その地名を知ったのは「北海道警察史」からだった。
戦前の日本が貧しく、また産業構造が農業中心であった時代、貧困打開の方法として海外移住という選択肢があった。
昭和10年、当時既に内地並みの町村制が敷かれていたとは思われるが「日高国沙流郡平取村」出身の一家がアルゼンチン移住を決め、全財産を持って札幌に出たことから事件は始まっている。
その一家が住んでいた所が「紫雲古津」であった。
「紫雲古津」。おそらくはアイヌ語のsi(大きい) un(ある) kot(凹地) なのだろうとは思うが漢字に「雲古」を充てたことで後年ある種のインバクトを残すことになってしまった。
この事件に関するダークツーリズムは後々行くとして、今回は紫雲古津に行くことにする。
平取から来る紫雲古津7:22の静内行の道南バスに乗れれば良いと思っているので富川の宿からタクシーで… と思ったが、タクシーは朝8時からしかやってないのだと言う。
仕方がないので朝5時半にホテルを出ることにする。
ところがホテルは7時からしかフロントが営業していないのだという。
仕方がないので、チラシで封筒作ってそれに宿代を入れておくことにした。
さて歩いていくことにしましょう…
朝もやの富川市街を歩く。
7:22の静内行きが、実は休日運休でしたなんてことが無ければよいが… と思いつつ、バス停のポールを見るとそれはないようだった。
日高道の門別富川ICの下をくぐると、ほどなくして門別町と平取町の境界に至る。
ここが正に「紫雲古津」である。
(決死モデル:チームWBノノナナ;忍風戦隊ハリケンジャー出身)
ただし紫雲古津の中心部はもう少し先にある。
紫雲古津の本道から脇に出ている町道は「紫雲古津〇〇線」となっており、〇〇には苗字らしきものが入るようである。
つまりは北海道のバス停の「斉藤さん前」みたいな感覚である。
そして紫雲古津のバス停や生活館のある中心部に着く。
都合6.1kmの道のりであった。
ところで、「紫雲古津」のバス停や看板の全部入った写真を撮ろうにも、光線状態が悪くなかなか良い写真が撮れない。
そうこうしている内に向こうから静内行きのバスが来た。