「豊洲移転は延期」と言い続けてきた小池百合子都知事が、ここへきて突然豊洲移転に積極的になり始めた。
市場 豊洲移転で調整 小池知事指示、築地も活用 https://t.co/Fmugn04YuG
— 日本経済新聞 電子版 (@nikkei) 2017年6月12日
何があってそのような心変わりに至ったのか定かではないが、築地も移転せずに何かに生かすのだという。
「お役所仕事」でどこまで「生かせる」のかは定かではないが、兎も角もその築地に行ってみようじゃないか、と。
本日は休場日である模様。
それでも場外市場は盛んで、外国人観光客もたくさん詰めかけていた。
正に国際的観光地である。
さて、そんな築地で昭和26年、かなり有名になった殺人事件が発生しており、Wikipediaにも「築地八宝亭一家殺人事件」として項目が立っている。
一番早いのは読売新聞で、2月22日の夕刊で既に報じている。
さすがは「社会部の読売」というべきか。
朝日と毎日が第一報を報じるのは、翌23日の朝刊となる。
(実は毎日でも22日夕刊で報じていた模様)
せっかくなので、1日1日の報道を振り返ってみたいと思う。
2月23日は朝日、読売、毎日も一斉に報道。
あれ?朝日には2月22日の夕刊には載ってなかった気がするが・・・ それでも、読売や毎日のように「夕刊で既報の通り」と言わんばかりの報道ぶり。
では、この日の夕刊はどうか。
不思議なのは朝日で、この時になって今更「親子四人を惨殺」という見出しで、あたかも第一報であるかのように報じている。
読売はと言えば、「八宝亭の女中が犯人であるのは確実として、この女がもう1人の男を外部から呼び込んで犯行に及んだ」という報道ぶりで、「それらしい2人を乗せた」という運転手の談話まで載せている。
翌24日の朝刊を見てみたい。
事件当夜八宝亭にいて生き残ったコックが、犯人の男についての証言をする。
朝日に対しては「濁点の言えぬ男」、読売に対しては「パーマをかけた男」と語ったようである。
「濁点の言えぬ男」・・・ はっきりとは書いていないが、読み手は中国人か朝鮮人かを連想するだろう。日本国憲法の施行で「報道の自由」が保証されたかのように見えた日本であるが、そこはやはり「Occupied Japan」。例えば進駐軍の犯罪などは報道することが許されていなかった。それで、「十三文半の足あと」など、大柄な男であることを見出しでことさらに強調し「さては進駐軍の米兵が・・・?」と連想させるしかなかったという時代だったようである。
読売でも、見出しにこそ出していないが記事中に、むしろ直截的に「言葉に変なナマリがあり朝鮮人のような感じ」と書いている。
この24日の夕刊はこの事件に関する報道は一段落し、女の素性に関することが「新事実」として報じられている程度である。
翌25日の朝刊では、各社とも新事実を求めてんでんに取材活動していることが分かる。
朝日は捜査陣に張り付いて捜査の進展がないことを報じており、読売は近日中に女中のモンタージュ写真を出す予定であることを報じている。
特筆されるのは毎日で、八宝亭で食事をしてその女中に接客されたので特徴をよく覚えているという人を探し出して取材している。
その25日の夕刊では、朝日新聞で独自に目撃者数名からの話を総合し、逃げた女中のモンタージュを出す。
何とも「不気味の坂」を行く微妙な似顔絵であるが、おかめ感パねえ。
翌26日の各紙の報道を見ると、朝日は案の定「おかめに似た女」。
読売は上野駅に荷物預かり票を出した女がそれではないかという話を報道している。筆跡鑑定の結果では「字全体がくずれており筆跡からみると小学校卒業程度の知能で筆記仕事の経験がないことを物語っている」・・・ひどい書きぶりである。
毎日では「詐欺の前科があるのではないか」という報道。顔は「丸鼻」ではないかとしている。
この日の読売夕刊になると「第三の女」が浮上する。
「三人組での犯行ではないか」との報道。
翌27日の朝日では、女中が全国手配されたことを報じている。
読売では、服装と靴について詳細に絵を描いて報じている。画風は初期のサザエさん風。昭和20年代のスタンダードだったのだろうか。
この日の夕刊では、朝日では東大法医学教室での鑑定結果を報じている。やはり「マキ割が致命傷」。ところで、下山事件の項でも触れたような気がするのだが、東京では中央線の北が東大で、南が慶應で解剖を行うと聞いていたのだが、中央線の南であるはずの築地でも東大で解剖したのだろうか。
読売では、詳細な地図と当日のパトロール体制について報じている。ちなみに本項のタイトル「警察の裏手廿㍍」は、この日の見出しから取っている。
翌28日の各紙では、逃げた女中の具体的なモンタージュを警察発表したものが掲載されている。
26日に朝日で独自で発表したおかめ感はなく、切れ長の目のなかなかの美人ではないだろうか。
ただ、なかなかの迫力であり夜1人で見る自信はない。
読売ではこれに加え、筆跡まで掲出している。「社会部の読売」の面目躍如といったところか。
3月に入ると読売では「第二の女」について再び焦点を当てている。
毎日では、前日に掲出したモンタージュへの反響を報じている。150件もの情報提供があったのだという。
この日の夕刊では、朝日では「流しの犯行か」と報じているが、それ以上に注目されるのは「巡査部長姿の賊」という記事である。これは正に、先日のエントリで書いた権善五が横浜の交番で働いた拳銃強盗の事件である。妙な所で同時代性があったものである。
読売では、「食器の持ち方から推測するに朝鮮人ではないか」という記事を発している。まさに昨今のネトウヨさながらの記事である。
翌3月2日の朝日では「土地に明るい男か」という記事を出している。また、茨城によく似た女がいるという報道をしており、先の読売ではあるが上野駅に女がいたという記事と辻褄を合わせれば「上野駅から茨城に逃げた」といったところか。
この日の朝日夕刊では、捜査本部が女一本の捜査を始めたことを報じ、類似の事件の例を挙げている。
また、読売では「家宝の小判が消える」と、現在では全く話題になっていない新事実を挙げている。
翌3日の朝日夕刊では、捜査本部が基本捜査を終えた旨を報じている。動機として「恨みによる犯行」としている。
4日の朝日朝刊では「有力情報には謝礼」の旨の記事を出している。現在の報奨制度と同じく、外郭団体から出すという枠組みだったのだろうか。それとも税金から?
それ以上に注目されるのが、3月1日夕刊でも報じていた横浜の交番の拳銃窃盗事件で、神戸の退職警官に容疑が行っていることを報じている。まだ「神戸市内の朝鮮人」には捜査の網は及んでいなかった模様。
この日の夕刊になると、朝日は「持久戦の様相」と報じている。
6日になると、朝日では第一発見者でもあるコックの談話が「私の推理」として発表される。なかなかの達筆である。
読売では「マキ割から指紋が出た」旨。
毎日では、女中の就職の世話をしたというバタ屋の談話を書いている。
同日夕刊の朝日では「アジトを発見か」と報じている。
10日、ついに女中を逮捕の号外が朝日から出る。(他からも出たかもしれないが)
毎日では、第一発見者のコックの部屋から新事実の旨を報じている。
11日の朝刊では、女中の顔写真を一斉に報じている。
確かにおかめ風でもあり切れ長の目でもあり・・・?
また、真犯人は第一発見者のコックであった旨も報じている。
・・・が、その日の夕刊では「コックは疑っていない」旨を書いている。
朝刊と夕刊で系統が違うのか?どうも時系列が違うようである。
しかし、翌12日にはコックは自殺してしまったことを各紙が一斉に報じている。
これで事件は永久に闇の中に葬られてしまった。
その日の読売夕刊では、女中の方に重きを置いて報道している。
翌13日は、女中の方の動静を各紙が報じている。
もう情報源が女中しかなくなった以上、こうするしかなかったのだろう。
その日の夕刊は、動機を推測するにとどまっている。
後はもう闇の中である。
「警察の裏手廿㍍」であるのは確かなのだが、その実際の個所を示してしまうと、色々迷惑がかかる可能性があるので、今回は遠巻きに見てもらうことにする。もちろん大島てるにも出てはいない。
決死モデルは、冒頭の築地市場にちなみ小池百合子のシンボルカラー緑ということでチームR園田に出てもらうことにする。
現地に行って分かったのは、跡地に建つ飲食店の表口は、通りに面しておらず、細い道に面しているのである。
この点は、かれこれ60年以上前の事件の影響があるのだろうか。