軍道24号線

アメリカ世の沖縄出身の芸能人といえば南沙織とかフィンガー5なんかを思い出すけど、フィンガー5の家は米兵相手のAサインバーだったという。

今日もまたそんな「アメリカ世」を偲ぶことにしたい。
今回は昭和45年―― 1970年12月20日に発生した「コザ暴動」の跡を偲びたい。

コザ暴動に触れる前に、その前提となる話から。

この時点で、沖縄で最もホットなニュースと言えば、コザの米軍基地からジョンストン島への毒ガス移送問題と、9月に糸満市内で発生した米兵による女性轢殺事件であった。

毒ガス移送問題については、住民にしてみれば「早期全面撤去」してほしいところ。しかし、米軍からの説明では、移送日時や安全計画も具体的に示されなかった。
これは立法院でも問題にされた。
米軍からすると「復帰までには完了したい」という悠長なものであった。
ただし、米軍にしてみれば毒ガスの移送計画など、テロリストに手の内を見せるようなもので、とうてい公開したいものではなかったであろう。

また、後者の米兵による轢殺事件であるが、それは9月に糸満市内で発生した。
これは那覇空軍基地の26歳の海軍二等軍曹が、酔っ払って糸満市内をジグザグで走り、54歳の女性を轢殺したというものである。
これに対する軍法会議が7人の陪審員を迎え12月10~11日に開かれ、何と「無罪」の判決が下されたのである。なぜ「無罪」なのか。それは「陪審員制度で無罪の場合、その判決理由について一切明らかにしない」仕組みなのだという。
これに対して沖縄の世論は沸騰しないはずがなかった。

毒ガス移送に関しては、日本の中央政界をも動かすことになる。

社会党などの野党は、早期撤去の決議に向けて動いており、自民党も説得する構えとなっていた。
しかし移送先のジョンストン島の毒ガス貯蔵施設は「これから造る」という悠長なもの

知花(コザ市)の毒ガス貯蔵庫から天願(具志川市)の桟橋の間には住宅地もある。米軍側は「絶対安全」と言っていたが、それを信用する沖縄住民はいなかった。

また、糸満市の米兵による主婦轢殺事件については、16日の17時から糸満小学校で「無罪判決糾弾大会」を開くという。
そして糸満小学校から事故現場までの3kmをジグザグデモする予定であると報じていた。

他の記事に目を移すと、参議院予算委員会では、当時53歳であった中曽根康弘防衛庁長官が「72年に予定されている沖縄返還では、ベトナム戦争が継続していても核抜き返還が実現する」と回答している。
また、公明党の矢追秀彦の日本の公海上の防衛範囲については「尖閣・沖縄本島・沖ノ鳥島・南鳥島に重点を置く」と回答している。尖閣諸島はこの時点で問題になっていた。

そして1970年12月20日のこと。

コザのメインストリートとなっている軍道24号線の京都ホテル前を横断していた軍雇用員が、米兵の車にはねられるという事故が発生した。
まもなく米軍の憲兵隊とコザ署員が調べを始めようとしたが、飲み会帰りの周りの群衆が「どうせまた糸満の時と同じように米兵が無罪になるに決まってる!」と騒ぎ出した。
そこへ2時ごろ、また米兵が衝突事故を起こした。それで騒ぎがもっと大きくなったのである。

米軍の憲兵は威嚇射撃をしたところが、群衆はかえって激高し、群衆は1000人ぐらいにまで達してしまった。そこはちょうど中の町という歓楽街でもある。
「また米兵が沖縄人を轢いたんだってよ」4000人にまで膨れ上がった群衆は、基地の第2ゲートまで押し寄せていく。

そして基地内にまでなだれ込み、軍人子息のための小学校まで焼き払ったのだという。
結局、この騒ぎで75代の車が焼かれ、20人が逮捕された。

これに対しては、「沖縄の帝王」と言われ恐れられたランバート高等弁務官もコメントを出さざるを得なかった。

曰く、

この嘆かわしい事故は、1人の海軍軍曹が無罪になったことと部分的に起因すると聞いているが、そのことが平和な市民の生活を脅かし、財産を破壊していいことにはならない。これではジャングルの世界だ。
また、沖縄に貯蔵されている化学兵器に対する憤りによるものであるとも言われているが、この暴動は自己敗北を示唆するものだ。すべての人々にとって、これらの化学兵器を安全に撤去したいという思いは一緒だからだ。
これらの安全な撤去作業を妨げるものがあるとすれば、それは妨害行為の可能性だ。それらの脅威が完全になくならない限り、撤去作業の開始は承認できない。
このように率直に語ったが、私は与えられたすべての手段で琉球住民の利益を増進したいと思っている

この騒ぎを、沖縄の人達はどのように受け止めたか。

  • 被害者となった軍雇用員(39)・・・忘年会で飲んだ帰りだったが、頭を打ったせいか事件の記憶がない。気が付いたらコザ署で寝かされていた。そこで暴動の話を聞いた。人をひいて逃げた外人は許せない。沖縄人の人権を踏みにじっている。
  • 軍雇用員(40)・・・この事件は米軍の不当支配から起こったもの。働けば働くほど米軍への怒りが募るような職場だ。
  • 商店主(30)・・・いつもなら2時ごろ店を閉めるが、土曜日だったので延長して営業していたらこの騒ぎ。目の前で火の手が上がってびっくりした。
  • 主婦(50)・・・3時ごろ騒ぎに気付いた。サイレンの音やヘリコプターの音が頻繁に聞こえた。また白人と黒人の暴動かと思った。5時頃外に出てみたら、車が燃え上がっていたので怖くなった。
  • レストラン女店主(58)・・・3:20頃ピストルの音が聞こえた。そして「ワッショイ、ワッショイ」という掛け声。物凄い人だかりで騒然とした。
  • 女商店主(32)・・・4時ごろに200人ぐらいの群衆が車に火をつけた。若い人たちが大声を上げていた。
  • ガソリンスタンド店員(32)・・・ガソリンスタンドの前で車を燃やそうと思っていたようだがうまく燃えず、別の場所に移動して放火していた。あれがガソリンスタンドの前だと思ったら・・・
  • サロン組合役員(50)・・・酔っ払いが多かったようだ。いつもの比べて人出が多かった。
  • 高校教諭・・・普段沖縄の人権を無視しているので当たり前。ざまあみろという気持ち。

今回は、そのコザ暴動の跡をダークツーリズムしてみたい。

7時近くに起床し、朝食はご飯と味噌汁だけビュッフェ形式。
それにしても炊き方がちょっと残念じゃないか・・・ Aサインよ・・・

コザ暴動が発生した軍道24号線。現在の国道308号線。1号線は西側の読谷の方を通っていく。

暴動があったのは、まさにこのホテルの真ん前であり、昨日も触れたが当時は右側通行だった。
決死モデル:チームRハナ

ところで、ホテルの真ん前にある中の町バス停に「77番」のバスがない。もしかしてここには止まらない? 仕方が無いので交差点の向こうの胡屋バス停へ。
沖縄のバスというのは平日と土曜と日祝日で全く時間が違う。平日の時刻表を見てたら全く違う時間を示している。もしかして曜日間違った・・・? と思ったら77番が来た。
7分遅れで胡屋に到着。

ここから約1時間強かけて辺ノ古を目指す。
石川市を過ぎると、右側に青い海が広がる。

そして名護市入りし、辺野古の街並みを過ぎて両側にフェンスが迫ってくる。この辺りはどちらも米軍基地となる。

そして第2ゲイトで下車。こちらにも警備兵がいて、到底写真を撮れるような雰囲気ではない。

少し辺野古市街地側に戻って行くと、ゲートの外で民間警備会社が警備している。ゲートの反対側には、辺野古基地反対の座り込みの基地がある。「座り込み抗議 不屈2058日」などと書いているが、全く人はいない。
決死モデル:チームY宇崎

意外だったのは、スタジアムの観客席のように数列のベンチが並んでいるということである。
そしてフェンスには「WARNING 立ち入り禁止」と書いているが、その上から「安倍晋三を許さない」と貼り紙してある。これが昔から変わらない沖縄の本音であるということであろう。

そして第2ゲイトの1つ前の「第2辺野古」のバス停から再び77番のバスに乗って名護を目指す。

そして名護バスターミナルに到着。沖縄バス風 に言えば「名ゴ」となる。
バスターミナルは市街地の西の外れにあり、かつての那覇バスターミナルと小さくしたような雰囲気である。
決死モデル:トルソーさんアハメス

バス溜には沖縄バスと那覇交通と琉球バスのバスが何台も停まっている。

さて、昼食にしたいがGoogleマップで見る限りではこの近辺に食べれるところはない・・・と思ったら、交差点の向こうにすぐあるではないか。
これは僥倖とここに入ることにする。そしてふーちゃんぷるー定食を頼む。

さて、ここからネオパークに行くことにしたい。ネオパークの園内を一周する軽便鉄道があるのだという。まるで修善寺の虹の郷のように。
しかしそこまで行くバスはない。公式HPにも「バスターミナルからタクシーで来てください」と書いてある。

タクシーで程なくしてネオパークに到着。
軽便鉄道は毎時00分と30分の30分おきに出ているという。今なら13:30発のに間に合いそうである。

駅に行ってみると、中国から贈られたであろう「前進型」の1/5模型が置いてある。かなり精巧に造られており、大熊猫パンダ号と名付けられ、前面には「名」「热烈欢迎」「小型铁路」と書いてある。そしてご丁寧にもテンダーには「沖局名段」(沖縄鉄路局名護機関区)のモールドまで付いてるではないか。これには脱帽した。

さて、30分が近づき、軽便鉄道の出発の時間となる。
やってきたのはD51を1/2にしたものである。
前から撮ろうと思ったら、柵が張ってありそこまで行けない。何か撮り鉄でトラブルでもあったのだろうか。
決死モデル:チームWB嵐山

兎も角も出発して園内を一周する。100円で動物の餌を売っており、途中途中でそれを投げ与えることができる。
そして3/4ぐらい過ぎた生態保護センターのあたりにポイントと車庫があり、もう1台の機関車は沖縄軽便鉄道の機関車を模したものだった。
走りを見るとどうやら電動のようである。そりゃライブスチームのように面倒な手入れなどはできないだろうから・・・

さて、SLを降りたらまともに園内を見ることにしよう。

一番奥の生態保護センターにリスザル等がいる。
それ以外にも、南米系のいろいろな動物の繁殖に勤めており、「繁殖賞」を何回も授与されているようである。

いろいろな動物がいても、やはり足を止める人が多いのはリスザルであり、10匹ぐらいはいるだろうか。
去年の8月に生まれたばっかりの子は2匹いるらしい。とりあえずレッドデータブックではなさそうである。
決死モデル:チームPペギー

ところで、前に行ったことのある伊豆シャボテン公園では、ボリビアリスザルが盗難でいなくなったのだという。
どうやればそんなことが可能なのか。夜に忍び込んでエサでおびき寄せるとか? そして盗んでどうするつもりなんだろう。繁殖させるとか?こちらは本当に困った事件である。

さて、軽便鉄道とリスザルさえ見ればあとは特に見たいものは無いので、またタクシーで戻ることにする。

「沖縄バスナビ」で名護~那覇空港の高速バス111番を検索すると、15:00まで無いというので、バスターミナル内の喫茶店でゆっくりしていようとおもったら、何と空港行きが来るではないか。急いで支度してどうにか乗り込む。
決死モデル:チームWBラジエッタ

どうやら、名護発の111番の他に、美ら海水族館から直通の117番というバスがあるらしい。これは14:30発なのだという。
兎も角も、これで沖縄旅行の行程はほぼ終了と言っていい。
この系統は沖縄バス・琉球バス・那覇交通・東陽バスの全社が共同運行しているが、今回乗ったのは那覇交通の車輛で、USB電源が付いていた。

那覇バスターミナルはすっかり新しくなっていたので降りようかと思ったが間に合わなかった。
結局那覇空港まで乗ることとなった。

今回乗るのはピーチの18:25発。
18F席つまり右側の窓側で、おちおちトイレに立つこともできないという不自由な席となる。そういえば、いつも通路側に座っていたので窓側なんて久しぶりとなる。LCCは席を選択することもできないらしい。
決死モデル:チームR小沢

機内では、沖縄ゼネスト事件に関し新聞記事の抜き出しをやっていた。だいたいは記事の要約で済ませ、成田に着く前にほとんど仕上げることができた。

そして成田に到着。
ピーチなので3タミに到着である。
しかし3タミというのは何から何まで簡素な造りになっている。「差別ではなく区別」という言葉を日本で最も感じさせる場所ではないだろうか。
決死モデル:チームPメイ

兎も角もターミナルから500m以上・・・おそらくは1km近く歩いて京成のホームへ。

明日からまた現実が始まる。

 

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