鯖街道・原発街道

6月11日の北朝鮮KCTV「朝鮮の今日」より🇰🇵
第8回朝鮮労働党大会の決定貫徹を応援するために今日も青年同盟の宣伝隊は各地の企業所で歌ったり旗を振ったりして回る。
今日は軍装で建設現場で歌う。
そして北朝鮮でも人材育成は焦眉の急。

6月11日金曜日のしごおわしたらさっさと高速バスに乗って行くことにしたい。

行く途中で夕食にする。
例の日韓関係どこ吹く집にて。
今日はそこそこ席が混んでるかと思ったらすぐにいなくなった。

そして例によって갈비탕。

さて、まずは東京駅へ行きましょう。
松戸駅に着いたらちょうど上りが品川行き。
東京駅に行くのに上野止まりなのはかったるい。

そう思って品川行きに乗るとそこそこ混んでおり座れないかと思った。

しかしどうにか座れて東京駅へ行くことにする。

今日は欠損バーの生配信で、何と在籍の女の子が全員出るのだという。
ワクテカしつつ東京駅八重洲口のバスターミナルで待つ事に。

エスカレーターを上がった、植え込みにベンチが並ぶあたりで聞く事にしよう。

そうこうしてると欠損バーが始まった。

意外にみんなスムーズに入ることができていた。

最初はこみみちゃんで次がLisaちゃん。
そしてぽわんちゃん、琴音ちゃん、もみじちゃん、あもりちゃんと入っていく。

こちらは屋外で聞いているのでなかなか声が聞き取りにくいがハイテンションでハーレムハーレムする。

今日の生配信はそれほど長いわけではない。
何と21:35過ぎに終わった。

しかしそのことが却って都合が良かった。
21:50の京都・奈良行きのグランドリーム7号で行く事になる。

途中、バスタ新宿で客を拾い、鮎沢PAで休憩するのだという。
つまり東名高速経由。

途中、2時台に目覚める。
場所としては三重県付近。
今日は車の運転なのにこれではやばい。
少しでも寝ないと。

5時過ぎに京都駅到着。
かなり早く到着したので5:51の湖西線に乗れそう。

京都タワーが完全に見えなくなってる。こんな写り方するのか。
朝食はコンビニ弁当で侘しい。

京都駅の構内にはゴミを捨てるところもない。
1番線にようやくあった程度。
国際的観光都市で大丈夫か。

さて、湖西線は3番線から。
車両は新快速にも充当されている223系。

実はこれが今日唯一の鉄道利用となる。

そして近江今津に到着。
まるで新幹線のような駅。

JRバスの待合所はそれなりに近代的だが雰囲気が国鉄バスである。
まさに(自)近江今津駅。

京都5:51発の湖西線に乗れたので、ここからのバスは7:05で行けそう。

途中、江若鉄道の近江今津駅の跡を通ったが完全に取り壊され駐車場になっていた。
GW明けに作業するとは聞いていたが仕事早すぎ。

バスは福井県との県境を行く。

若狭熊川のバス停に到着。
現在は国道筋にバス停がある程度。

現在、鯖街道の熊川宿として観光開発にこれ努めているようである。
昔の佇まいが残っているのか、わざわざ復元したのか。

かつての国鉄バスはこの宿場町を通っていたというが、若狭熊川のバス停のあった場所は現在は観光協会が入っている。
かつてはここに第二種自動車駅でもあっただろうか。

とは言っても、昭和29年の三方町への合併の時点で1500人程度しかいなかったという村であり、見て回ってもたかが知れている。

次のバスを待ちつつ、観光協会の前の縁台でKCTVニュースを見つつ。

さて。いい時間になったのでバスに乗りましょう。

バスは上中で小浜線に合流し、国道27号線を小浜へと目指す。

小浜駅前のトヨタレンタカーでレンタカーを借りる。
レンタカー店のおねいさんは「こちらがお車でーぇー」と何だかんだで北陸弁。若狭は「春團治」川藤幸三の出身地なので福井県といってもバリバリ関西なのかと思いきや、意外に北陸である。

小浜は北陸の小京都らしい古い街並みを残している。

そして国道27号線を西進する。
放っとくと際限なくスピードが出るがあくまで50km制限。

切符切られない程度のスピードで、まずは高浜原発を目指したい。

若狭湾の海岸美を右手に収鋲車のヴィッツは行く。

高浜原発は風光明媚な場所にある原発。
眼下では釣り客が釣りをしている。

…と、パトカーが来るではないか。
単なる方向転換?
と思ったら駐車場で止まる。
明らかにこちらに用があって来ている。
「私?」
2人組の警察官は無言で頷く。

「スピード?」
「まさか。止まってる車にそんなことできるわけないじゃないですか」
「何かありました?」
「観光客の方ですか?」
「そうですよ」
「どちらから来られました?」
「千葉」
「ここまで来るのに誰かと会いました?」
「孤独な旅!あえて言うならレンタカー屋のおねいさん!」

「どちらへ行かれる予定ですか?」
「どちらも何も、こうやって全国の市町村1つずつ回って歩いてるの。観光地がなくてもね」
「そうなんですね。何かメモしてらっしゃるみたいだったので」
「やっぱり怪しいと思ってたのね」
「そんなことないですよ」
そしてiPadでGoogleマップを見せる。

「随分いっぱい何かありますね。これが今まで行った所ですか?」
「逆なの。このピン今まで行ったことのない所で、行ったらこれを抜くの。だから今日高浜町に来たからこのピンを抜く。で大飯町に行ったらこのピンを抜く。で美浜町に行ったらこのピンを抜く」
「へぇ」
「大飯原発とか美浜原発に行ったらやっぱりこうやって警察が来る?」
「そんなことないですよ。安全運転でお願いしますよ」
そう言って警察は去っていった。

さて、では気を取り直して次は大飯原発のPRコーナーに行きますか。
最初に一番遠くの高浜原発の行ったので、あとは敦賀に向けて戻るだけ。

ところで、大飯原発そのものは、高浜原発同様半島の奥の方にあり、なおかつ海側から見渡せそうな所がない、まるで要塞のような場所である。
高浜での件もあり、そこまでしていく気にはなれず、おおい町の中心近くにあるPRセンターへ行く事にする。

今度は風光明媚な若狭湾を左手に見る事にする。

大飯原発のPRコーナーは「エルガイア」というのだという。
それはそうと、キャラクターデザインが松本零士というのが奮っている。
それで入場無料というのだから、どんだけ金かけてんの。

コンセプトとしては「宇宙に浮かぶ発電所」という。
宇宙って… ではどこに対して給電する?
まあいいかそんな細かい設定は。

さあ次行きましょう。
次は小浜も若狭町も通り越して三方郡美浜町の美浜原発である。

国道27号線を東へ走る。
カーナビはやたら高速道を勧めるが、下道を通る事にする。

三方を通り過ぎ、美浜町に入る。
27号線も原発マネーでか高規格道路の面持ちであるが「美浜原電」という標識の方に降りようとすると…

車が警察の検問を受けている。
いや、単なるスピード違反かも知れない。
しかしさっきの今では状況が悪すぎる。
ここはやり過ごして敦賀方面へ向かいたい。

どうする?
美浜原発は諦める?

すると、次の脇道から美浜原発に行けるらしい。
警察の検問も特にない。
では行ってみよう。

国道27号線から美浜原発まではかなりの距離がある。
左手には白砂青松の砂浜が広がり、海水浴客が結構いる。

その白砂青松の間に、原発が見えてきた。
そう思って行ってみると…

何とPRコーナーは休みなのだという。
それはコロナのため。

仕方がないのでもう今日は気比の松原見たくらいにしてホテルに行こう。
ここから敦賀市内に行くには、美浜を通るルートと、敦賀市北西部の海岸部を通るルートがあるらしい。

ではこの敦賀市北西部の海岸部を通ることにしよう…

そう思って山道を通り、敦賀市の海岸部に出ると、左手に「西浦駐在所」とある。
西浦…?

明日ダークツーリズムしようと思っていた所ではないか?
今日ここに辿り着いてしまったのも何かの導きのような気がして、今日ダークツーリズムしてしまうことにしたい。

一体どういう事件だったのか。
かなり胸糞の悪い種類の事件である。

その第一報は昭和27年12月15日の福井新聞夕刊である。

16歳になる少年が、窃盗した挙句にその罪を気の弱い友人のせいにして殺したというのである。

かなり胸糞の悪い事件であるせいか、はたまた昭和27年という時代相のせいなのか、容疑者が16歳の少年であるにも関わらず実名で報道している。
これは当時としては大丈夫だったのか?

少年はの住所は今でこそ敦賀市であるが、当時は敦賀郡粟野村と、現在の小浜線の粟野駅周辺であったようだ。

犯人の少年は、敦賀高校を1年で中退して働いていた。
そして敦賀高校に通っている友達を呼び出して、自分がやらかした空き巣の罪を着せたのだという。
気の弱いその友達には遺書まで書かせて殺したのだという。

そりゃ学校の世界なんて動物的な群れで暮らすサル山の世界と何ら変わりないのかも知れない。
しかしまさか殺しにまで手を染めるとは…

当時の感覚でもこれは大ニュースだった。

翌12月16日になると、さすがに福井の片田舎でも少年法という概念に気づいたか、少年の実名は「A少年」になっている。

そして報道の内容は前日の夕刊とさして変わりはない。

ただしディテールは少し付け加えられている。
犯人の少年は敦賀高校を退学後は土木事務所に臨時雇いとして雇われていたのだという。

その臨時雇いの身で、近所の家に空き巣に入ったのだという。
そして逮捕され身柄は親元に渡された。

しかし、この罪を、現在でも敦高に通う気の弱い友人のせいにしてやろう…
そう思って、その友達の通学路で待ち伏せしていたのだという。

そして所持金を奪い遺書まで書かせたのだという。
君たち、どんだけ上位オスと下位オスだったの…

それでも、中学校の教諭によれば二人とも成績優秀であったという。

この日の夕刊になると「なぜこの事件は起きたのか」という愚にもつかぬ分析に入ることになる。

福井市警察署防犯課のコメントでは「推理小説のようによくできたトリックだ」と分析している。
昔の警察史を紐解くと、犯罪者を「推理小説の読み過ぎ」と断じているケースがよく見受けられるが、この事件もまたそのようなまとめられ方をしたようだ。

また「家庭環境は分からないが家庭環境も一因であろう」と、捜査に直接関わっているわけでもないのに知ったようなことをよく言うものである。
これもまた昭和27年という時代相だったということであろう。

県の社会教育課長によれば「社会に対して不信を持っているので自分以外には誰も信用しない」ということに力点を置いていた。

いずれも、現代から見れば発達心理学の知見に基づいたわけではない「今時の若者は」の域を出ないコメントでしかない。

県都福井市の警察が知り得なかった犯人の少年の家庭であるが、父は農業の側日雇い、母は病気という家庭で、優秀な成績にもかかわらず高校を中退せざるを得なかったようである。
それで、常に世の中を嘲笑しているようなことを言っていたのだという。

「艱難辛苦汝を玉にす」とはよく言うが、その前にこのように人をすり減らしてしまう物なのでである。

12月18日の福井新聞では、なんとその少年に新聞記者が取材しているのである。
今では到底考えられない。

そしてまた新聞記者が江川事件で阪神にトレードされた小林繁そっくりなのだ。
そういえば小林繁も晩年は福井で暮らして少年野球チームの総監督をしていた。

兎も角もその一問一答はと言うと…

Q何で親友なのに殺したの
A別に親友と思ってなかった。柔道の技を使ったら死んだ

Q殺した瞬間どうだった
Aびっくりして喝を入れてみたが生き返らなかった

Q学校に行って勉強したいか
A今はそう思わない

Qいつから犯行を計画したか
A空き巣の事件で疑われた時から

Q探偵小説は好きか
Aべつに

Q学校に反感を抱いてるか
A社会全体が間違ってる

Q被害者に言うことは
A思い切り殴ってくれ。この二つの命を社会のためにささげたい

何だかもう自分勝手というか…

さて、ここからダークツーリズムである。

そんな事件はどこで発生したのか。
もう当ては付いているのだが、車で行ってみると、ロープが張ってあり駐車できない状態になっている。
よほど釣り客に悩まされているのだろう。

仕方がないので、駐車できる所に車を止めて当時の捜査資料を読んでみる。
そうすると「二人が常宮神社のところを歩いていたのが目撃された」との記述がある。

常宮神社とは、現場からさらに敦賀市内と反対側に行った方向である。

ここから俯瞰する形で犯行現場も撮ることにしたい。

また、車はその常宮神社の駐車場に停めることにしたい。
停めた以上は参拝もしないといけない。

この常宮神社、地元民以外は誰も来ないような神社というわけではなく、国宝「朝鮮鐘」というのも置いているらしい。

ではその朝鮮鐘を見てみたいと思ったが、あいにく修復中で年内は見れないという。

さて、では今度は敦賀気比高校に行ってみよう。
敦賀気比高校というと甲子園の名門校でもある。

そこに何があるのかというと、あの「パンツ大臣」高木毅のお父上である高木孝一氏の銅像があるというのだ。

その息子である毅氏が例のパンツ泥棒を起こした際、銅像にパンツが被せられたのだという。

それはいいとして、車はどこに止めようか。
まさかそんな用事で高校の敷地に止めるわけにはいかないので近隣に止めるしかない。
何となれば有料駐車場だって構わない。

そう思って探してみると、近くに市営プールがあるではないか。
ここに止めよう。

そう思って行ってみると、市営プールというのがやたら立派だった。
それもそうだ。敦賀市も原発マネーで潤っているのだ。

さて、敦賀市内で行けるところは今日行ってしまおう。

ということで気比の松原へ。
気比の松原は清水の三保の松原や、陸前高田の高田松原同様、海岸美とセットで楽しむところだ。

先程の美浜原発の近くの水晶浜同様、海水浴客で賑わっていた。
それを横目にこちらは決死撮影に励む。
その姿はシュールそのもの。

海岸線の向こうには火力発電所が見える。

さて、これで今日の全日程が終了したがまだ16時台である。
明日行く予定だったヨーロッパ軒は今日の夕食で行ってしまうか。
駐車場で眠りつつ時間調整することに。

19時に車を返すとして、大体18時前にヨーロッパ軒に着ければいいかな。

時間が来たのでヨーロッパ軒へ。

敦賀の北陸漁村らしい街並みを抜けて市街地へ。
そして昭和そのものの建物を目指す。

ヨーロッパ軒は、福井にも同じ店名の店があるのだというが、関係はないらしい。
色々と大人の事情があるようだ。

店内もまた昭和50年台の雰囲気が残っている。

2階で食べることに。
ソースかつ丼の大盛りを頼むが、もの凄いボリュームに圧倒される。
これは年齢のせいか?

ところで、付け合わせのサラダであるが、水を全然切ってないのだろうか。
下に水が溜まるほど水浸しの状態である。
海原雄山なら「責任者を出せ!」とブチ切れる状態だ。

兎も角も腹一杯になってホテルへ。

ホテルに入ったらそれでは終わらず、別館に通された。
ここは内風呂がない…

兎も角も風呂に入ってブログつけ。
今日はダークも入るのでかなり長くなる。

 

 

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