今日の横浜は午前中は晴れて日差しが出ますが、午後にかけて雲が多くなっていく予想です。気温は朝の冷え込みがあり、最低気温は5度前後まで下がる見込みで、日中は気温が上がって最高気温は11度前後になると予想されています。降水の心配は少なく、雨や雪の可能性は低い予報です。ただし、午後から曇りの時間が増えるため空模様は変わりやすく、体感としては冬らしい寒さが続きます。乾燥にも注意が必要な状態です。午前から昼にかけては日なたで暖かさを感じられる時間がありますが、午後は雲が広がりやすく、夕方以降は曇りの時間が長くなりますので、外出には暖かい服装が必要です。
目が覚めたら大体6時位だったので、しばし布団の中で寝ている。
結局、8時も過ぎてしまったので、さすがに起き出して風呂入れることにしよう。
昨夜は23時過ぎに帰ってきて、風呂に入らないまま寝てしまった。
まずはnote小説の朝刊分、第549話をアップする。
そして風呂を入れて入ることにしよう。
多分今晩は洗濯になるだろう。
そして、いつ風呂から上がるか。
今日は横浜に行って「夜のカーニバル」があるが、その前に横浜市内でダークツーリズムをしたいし、昼食はどこかでステーキも食べたい。
そのようなことをもろもろ考え合わせると、確か10時29分に快速があったはず。
いや、何を言ってるんだろう。日中の時間帯は快速は12分と42分だったはず。
そうなると、10時12分は間に合いそうもないし、では10時42分で行くことにしよう。
結局、10時過ぎに風呂から上がる。
もう10時42分まで30分もない。
さっさと駅に急ぐことにしよう。
そして、つくば駅から快速に乗る。
並んでいるので、コーナーに座るのは無理かと思ったら、奇跡的に座ることができた。
そして、note小説の夕刊分を作成しながら車内で過ごす。
そして、秋葉原に到着し京浜東北線に乗り換える。
京浜東北線は、東京を出ると次は浜松町という快速運転中。
竹芝桟橋は、発着する船もないのかガラガラである。
それと、伊豆諸島や小笠原の各町村の職員募集のパンフレットが置いてある。
正直、1年ずついればいいような気がする。島と言うのは狭い世界なので、何年もいるところではない。
ともかくも、今晩の「夜のカーニバル」のために小笠原土産を買っていくことにしよう。
その後、ゆりかもめに乗って新橋へ。
新橋のいきなりステーキでステーキを食べることにする。
本来は給料日にやるべきことだったのだが。
そして、湘南電車というか東海道線に乗って横浜へ。
11号車に座ることができた。
しかし最近の横浜も大変だ。
拙ブログでは「横浜の財政がどうなってもいいからカジノには反対!」と書いたところ(2029.9.14)、そのカジノ反対を掲げて当選した市長の深刻なパワハラで、なんと市長の右腕であるべき人事課長が顔出しで告発という事態になっている。
横浜からは、ちょうど京浜東北線というか根岸線の磯子行きがあったので、それに乗ることにする。
そもそも、磯子なんかにに行ってどうするのか。
それはダークツーリズムである。

昭和32年10月29日付の神奈川新聞は、横浜市磯子区杉田町538番地先の路上で、東京都江東区大島の東栄タクシー所属の運転手が遺体で発見された事件を報じています。
発見のきっかけは、現場付近にある石川島コーリングの社員が、25日から東京ナンバー(5き7340)のダットサンが放置されているのを不審に思い、28日になって磯子署へ届け出たことでした。署員が駆けつけて車を調べたところ、後部トランクの中から、麻ナワで首を絞められて殺害された運転手の遺体が発見されました。遺体はシャツのボタンが引きちぎられ、ズボンのベルトが外れかかるなど激しい格闘の跡があり、所持金や腕時計が奪われていました。また、遺体の各所に草が付着していたことから、警察は別の場所で殺害した後に車でこの場所まで運び捨てたものと断定し、地理に明るい者の犯行として捜査を開始しました。なお、この付着していた草について、当時の新聞紙面ではオオバコと報じられていましたが、後年の神奈川県警察史(昭和49年刊行)ではイヌヒエ(犬稗)と記録されており、捜査の過程で詳細な特定が進められたことが伺えます。
被害者の運転手は、21歳の妻と2歳の長女の3人家族で家庭は円満でしたが、賭け事が好きで会社から注意を受ける一面もありました。24日から行方不明になっていたため、妻が城東署へ捜索願を出して帰りを待っていた矢先の悲劇となりました。
同じ紙面には当時の時代相を映し出すニュースも並んでいます。
横浜家庭裁判所の調べとして「離婚が昨年より一割増」という記事があり、慰謝料なしのケースが大半であることや、新しい家族観への過渡期にある世情が綴られています。
また、医療現場での麻酔注射によるショック死のニュースや、市教育委員会の幹部が贈収賄で逮捕される事件も報じられており、戦後復興から高度経済成長期へ向かう中での社会の歪みや歪みが垣間見えます。
紙面下部の広告欄には、月星靴の学生靴や日本酒の広告が並び、当時の人々の暮らしの一端を伝えています。

昭和32年10月30日付の神奈川新聞は、捜査当局が50名の捜査員を動員し、凶器となった麻縄の出所や被害者の足取りを徹底して追っている状況を報じています。この記事の最大の見どころは、目撃証言の食い違いから浮き彫りになる「車が現場に置かれた空白の時間」の謎です。
証言によれば、現場付近の磯子区杉田町のトラック運転手は、24日15時ごろには車がなかったものの、同日19時30分から50分ごろ、静岡へ仕事に向かう際にヘッドライトで東京ナンバーのその車をはっきりと目撃しています。しかし、この運転手は「25日17時ごろに現場を通った際には車はなかった」とも証言しています。
一方で、石川島コーリングの関係者からは異なる時間帯の目撃情報が出ています。女子事務員は25日朝7時50分ごろ、現場付近で東京ナンバーのグレーのダットサンがUターンするのを目撃しました。また、同社の守衛も25日朝8時30分ごろに車があるのを見つけ、中を覗いてキーがないことを確認しています。さらに、別の工員(発見者)は25日16時ごろには車があったと述べています。
これらに対し、25日昼から13時30分ごろまで現場付近で車を往復させていた朝日新聞横浜支局の運転手は「ダットサンはなかった」と証言しており、黒塗りのクライスラーが止まっていたことのみを記憶しています。
このように、24日夜には一度現場に現れた車両が、25日の日中に一時的に姿を消した可能性、あるいは複数の車両が現場に出入りしていた可能性が浮上しており、捜査当局は各証言の確定を急いでいます。
同じ紙面には、当時の空気を伝える他のニュースも掲載されています。文化面では「日展内紛の内幕をさぐる」として審査員宅への「金一封」といった古い慣習が批判的に報じられ、科学面では防衛庁による「有翼ロケット」の音速1.5倍での飛行成功が華々しく紹介されています。これらは、近代化へと向かう当時の社会の光と影を象徴しています。

昭和32年10月31日付の神奈川新聞は、磯子署の捜査本部が警視庁捜査一課と協力し、殺害が行われた第一現場の特定に全力を挙げている状況を報じています。被害者の足取りは24日午前0時10分ごろを最後に途絶えており、捜査当局は被害者が立ち寄ったと思われるガソリンスタンドの絞り込みを進めています。当時、ガソリンスタンドは東京都内に730箇所、神奈川県内に368箇所ありましたが、車に残されたガソリンの質を鑑定することで、国内に7つある石油元売会社のどこに属するかを判別し、給油先を特定できると考えられていました。また、遺体に付着していた土が車両発見現場の土壌と一致しないことから、第一京浜や第二京浜などの主要道路沿いの土を採取して鑑定を行い、殺害現場の割り出しを急いでいます。同僚によれば、被害者は非常に快活な性格で顔が広く、名指しで乗車する客もいるほどでしたが、一方で勝負事を好み、事件前日の23日にも江戸川競艇に足を運んでいました。現在のところ怨恨関係によるトラブルは浮上しておらず、金銭目的の犯行の線で捜査が続いています。
同じ紙面では、当時の社会の動きを象徴するニュースも多数掲載されています。政治面では、売春汚職事件に関連して真鍋代議士が逮捕されるという大きな不祥事が報じられ、翌年の売春防止法施行を控えた世情を反映しています。社会面では、貧困層向けの家賃を160円に抑える公営住宅法の改正案や、30カ国が参加する原爆禁止国際行動デーの動きが伝えられており、戦後復興と平和への模索が続いていたことが伺えます。また、工事現場でのアーム転倒事故や「おとりさまのクマ手づくり」といった季節の話題も並び、複雑な時代相を映し出しています。

昭和32年11月3日付の神奈川新聞は、磯子署の捜査本部による徹底した聞き込みの結果、事件当夜の犯人の動きと容姿に関する極めて具体的な目撃証言が得られたことを報じています。
磯子区向坂に住む男性は、25日の午前0時から1時ごろにかけて、伊勢佐木町から自家用車で帰宅する途中、八幡橋付近で前方を走る東京ナンバー、末尾40のダットサンを発見しました。東京のタクシーが県外で営業(流し)をすることは禁じられているため、不審に思って追い越そうとしたところ、運転席の男はこちらを鋭い目つきで睨みつけ、猛スピードで横須賀方面へ逃走しました。男は22歳から26歳くらいで、白いジャンパーを着用していたと証言しています。また、杉田町在住の女性も、同日午前0時半ごろに市電杉田終点付近の三叉路を、タクシーが出入りした後に横須賀方面へ走り去るのを目撃しています。さらに、現在のJAMSTEC横浜研究所の場所に位置していた日本飛行機工場の正門でも、午前0時17分ごろに迷い込んできたダットサンに対し、守衛が行き止まりを知らせるブザーを鳴らしてUターンさせたという証言が得られました。
警察の鑑定結果によれば、被害者の血液からは多量のアルコールが検出されました。被害者は普段から酒を飲まない習慣であったことから、犯人が被害者に無理やり酒を飲ませて抵抗力を奪った上で殺害に及んだものと断定し、卑劣な犯行手口を裏付ける重要な証拠としています。
同じ紙面では、当時の社会情勢を伝える記事として、横浜市上大岡の「ごみの中」にありながら今なおランプ生活を続ける集落のルポルタージュが掲載されており、文化の日を前に近代化から取り残された地域の姿を浮き彫りにしています。また、平塚の美術展で刑事被告人が描いた不穏当な絵が撤去される騒動や、市内で相次いだ放火事件、防衛庁による有翼ロケットの飛行成功など、戦後復興から高度経済成長へと向かう激動の世相が多角的に報じられています。広告欄には自転車デパートの完成や秋の特売の告知が並び、当時の人々の消費意欲と日常生活の一端を伝えています。

昭和32年11月4日付の神奈川新聞は、磯子区の運転手殺害事件における初動捜査の遅れを筆頭に、神奈川県警の相次ぐ不備を厳しく指弾しています。
この事件では、25日午前0時すぎには現場にタクシーが放置されていたにもかかわらず、警察がこれを発見して事件を認知したのは4日目の28日でした。現場は磯子署と金沢署の境界付近で、両署のパトロール隊が毎日三往復も付近を通っていたにもかかわらず、誰もこの不審な東京ナンバーの車両に注意を払わなかった「捜査陣のふし穴」が厳しく指摘されています。石川島コーリングの守衛が25日の段階で車内を覗き、キーがないことを確認していたほか、付近の住民も異変を感じていた一方で、最も警戒すべき警察官だけがその盲点をつかれていた事実が批判の対象となりました。
また紙面では、県警の捜査陣全体に見られる不振として、他の事件における失態も併せて報じています。大船駅前では、職務質問を受けたレインコート姿の男が、雨衣の下を血だらけにしたまま警官の手を振り切って逃走する失態を演じました。さらに平塚署では、強盗致傷で検挙した少年に対し、手錠をかけなかったという安易な同領がアダとなり、隙を突かれて逃走を許すといった不祥事が続いています。これらの事態が重なったことで、県警のパトロール網や捜査体制の脆弱さが露呈し、市民の信頼を損なう状況となっていることが強く糾弾されています。
同じ紙面には当時の社会相を伝えるニュースも豊富に掲載されています。日産自動車による新型ダットサン1000の発表広告では、当時の価格や最新のデザインが大きく紹介されており、高度経済成長へと向かう自動車産業の活気が伝わります。その一方で、中・高校生1,270名が補導されたという記事や、赤ちゃんコンテストの話題、そして依然として続くロケット実験の報道など、戦後の混乱から成長へと突き進む当時の複雑な世相が多角的に記録されています。

昭和32年11月7日付の神奈川新聞は、磯子の運転手殺害事件の犯人として、6月に除隊したばかりの元自衛隊員の男が逮捕されたことを報じています。
警視庁と神奈川県警の協力による捜査が実を結び、逮捕された男は「暗い家庭、酒と女」に溺れた末の犯行であったことが明らかにされました。男は殺害後、遺体をタクシーのトランクに乗せたまま城ヶ島までドライブし、そこで遺体を物色するように見分するという冷酷な行動をとっていました。この犯人逮捕により、未遂に終わった別の二件の余罪も判明しています。
同じ紙面には、当時の社会や科学の動向を伝える興味深いニュースが掲載されています。科学面では、相模湖に模型の原子力発電所が設置され、その精巧度が日本一であると報じられており、原子力利用への期待が高まっていた時代相が伺えます。また、四年ぶりに今夜半から見られる皆既月食の話題や、明治初期の「霧鐘」などの歴史的資料が市へ寄贈されたニュース、役所内での現金盗難事件で三業者が捕まった記事などが並んでいます。さらに、麻薬や暴力を用いる「顔役」の一家が寝込みを襲われるという物騒な事件も報じられており、戦後の混乱が残る社会の一面を映し出しています。
広告欄には、滋養強壮をうたう赤玉ポートワインや、国際水準を抜くと称するナショナル蛍光灯、中央自動車教習所の案内などが掲載されており、人々の生活が近代化し、消費活動が活発化していく様子が感じられます。
一連の記事を通じて、科学捜査と執念の聞き込みが実を結んだ解決の瞬間と、その背後にある昭和30年代特有の激動の世情を詳しく読み取ることができます。
さて、以上につき、Geminiで解析してもらったが、スキャンした神奈川新聞が、あまりにも不明瞭で、ほとんど自分で入れるという形になってしまった。
これが読売新聞などの縮刷版であれば、もう少し自動で解析できたのだろうけれども。
ともかくも、根岸線を磯子で降りて、7番のバス乗り場へ。
ここから、京浜急行バスの追浜車庫行きに乗ることにする。
そして、杉田と言う停留所で降りて少し歩くと、大きな歩道橋に行き当たる。
現在、ガストとなっているここがまさに、被害にあったダットサンのタクシーが乗り捨てられていたところになる。
そして、このガストで新聞を起こしをすることになる。
神奈川県立図書館にあった神奈川新聞のデジタル版は全面起こすと不明瞭になる事は前述の通りであるが、それでもどうにか16時までに終えた。
そして、16時も過ぎたので、最後の目的地である本牧のゴールデンカップに行くことにしよう。
ここからは、バスに乗るまでもなく、根岸線の新杉田まで歩こうと思えば歩くことはできるのだ。
この週末は、先週と違って全く散歩ができていないので、少しでも歩くことにしよう。
そして新杉田へ。
ここから根岸線に乗って山手へ。
だんだん日が傾いて暗くなってきた。
山手の駅前は、山が迫るところに店や家が立ち並んでおり、雑然としている。
これがまた、昭和の面影を残した商店街なのだ。
バスではなく、歩いてよかったかもしれない。
日はどんどん暮れていくが、至るところでにしこくん仕事をする。
本牧通りを歩いているうちに、後ろから「死ねよ」とか声が聞こえてくる。
なんか精神状態が普通ではない人なのだろうか。早足で歩くことにする。
結局、ゴールデンカップに到着したのは日が暮れてからだった。
踊るミエさんは、乃公の顔を覚えててくれなかった。
それでも、小笠原に転勤した事は覚えていてくれた。
17時半からショーが始まり、ミエさん・マリさん・フーコさん・ミカリさん。
夕食であれば、ピザでもスパゲティーでも何か食べればよかったかなと思ったが、結局食べなかった。
そして、18時過ぎに第一部が終わったので、そこで失礼することにする。
近くのバス停から、保土ヶ谷車庫行きの101番のバスが来たので乗ることにする。
そして、元町のバス停で降りる。
石川町の駅に行くまでの間に、どこかで食べたいと思ったら、結局喜多方ラーメンの坂内ラーメンで食べることにする。
そして、石川町から根岸線に乗るが、大宮行きなので、そのまま秋葉原に行けば、ずっと座って行けるだろう。
ということで、19時半過ぎに到着した。
20時のTXの快速に乗っていく。
そして20時45分ぐらいにつくばに到着。
後は風呂にも入らなければいけないので、さっさと帰ることにしよう。
そして洗濯機を回しつつ風呂に入る。BGMはしげ旅のニュージーランド編。
北海道支社の生涯学習ニキからひっきりなしにメッセージが来る。
結局、23時半に風呂から上がる。
そして洗濯物を干す。
後はさっさと寝ることにしよう。
今日の決死出演は4名(累計37名)。












