ウラジオのエレクトリーチカの支線であるチュルキン岬へは、休日になると2~3往復だけとなる(平日もかなり少ないようだが)。
もはやそれは鶴見線大川支線さながらである。
そのためにはウラジオ駅7:01の空港快速でフトーラヤ・レーチカへ行き、そこからチュルキン岬行きに乗り換えて・・・
と思って目覚めたらその7時01分ではないか!
どうあがいてもウラジオ駅から乗れたものではない。
起床事故をやらかしてしまった。
ここで次善の策を考えないといけない。
そしたら、朝食を食べ次第、チュルキン岬までタクシーで行くことにしよう。
ところで、朝食のバイキングは米が良く炊けておらずまずかった・・・
日本とロシアでは、米というものの重みが決定的に違うということなのだろう。
さて、昨日に引き続きGettでタクシーを呼んでいくことにしよう。
このGettというアプリ、行先までアプリで指定できるので、いちいち「どこをどう曲がって・・・」などと説明しなくても勝手に目的地に行ってくれるのでありがたい。
外国に行くと特に、ローカル駅なんて地元民にすら認識されていないものである。
さて、そのチュルキン岬駅らしきところに到着したが、コンテナヤードはあるものの周囲には人家すらない荒涼とした場所である。
線路沿いに東へ歩いてみると、ロシア国鉄の駅名標で「チュルキン岬駅」の表示がある。
2階建ての木造駅舎で、おそらくスターリン当たりの時代からあったのではないかとすら思うような古さである。
入ってみると、事務所はあるようだが切符売り場はない。
丁度入って来た事務員さんに「ビレット?」と聞いてみると、
「ここじゃないわ。線路を歩いてあっちの方よ」と指示してくれた。
ロシアでは、線路内人立ち入りにはさほど厳しくないようで、結構な人が線路端を歩いている。
そのうちにチュルキン岬のホームが現れた。
電車はもう既に待機している。
1976年が製造初年のЭР9Mであった。つまりソ連車両。
そしてその端っこにちょこんとある海上コンテナを改造したような小屋が切符売り場であった。
(決死モデル:チームPみく)
運賃は市電と接続するルゴバヤまでが22ルーブル、本線と接続するモルゴロドクまでが43ルーブルとなる。
結構な人数の乗客を乗せて定刻の8時11分に発車。
これほど本数が少なくても乗る人はいるものである。インドと違って自家用車の普及率もそれなりであろうに・・・
程なくしてルゴヴァヤに到着。
ここで市電に乗り換えることにしたい。
次のエレクトリーチカまで1時間強あるので、その間にウラジオ市電を全線完乗することにしたい。
(決死モデル:チームTヤギー)
廃止が進んで6番だけになってしまったウラジオ市電にとって、ルゴヴァヤは途中駅である。ということは、ある電車に乗ったら終点まで行き、その電車がループで折り返したらその電車でまたもう一方の終点まで行き、またその電車でルゴヴァヤに乗るということになりそうである。
つまり、最初に乗る電車がどんな電車かで、この市電の旅のQOLが決まるといっても過言ではない。
そう思いながら市電の停留所と思しきところに行くと・・・
両方の路線に電車が止まっているではないか!
電車はいかにもソ連製であり、РВЗ-6という製造初年1960年の車輛であるということだった。
車内は方向転換のできない横型座席で、前の方には本が置いてある。
車掌が切符を売って歩いており、均一で16ルーブルということであった。
軌道は殆ど専用線のような所を走っている。まるで都電荒川線のように。
こういう所も延命したゆえんであろうか。そうなるとますます都電荒川線と共通する。
そして海外鉄クラスタで世界的有名観光地と言われる終点サハリンスカヤに到着。
電車はここでループを回ってまた折り返しとして客を乗せることになる。
(決死モデル:チームWBノノナナ)
時間的には、ルゴヴァヤからサハリンスカヤまで20分も経っていない感じである。
この調子であれば、全線制覇してルゴヴァヤまで戻っても、エレクトリーチカには間に合うだろう。
女車掌は不思議そうな顔もせず16ルーブルを申し受ける。
「世界的有名観光地」などとインターネットミームがあるだけに、日本からきて写真を撮る人、というのはそれなりになれているのだろう。
もう一度ルゴヴァヤに戻ると、ちょうどチュルキン岬行きのエレクトリーチカが通って行った。
あの折り返し列車に乗ることになる。
ルゴヴァヤからはアップダウンを経て、もう一方の終点であるミンヌイ・ゴロドクに到着する。
このミンヌイ・ゴロドクはループ上に電停があるようで、一々降ろさないでループしていく感じである。
(決死モデル:チームWBナギサヤ)
この時点で9:10だったので、おそらくはエレクトリーチカに間に合いはするだろう。
向こうはたしかチュルキン岬を9:25に出発するはずである。
そしてルゴヴァヤに到着すると、アジアンカオスな趣すらある商業地帯となっている。
さっきは急いでいたので街を観察する余裕もなかった。
そしてエレクトリーチカのルゴヴァヤ駅へ。
さっきの停止位置は、駅のかなりチュルキン岬方だったので、またそちらの方で待っていた。
そしたら、今度はモルゴロドク方に停まるではないか!
大急ぎで飛び乗った。
車内はかなり満席だった。
1日2本しかないこの路線で、よくここまで満員の乗客が乗るものである。
・・・と、向かいに座ったおじいさんに話しかけられる。
「あんたは中国人か? 日本人? 日本人なら九州に住んでいるのか? 東京? 東京というのは九州か。私は生化学の科学者だったんだ。ルースキー島にある極東国立大学にいた。日本の研究者ならマツオカというプロフェッサーを知っているぞ」
そんなこんなで、フトーラヤ・レーチカまで話しかけられどおしだった。
つくづく自分のコミュ障が悔やまれる。
(決死モデル:トルソーさんの霧島)
さて、このフトーラヤ・レーチカ、駅前には長距離バスターミナルがあったり、アエロポルト・エクスプレスが停車したり、それなりに重要な駅のようである。
高架式に新しい駅の脇には、古い駅舎がそのまま残されていた。
駅前には「アフトバグザール」つまり長距離バスターミナルがある。
入ろうと思ったらX線検査がある。
随分物々しい。
・・・と、「国际售票处」がある・・・!?
(決死モデル:チームPユウリ)
時刻を確かめてみると、すべてが中国行きで、琿春行きが4:30と5:30、哈爾浜行きが6:20(月水金)、ウスリースク発牡丹江行き8:10(月水金)というダイヤだった。
いずれも早起きしなければいけなそうなダイヤである。
ウラジオストック発哈爾浜行きの列車もあったはずだが、これはもう既に廃止されている。
さて、10:35にナホトカからエレクトリーチカが来るというので、これに乗ってウラジオストック駅に戻りましょう・・・
製造しましたという感じの電車に揺られることしばし、ウラジオストック駅に到着。
乗客は階段を渡って駅の外へ行く。
(決死モデル:チームR持田)
1~2番ホームがいわゆる「列車ホーム」で、エレクトリーチカの跨線橋から降りることはできず、駅舎から入ることになる。きっとあの物々しいX線チェックを受けなければいけないのだろう。
さて、このエレクトリーチカの跨線橋の向こうにはウラジオストック駅の駅前になるが、その逆を行くとモルスキー・バグザールつまり「海の駅」になる。
とはいえフェリーが出入りするのはまれで、基本的にはショッピングモールとしての性格が強いようである。
さて、この先おそらくはまたリミッター切れの鯨飲馬食をすることになるので、せめて腹ごなしにとアドミラル・フォーキナ通りまで歩くことにする。
アドミラル・フォーキナ通りというのは、NGT48が「世界の人へ」のMVでロケを行ったところである。
歩行者天国で噴水があり、まさにジャケ写の通りの風景が広がっていた。
(決死モデル:チームY楼山)
さて・・・
起床事故したとはいえ、早いうちに旅程のかなりの部分を終えてしまった。
正直、この先何をすればいいのかが思いつかない。
とりあえず昼食にでもしたいが、どうも手元が不如意である。
手持ちの米ドルかシンガポールドルをルーブルに変えて、それで食べることにするか。
そう思って近くの銀行に入ると「シンガプールスキーはやってない」という。
では米ドルは? 「アメリカのは100ドル紙幣しか受け付けてないの」
結局、韓国ウォンが両替可能だった。
さて、これで何か食べに行きますか・・・
「传统俄式料理」と看板を出している店があったので、ここに入って食べることにした。
昨日まで1ルーブルは3円だと思っていたので(2013年のサハリン旅行の時はそうだったはず)、何を買うにも高いなーと思っていたら、実は1ルーブルは1.6円だったということで、急に気持ちが大きくなり、ボルシチだのポークリブだのを頼むことにした。店員も「よくこんなに食うなあ」と驚いたのではないだろうか。
それでも日本円にして1000円とちょっとである。
公園の近くの地下道では物乞いがいる。
それも30~40歳と思しき女性で、両足が無い。いわゆる「DBK」。
DBKというのは、物乞いをしないといけないほど重篤な障害であろうか・・・? と思うのはあくまで健常者の視線であり、当事者からすれば色々バリアはあるのかもしれない。
欠損バーの時もぽわんちゃんが就職について色々話していた。
(決死モデル:チームTフジアキ)
物乞い女性には、ありったけの小銭(海外旅行では邪魔でしょうがない)をあげて、それを免罪符に写真を撮った。
ところで、その物乞いの女性をどうこう言えないほどに、フジアキの黒ストもいよいよシャレにならないところまで来ているような気がする。
その兆候は昨日から・・・ いや、出発した時からあった。
あくまでもサフを吹かずに塗っただけの代物である。ポケットの中で擦れてこのような状態になることは予想がついていたはずである。
それにもかかわらず、予備の衣装を持ってこなかった。
これは反省されるべきである。
ともかくも、ここで黒スト衣装の使用は中止。
後はにしこくん衣装で行くしかない。
さて、ウラジオストック最大の観光名所ともいえる潜水艦С-56も見終えると、いよいよ見るものがなくなる。
・・・と、怪しい感じの日本語で「観光船のクルージング」とある。
この先やることも無いし、ちょっと乗ってみるか・・・
次出るのは16時であるというので少し待つことになる。
1時間コースはすでに終わっており、残っているのは16時発の2時間コース。
これは金角湾を出て、ルースキー島まで行くというツアーとなる。
船旅であれば密閉したガラス窓の席ではなく、外気に接した甲板の方がいいに決まっている。
(決死モデル:チームR真夜)
ウラジオストックに出入りする船という船を見ることができる。
そしてルースキー島まで行くと、極東国立大学の威容を見ることができる。
ここまで市街地から離れた所にキャンパスがあると、さぞや勉強に集中することができるだろう。
後はまたウラジオストックの桟橋に戻る。
ちょうど18時になったので、もう1件の北レスへ行くことにしたい。
・・・と、Googleマップで指示した場所は市役所になっているようだが、それらしき店はない。
ロシア語で店名を検索してみると、どうやらこの市役所の裏手に店があるらしい。
確かに、市役所と通路でつながった所にその店はあった。
入ってみると、接待員同志は忙しく働いて、新規に入店した自分をかまっている暇もないようである。
一応、ステージやギターはあったが、2名の接待員同志は食事を出すのが精一杯で、歌ったりするどころではなさそうな感じである。
ハノイの北レスでも舞台は無かった。
この後の北レスは、こんなのが主流になって行くのだろうか・・・
ところで、北レスの食事というのは何か美味しくなさそうだった。
何というか・・・ どこの北レスでも熱い料理は冷めた感じがするし、冷たい料理はぬるい感じがするのである。
しかし、ここではそのようなことはなく、料理にも力を入れているようであった。
噂のユッケもおいしかった。
単なるコリアンレストランとしては、結構いい方ではないだろうか。
食べて満足したら、後はホテルに帰ることに。