前に、裁判傍聴が趣味だとかいう若い女性の集まりが無かったっけか。
世間からは色々な事を言われていた記憶があるが、兎も角も裁判記録は人を惹き付ける何かがあるのは確かだろう。
退屈なほど詳細なその行動の記録には、それぞれの「人生」が詳細に記録されている。
拙ブログにおいても先日「岩手の重要犯罪」(昭和34年 岩手県警察本部刊)についてもブックレビューをものしたところである。
自分は同書の裁判記録に「時代」を見出した。
そして、先日の「ABCD!3」では、欠損バーの常連でもある鈴木孔明氏が、「裁判傍聴レポート」という薄い本をものしたので、本書に関するレビューしたい。
(孔明さん→コウメイ→ウメコだけに、決死モデルはチームPのウメコ。ウメコは「ジャッジメントタイム!」のデカレンジャー出身でもある。撮影場所は大審院法務省赤レンガ庁舎前にて)
前書きも後書きもないので推測になるが、これは孔明氏が裁判の傍聴を重ねてきた結果を、ショート・ショート形式の小説仕立てで紹介しているのではないかと思う。
【窃盗】
借金の結果妻子を捨てる形で失踪し、生活保護費を酒で溶かすまでになってしまった古希の男。
何もかも失った男のただ一つの希望は・・・
それはそれとして、一つ思い出すことがあった。
都内に住んでいた頃、自転車で通勤していたのだが、帰りしなによく夕食を食べていた所は安くて量は多いが、どうも底辺臭の漂う所だった。
労務者とおぼしき貧乏そうなオッサンが、安酒を飲んでその食堂の従業員の幸薄そうなギャルに色々話しかけている。
どう見ても数百円の酒代でこの店をキャバ代わりに使っているとしか思えない。このオッサンも何やってんだか・・・ と、幸薄そうなギャル店員を同情的に見ていたのだが、いざそのオッサンが帰る段になると、そのギャル店員、「明日も頑張ろうねー」
オッサンとギャル店員には、貧相な店なりにも一定の通じるものがあったのだ。
ああ、人の日常や幸せなんてどのようになっているか、自分ごときの浅はかな先入観では到底窺い知れるわけがないのだ。
個人的にはかなり印象に残っている光景となった。
【公衆に著しく迷惑を掛ける暴力的行為等の防止に関する条例違反】
いわゆる「迷惑防止条例違反」。盗撮とかその類である。
盗癖とか盗撮癖は、もはや治すことのできないメンタルの病気であると仄聞したことがある。
この男が取ることのできた解決法は、非常に素晴らしく羨ましいものだった。
【専有離脱物横領】
碌でもない人生を送ってきた男に、非常な幸運と非常な不運が一気に襲ってきた。
【窃盗】
都市銀行に20年奉職しながら、税理士の夢をあきらめきれず退職して10年間受験を続け、1科目しか合格できておらず、窃盗に身を窶すまでに落ちぶれた男。
そして家族の状況もまた、現代では他人事ではない。
(ところで、この全角と半角、どうにかなりやんかった・・・? #突然の伊勢弁)
【礼拝妨害、偽計業務妨害、ストーカー行為などの規制等に関する法律違反】
被告人席に立った50がらみの女は、なぜ無邪気な笑顔をたたえているのか・・・
【サクライロ、転生】
実家とも絶縁し、孤独な子育てを選択しなければならなくなったシングルマザー。
なぜ実家と絶縁したのかについてまでは同書には書いていないが、「イエ」という桎梏の中で育った彼女を解き放ってくれたのは碌でもない男だったのではないだろうか。
碌でもない男が教えてくれた空の青さ。
しかし碌でもない男は所詮、碌でもない男でしかなかった。
駆け落ち同然で子供まで産んだ彼女は、実家にも頼れず孤独に働き、孤独に子育てをしなければならなくなった結果、その子に空の青さを教えることはできなかった。
【建造物侵入、窃盗】
性癖って色々ですよね。
でも犯罪はいけませんよね。
高学歴でも変態は変態ですよね。
【君のまなざし】
母と子なんて、分かりあえるようで分かり合えませんよね。
自分が育てたつもりの子供でも、何考えてるかなんて分かりませんよね。
まさか手足のない女の子が好みだなんて、まさかねえマカマカさん・・・
【売春防止法】
中学卒業後、山形から上京していくつかの職を転々とした挙句、売春に身を窶して40年になる女のモノローグ。
売春防止法違反の累犯者でありながらなお、売春を続けるのはなぜか・・・?
ところでヨー、山形弁というとヨー、音節ごとにヨーって言うのがヨー、特徴だと思うんだけどヨー。
これがヤー、日本海側の庄内に行くとヤー、音節ごとにヤー、ヤーって言うようになるんだけどヤー。
(ちなみに、写真は有名な昭和8年の東北の大冷害の時の娘身売りの時の山形県伊佐沢村(現:長井市)が出した身売り相談の広告。
これは何も、村役場が率先して身売りに加担したのではなく、娘を安く買いたたく悪徳周旋人が横行していたため、やむなく村当局が価格交渉の仲介に出たという悲しい行政施策)
【全部、言っちゃうね】
これまた「山形から上京の売春婦」モノ。
上野のキムチ横丁が登場する。
戦後すぐに「国際親善マーケット」として発生したのだという(Wikipediaより)。
ただ、「昭和毎日」によれば、当時の台東区下谷西町と現在のキムチ横丁は微妙にずれた位置にある。
現在でもキムチ横丁として残っている地域は、昭和39年10月1日の住居表示実施以前は「御徒町3丁目」だったようである(Wikipedia「台東区の町名」より)。
下谷ついでに、芝新網町、四谷鮫ヶ橋と並ぶ「江戸三大貧民窟」であった下谷万年町は現在は、このキムチ横丁と同じ東上野となる(キムチ横丁は東上野2丁目、万年町は東上野4丁目)。
現在、下谷万年町がどのあたりかというと、あの東京メトロの踏切や、地下鉄の車庫のあるあたりがそれに該当する。
電車の出入庫のタイミングを見計らっていきたかったが、電車は撮れず・・・