西側には、那珂川が悠々と流れている。
この那珂川を、上流に向かって歩いていくことになる。
今では九州新幹線のガード下となっており、まるで取り残されたように夏草が生えている。
それでも歩き続けていると、だんだんマンションが立ち並んでくる。
昭和28年の事件当時であれば、この辺は一帯田園風景だっただろうか。
今や交通量はかなり多い。
川は穏やかに流れている。
事件当時「魔の道」と言われていたところには、現在は女子短大が建っているのだ。
さて、ダークツーリズムが終わったので、後はのんびり博多港を目指すことにしよう。
ところで、この香蘭女子短大の前から大橋駅まで、西鉄バスが1時間に5分ぐらい走っている。
これに乗っていけば1番楽なようだが、最近はカロリーを摂りすぎたので井尻駅まで歩くと言う選択肢もある。
どっちにするかは、ひとえに井尻駅は行く価値があるかどうかにかかっている。
何の面白みもないような橋上駅舎や高架駅だったら、大橋駅までバスで行ったほうがいい。
ウィキペディアで調べると、どうやら昔ながらのホームの端っこに駅舎がついてるような都市型の駅らしい。
と言うことで、西鉄の井尻駅まで歩いて行くことにしよう。
あとは住宅地の中をのんびり歩いて行くことにする。
井尻駅は、まるで東急目蒲線や池上線の駅のような、いかにもな私鉄駅である。
踏み切りの向こうから、対向列車を撮って決死することとする。
なかなかいいアングルだ。
そして、各駅停車の端も近づいたので、改札に入ることにする。
そしたら、向こうから「キッチントレイン筑紫」か通過してきた。
前面非対称の5000系を改造した列車のようだが、まるでJR九州のミトーカばりの派手な列車である。
そしてこちらは西鉄福岡行きの各駅停車であったが、窓がすごく汚い。
西鉄の経営は大丈夫なのだろうか。
次の大橋で特急の待ち合わせがあったが、ガラガラなので各駅停車で座っていくことにする。
どうせ博多港からの船の出港は23時45分だ。
西鉄福岡駅に到着し、しばらく電源をとりながら日記つけをすることにする。
特に今回はダークツーリズムが入っているので重い。
ところで、なんだか鼻水が出るし寒気もする。
まさか…まさかね…
体温を測ってみると36.4℃だと言う。
どうもビビリがすぎるようだ。
さて、Google マップでバスの時間を調べてみると、それほど多い本数もないようなので、さっさと博多ラーメンを食べて福岡港を目指すことにしたい。
そして西鉄福岡駅というかソラリアを出ると、バス停は一応見つかった。
しかし、肝心の屋台がないのだ。
それでも、天神の交差点の向かいに一軒あった。
このような立地の良さすぎるところは、味はどうなるかわからないが、とにかく行ってみるしかない。
少し並んでいる。
バスの時間は、21時31分が最終なので、かなり微妙である。
それでも、21時10分ごろになってやっと入ることができた。
もし、21時31分に間に合わんかったら、博多駅から22時位までバスがあるようなので、それで行くことにする。
まずおでんでも頼んでみる。
かなりネタが出尽くしたようで、がんもどきや牛すじしかない。
そして、最後にラーメンを頼む。
味はごく普通な感じ。
さて、さっさとバスに乗ることにしたい。
博多埠頭行きのバスは、天神始発ではあったが、今日は少し遅れているようだった。
車内にはそこそこの人が乗っている。
しかし、最後まで乗る人は稀で、後は途中で折れていた。
そして博多後に到着。
対馬方面や五島方面の客で賑わっている。
ファミリーマートがあったので、食料や水やいろいろ買いこむことにする。
22時前ではあったが、もう女性も始まっていると言う。
そしてフェリーに乗り込むことに。
夜行便でありながら、久しぶりにこんな大部屋に乗ることになった。
大部屋だと、電源取るのも一苦労である。
それでもどうにか電源を確保して一路五島列島へ。