2航海こどおじ

本日(3月20日)の小笠原諸島(父島)の天気は曇りで、最高気温は19℃、最低気温は15℃です。風は北東の風がやや強く吹き、湿度は比較的高めとなっています。
また、波浪注意報が発令されており、波の高さは4メートル程度になる見込みです。波が高くなっている主な要因として、北東からの強い風の影響や、低気圧の接近が挙げられます。特に、この時期は冬型の気圧配置が緩みながらも残っており、北東の風が強まりやすい状態です。
船舶の運航に影響が出る可能性があるため、海のレジャーや船の移動を予定している場合は、最新の情報を確認し、安全に注意してください。

6時ごろに目が覚める。
疲れがどっと押し寄せて起きる気になれない。

Twitterでは、兵庫県知事のパワハラが第三者委員会でも認定されたと。
それでも辞職する気は一切ないらしい。

そうすると防災無線が鳴る。8時が過ぎたのだ。
今日のおがさわら丸は11時20分の入港、乗船客数は604名であると。

朝食は十割そば。
納豆は小祝で急遽買ったひきわりではない納豆。味が結構違う。

今日はおがさわら丸で母上が来るので、それまでにある程度のところを片付けなければいけない。
特に、おもちゃ・フィギュア類は一切見せないようにしなければいけない。

それで、午前中のおがさわら丸が到着するまでの時間はすべて、片付けに充てることにする。

考えてみれば、来週末には全て運び出すことになる。
そのためには、すぐにでも運び出せる体制を整えておかなければいけない。
また、何を残すかも考えておかなければいけない。

そういう意味では、決死計画を考えて、黒タイツ衣装は確保しなければいけないので、改めて黒タイツを塗り直すことにする。
しかし、この塗りムラはどうにかならないものだろうか。

それもそうだし、何よりも片付けだ。
少なくとも、1便早いおがさわら丸で運び出してしまわなければいけないということを考えると、3月29日の金曜日には運び出していないといけないということである。
そうなると、今日、段ボールに詰め込むことができるものは、そうしなければならないだろう。

そんなことをしていたら11時になった。
さっさと港に行かなければいけない。
母上の荷物運びはしなければいけないだろうから、巉嶼ざんしょで行く事はできない。

炎天下の表通りを歩いていく。
もう長袖は要らないかもしれない。

二見港に行くと、警察がのぼりを立てて待っている。
ボーイスカウトのような子供たちが制服を着て集まっている。
知った顔もいて出張者を待っている。

ちなみに、家族案件の時の決死ウメコで指定している。
なぜなら祖母の名前がウメコだったから。

そのうち乗客が降りてきた。
降りる人がみんな厚着だと思ったらそういえば関東では雪が降っていたんだったか。

かなり後の方になって母上も降りてきた。
そして社宅いえに向かうことにする。

昼食をどこにするか聞いたら、どこでも良いという。
とりあえずは帰宅して旅装を解いてもらう。

母上は9時ごろ4階のレストランで和定食を食べたので腹は減っていないという。それはまた燃費の良いことで。

それで乃公おれだけ昼食に行くことにする。
どこにしようか。どこでもっている。

結局、羽衣でいつものメンチカツを注文する。
ところで、羽衣の向こうの杉田建設の新社屋はだいぶ形になっている。

「じゃ25分経ったら来て。メンチカツだけどねー、そのうち無くなっちゃうんだ」
「いいよ別に。俺だって3月末で引き揚げだから」
「うちのメンチカツは分厚くて普通の家庭じゃ黒焦げになっちゃうんだ。だから卸屋でもやらないんだよね」
「まあ羽衣はうまいからね」

ともかくも、一旦帰宅して待つしかない。
母上は掃除を始めている。母上はまともな人間である。

そのうち12時半も過ぎたのでまた羽衣へ。

メンチカツ弁当を受け取って、いつもの二見港に近いベンチで食べようと思ったら、先客がいたので公園の屋根のあるベンチで食べることにする。

Twitterを見ていると、ちょうど30年前に発生した地下鉄サリン事件の話題。
拙ブログでも何回か触れたが、その時大学1年生で初めての海外旅行でシベリア鉄道に行っていたのだ。
モスクワのシェレメチェボ第二空港から成田に戻る時アエロフロートで配っていた日本のスポーツ新聞を見たら「東京でサリン事件」と。
果たして、成田に戻って成田線に乗ると、全くゴミ箱が撤去されている。

食べ終わって、やることもないので帰宅することにする。

母は風呂掃除をしている。よだれたらして遊んでいる息子とは大違いだ。

ずいぶん違和感がひどいようだが、これはこのような石鹸を使っているからではないかといって、アレッポの石鹸を差し示す。
それは一体どのような石鹸なのかと聞くので、1000年前のシリアの石鹸だと言うと、そんな石鹸よりも今は技術が発達しているので、日本の石鹸を使えと言う。
全くもって、カルチャーギャップは埋まりそうもない。

また、風呂洗うのに必要なので、たわしを買って来いと言う。

生協かまるひにあるかと思ったが、裏小祝がってたので買うことに。

そして、戻って寝室に引きこもって、またヴィーナス児の生成でもしている。

次は台所のライフスープを見咎めた。
これは何かと言うので、避難所とかで食べるスープと言うと、こんなスープを食べていたら変だと思われるので、普通の弁当買えと言う。
やはりここでもカルチャーギャップ。

その母上は夕食の買い出しに行くという。
こちらは何もしない。

そのうちドアをトントンする音。Amazonが来たのだ。
届いたのはお菓子。先日髪を切ってもらった時のお礼の品だ。

母上は買い物から戻ってきてまた買い物に行くという。
次は小祝だと。
一体今晩は何が出てくるやら・・・

やることもないので、かなり久しぶりに事件史ブログを起こすことにする。

買い物から母上が帰ってきたが、ステーキやら何やら、かなりの量の夕食を作るようだ。
昔であれば、「食べ過ぎると太るぞ」とばかり言っていたような記憶しかないのだが。

結局、今日の夕食は ステーキとブロッコリー。
そしてじゃがいもと玉ねぎと人参の味噌汁。

そして、母上は先に風呂に入るという。そっちの方がむしろありがたい。
一番風呂なんて、後の人を考えて綺麗に入れとか入浴剤を入れるなとか言われてしまうとめんどくさくなってしまい、 入る気をなくしてしまう。
ともかくも22時過ぎに風呂から上がる。

と思ったら직맹案件で距離梨ニキから怒りのメール。支店の宿直廃止問題。
「何で製品細胞が要求の提出を保留にしてるんだ。反対するならなぜ1月下旬の半期大会で反対しなかったのか。分断させる気か」
この分断という言い方を持ってくるのはいかにも共産党らしい気がする。(2023.2.10「あの党なら言いかねない」も参照)
なぜ反対意見を認めようとしないのだろうか。眠くてしょうがないんだけど、対応しないといけない。
「本部がおこです」と右から左に製品細胞に流しても良いのだが、そしたらまた「子供の使い」ということになる。
では支部としてどう考えているのかというと、「そりゃまあそういう意見もあるでしょうね」ぐらいだ。
では当座、この問題をどうするかというと、製品細胞には「保留することは了解。こちらは立場上粛々とやっていくことにする」、本部には「あんまり異なる意見を封じ込めようとするとまた退会の口実ができるので悩ましい」と書いておくことにした。

本当にもう寝たい。

今日の決死出演は4名(累計17名)。

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