夏の二の腕2019

今年もまた8月6日がやってくる。
この写真は原爆から1年としないうちに米軍が撮影したもので、現在も建物があり営業している福屋百貨店の屋上から、南東方向を見たものであるという。

現在のGoogle mapで見てみるとこのようになるだろうか。

そして毎年、広島では8月6日に平和記念式典が行われる。
個人的には、ちょっとした付き合いがあり行くことが結構あった。
最近は予算もなく、行くこともなくなってしまったが・・・

かれこれ20代の頃。
東京からも大挙して参加していたものである。
当時自分が住んでいた所は病院の多い所で、看護師さんや薬剤師さんが多く、つまり女性の多い地区原水協だった。

この暑い季節の広島、女性陣はすっかりリゾート気分だった。
朝の記念式典さえ神妙にしていれば、後は秋の宮島でもお好み焼きでも生牡蠣でもお好み次第である。
それだけに、服装はやたら露出が多かった記憶がある。

中でも、どこだかの看護婦さんなんて、職場では絶対着ないような青いノースリーブのブラウスで来ていた

ショートカットの彼女の二の腕は、やたら記憶に残っている。
それで、広島の平和記念式典といえ彼女の二の腕とリンクして記憶されてしまったのだ。

あの夏からもう17年が経つ。
彼女はもうどこかにお嫁に行ってしまっただろう。
子供がいたらもう中学生ぐらいになっているかもしれない。

街ではモーニング娘。の「そうだ!We’re Alive」が流れていた。
後藤真希【ゴマキ】の筋肉質なフトモモや全然笑っていない事務的な小川麻琴が印象に残っている。

今年は幸いに休みも取れたので、放浪癖のままに往時を振り返ってみることにしようか。

ということで東京駅。
サンライズでの出発となる。
決死モデル:チームTレナ

あの時の地区原水協では、前泊して広島入りするのが普通であったところ、自分だけブルートレインで広島入りしたくて「あさかぜ」で広島入りしたのだった。
1998年には「サンライズ」が走り始めていたが、特段山陰や四国へ行く用事があるわけでもなく、なおかつ新しい列車にはさして興味がなかったのだ。
それが今や、東京発の夜行列車はこの「サンライズ出雲・瀬戸」だけになってしまった。
東京発の九州ブルトレも2009年3月で廃止になってしまったので、つまり全廃からかれこれ10年が経ってしまう、ということになる。

今回岡山まで取れたのは「瀬戸」の方で7号車となる。
ちょうど1か月前に、新八柱の駅で10時打ちをしようとして並んでいたら、列の前にヒステリー婆さんがいて時間がかかっていたのだが、どうにか最後の1席を取ることができたのだった。
果たしてその取れた席というのは車端部にあり、天井が高く良い席だった。

そして夜の東海道本線を西進する・・・

そして岡山に到着。
岡山といえば「瀬戸」「出雲」の切り離し作業である。
一大鉄道ショーなので、多くの人が見に来る。
決死モデル:チームY城ヶ崎

そして岡山駅で朝食でも・・・ と思ったが、あいにく蕎麦屋も7時開店。
仕方がないので適当に駅弁でも買って、6:51発の「みずほ601号」で広島を目指す。

「みずほ」はJR九州車で、指定席なので2*2で楽に移動できる。
なるほど、これだけ収容力が小さいとJR東海も「みずほ」を東京まで入れたくないわけだ・・・

さて、「みずほ」はものの30分程度で広島に到着する。

そういえばあの時は、「あさかぜ」で広島に到着したのは6:03で、1番ホームだった。
決死モデル:チームTエリー

当時の「あさかぜ」はすでに博多行きが廃止されており、東京~中国地方を結ぶ列車となっていた。
その割には広島到着が6:03なのははやたら早いじゃないかと思っていた。
確か東京発が19時台だったと記憶しているが、もう少し遅くすれば、岡山だって有効時間帯に入るのではないか。なぜそうしないのか・・・ と思っていた。
事実上、あの時点で中国地方が対象というよりは東京~広島県・山口県が対象だったのだろうか。

さて、その広島も一時期は「国鉄広島」などと言われ、115系や117系といった国鉄車両の宝庫であったところ、現在は赤い帯の227系ばかりが走っている。
帯が赤いのは広島カープだからだろう。

さて、今回は広島駅から市電に乗るのではなく、隣の横川駅から平和記念公園を目指すことにする。
というのは、この先洗濯する機会もないので、洗濯物のまま服を持ってきたのである。
夏だけに匂いもひどく、ビニール袋に二重に包んで入れてきた。
それで、コインランドリーを検索し、横川駅から原爆ドーム前の中間の寺町にあるコインランドリーで洗濯することにしたのである。

そして横川(よこがわ)に到着。
ところで、信越本線の横川(よこかわ)は、どちらも著名な本線上にある駅であるが、どちらかが「安芸横川」あるいは「上州横川」(あるいは群馬横川)にならなかったのだろうか。
調べてみると、こちらの安芸横川駅は明治30年の開業、かたや群馬横川駅は明治18年の開業。
ということかこちらが「安芸横川駅」を名乗るべきだったのだ。

さて、それはともかく駅前に出てみると、高校生たちが整然と並んでいる。
系統としては、紙屋町をまわって広電本社前を目指すのが7番、江波を目指すのが8番となる。
いずれにしても寺町までなのでどちらで構わないが、8番が早く来ている。
決死モデル:トルソーさん霧島

本数的には、目の子だと8番が多く来ているような気がする。
7番の方が、紙屋町などを廻るので需要が多いような気もするのだがどうだろう

いずれにしろ、寺町でコインランドリーに放り込む。
洗乾機なので、いったん入れてしまえばあとは乾燥までやってくれる。

さて、後は一目散に原爆ドームを目指すことにしたい。
時間は7時50分。
8時15分に黙とうなので、あと25分ということになる。

しかし待っても電車が来ない。
願わくば7番に来てほしいが、どうも向かいの電車を見ていると、8番ばかり来ているようである。

そうしていると、向こうには元大阪市電の913がやってきた。
そうかと思えば、次は「被爆電車」として知られる652が来るではないか!
いずれも8番である。
決死モデル:チームWBミサメグ

仕方がないので、8番で十日市町まで行って、十日市町から適当に原爆ドーム前を目指すしかない。
結局、原爆ドーム前の1つ前の本川町を出たのが8時12分、原爆ドーム前に着いたのが何と8時14分という状況である。

原爆ドーム周辺は、機動隊が守っている。
まあきな臭い団体も色々来ることとて・・・

相生橋についたころには、すでに黙祷が始まっていた。
1分間、お付き合いして黙祷することにする。
しかし、その間も騒がしい団体がいる。
いったい何なんだろう。
どういう立場で黙祷を邪魔しているのだろう。

朝鮮人など外地人を加害した歴史もあるのに被害者面するな、とか?
「核の傘」に守られていながら核兵器廃絶もくそもあるか、とか?

いずれ右翼団体がやるような騒ぎ方ではなさそうなのは確かだった

ちょっと、小競り合いの現場に行ってみようか。

彼らは黒旗を掲げていた。
ということは無政府主義者アナーキスト

無政府主義アナーキズムと広島の原爆とどのように関係があるのだろう?
真っ黒の特攻服みたいな服を着た40がらみの男が警官や市役所職員に食って掛かっている。
「広島の犠牲者の名前を一人一人言ってみろよ!言えるのかよ!」

広島の原爆犠牲者の名前を言えるかどうかが、どのように無政府主義アナーキズムと関係しているか理解できないのだが、旗を持っているのはどこかの会社を定年退職したような普通の感じの老人だった。
今度はその老人に一般市民っぽい小太りの男が食って掛かっている
「黙祷の時ぐらいなんで静かにできないんだよ!話したいことがあるなら聞いてやるよ!誰だよさっき騒いでたのは!」
おそらく、であるがこの男はネトウヨだろう。
勝てそうな相手、みんなが確実に味方してくれそうな敵だけを選び、正義を背負って喧嘩を吹っ掛けるネトウヨしぐさだった。
そのためか、双方に対する周囲の視線も心なしか冷ややかだった。

さて、平和記念式典での要件も終わって、後はどこに行きましょうかね・・・ ということになって、図書館に行くことにした。
図書館といえばもうやることは決まっている。
広島県立中央図書館は広電本社前の方にあるというが、広島市立中央図書館であればすぐ近くの、かつて広島市民球場があった場所の裏にある。
9時から開館だというので行ってみたい。
決死モデル:チームR小沢

ところで、ここは広島バスセンターの裏手にあるので、各社の色とりどりのバスが吐き出されることになる。
曰く広島交通、広島電鉄、JR中国バス、芸陽バス、備北交通・・

さて、図書館で例によって新聞をコピーする。
昭和10年当時の中国新聞はマイクロフィッシュで保存されている
そしてそれをプリントアウトするのだが、受付のおばさんは申し込み簿との整合を丹念にチェックする。
あまりに丹念なあまり、順番を全部バラバラにしてしまった。
あまりに几帳面で正確な整合作業はわかるが、時間もかかる上にここまでやられると・・・
植木等ではないが「コツコツやる奴ぁ ご苦労さん!」だ。

さ、次の用事行きましょ。

 

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