今夜は肉鍋ね

北朝鮮KCTVでは「8.15遊撃隊」についての番組🇰🇵
光復の翌年1946年に開学した北朝鮮の最高学府では、朝鮮戦争が始まって2日後に決起大会が行われた。
女子学生の姿もかなり見られる。
この点は同時期の東大以上に女性の進出が進んでいたのではないだろうか。

そしてその金日成綜合大学の学生で組織された部隊が「8.15人民遊撃隊」ということらしい。
最高学府の学生自らが兵役に志願するあたり、徴兵逃れに工学部や医学部へ行こうとした大日本帝国の学生とは大違いである。

今日はダークツーリズムで群馬方面へ行きたい。
ダークツーリズムなら、図書館での調べ物が必要だ。

本当であれば、群馬県立図書館に行くために、6時台には行動開始していなければならないはずだった。

しかし、起きてみたらなんと6時過ぎだった。
これは起床事故である。

しかし、群馬県立に行かなくても、高崎市立中央でもどうにかなるかもしれない。
と言うことで予定通り行動を開始することにした。

ところで、心なしか具合が悪い。
体温を測ってみると、35.7℃である。
やっぱりメニエールの症状か。

それはともかく、武蔵野線の中の人となる。
武蔵野線は、コーナーが取れるほどには空いていた。

というか、東京でも千葉でも過去最高の感染者数となっている。
この期に及んでなお、お出かけしようと思う方が間違っているのかもしれないが…

南越谷のあたりからだんだん客が増えてきた。
おそらくは、浦和とか大宮を志向する客なのだろう。

そして南浦和で乗り換える。
どこで朝食にしようか迷ったが、南浦和の蕎麦屋で朝食とすることにする。

南浦和で朝食を食べてしまえば、後は浦和から中距離電車に乗って高崎を目指すだけである。

京浜東北線で1駅だけ乗って、浦和に到着する。

浦和に到着したは良いが、高崎行きが全くないのだ。
高崎行きを待っている間に、宇都宮行きは2本きている。
栃木と群馬ってそういうものなのか?

高崎行きは30分待たないと乗れない。
それで、しばらくベッカーズに入って一休みすることにした。

ただ、収鋲と言う観点から見れば、その間に来る籠原行きに乗っても、まだ収鋲していない上尾市は収鋲できるかもしれない。
ではそれに乗ってみよう。

ほどなくして、上尾に到着する。

上尾駅と言えば「上尾事件」である。
上尾事件の発生した昭和48年当時、国鉄は順法闘争の真っ最中であった。

国鉄の労働組合が、何が不満でその順法闘争を起こしていたかというと、国鉄が公共企業である故にスト権がないと言うことであった。

そしてまた、首都圏の国電は「5方面作戦」で、人口増加に対応する通勤客をさばくのに苦労していた。

そのくらい混雑していたにもかかわらず、国鉄の運転手の例により「規則遵守」を逆手に取ってノロノロ運転を繰り返していたのである。

その怒りが、昭和48年3月13日の上尾駅で爆発したのである。

当時、生まれていなかったのでわからないが、「労働運動」を決定的に悪いイメージにしてしまったのが国鉄ではないだろうか。
その労働運動に対する悪いイメージをめぐりめぐって、今なおここまで非正規労働が広がって収入が減っているにもかかわらず、労働運動に結びつくことがないと言うことには表れているのではないだろうか。

ともかくも、これをもって埼玉県上尾市は収鋲とする。(収鋲率:埼玉県69.8%、全国49.1%)
ここから先は高崎まで快速アーバンのグリーン車に乗っていくこととしたい。

そして高崎に到着する。
向こうのホームには、211系が止まっていて、高鉄局情緒を感じさせる。

駅のペデストリアンデッキに出てみると、日差しが強い。
こうも日差しが強いと、決死するのも却って難儀する。

それに加えて、高崎市立中央図書館の資料収集に行くためにどのバスに乗っていくかと言う問題もある。
最低限、市役所前にさえ行ければ後は歩でどうにかなる距離となる。

どうやら、コミュニティーバスが発達しているようで、市役所前には20分に1本走ってるようである。
また、この乗り場であれば、逆行なりにも比較的光線状態がマシなのでここで決死することとする。

コミュニティーバスは、上信電鉄が請け負っているようで、車両はポンチョである。

そのポンチョのバスは、ほどなくして市役所前に到着した。
高崎市の財政は比較的良いと見えて、かなり近代的で立派な建物である。

そして、炎天下を図書館に向かって歩いていくわけだ。

高崎市立中央図書館は、保健所と一体になった建物であった。
真ん中が吹き抜けになったかなり近代的な建物である。
その5階と6階が図書館であった。

2階では、コロナのワクチンの集団接種が行われていた。

さて、図書館では上毛新聞は、昭和20年のものは職員しか見れないデータベースですか検索できないようであった。
それでも、よく対応していただけたと思う。

では、今回の事件に関する紹介をしていきたいと思う。

その事件が初めて明るみに出たのは、終戦の年である昭和20年11月6日の上毛新聞のことであった。

「北甘の少女絞殺 食糧難に伴う悲劇」と言う見出しで報じられている。

「北甘」とは北甘楽郡のこと。
現在の富岡市を中心として上信電鉄沿いがそれに該当すると考えれば良いだろう。

事件は、その北甘楽郡の西の果て、長野県境にある尾沢村でのこと。

当時の警察制度は、まだ内務省警保局の時代であり、いわゆる「オイコラ警察」の時代である。
その頃の警察にあっては、どの家に家族は何人いるのかと言う「戸口調査」もまた大切な仕事であった。

終戦から2ヶ月経った10月末の事。
尾沢村の巡査がその戸口調査へ行ったところ、星尾という集落のある貧しい農家の娘が1人いないようである。

「あんた所には二十歳前の娘がいたはずだがどこにいってるんだい?」
「へぇ、旦那、あの娘なら前橋に行ってます」

それにしてはどうも色々とおかしいところがある。
何しろその娘はろくに言葉も話せない白痴なのだ。
そんな娘が1人で前橋まで行くだろうか。

この件は、下仁田にある本署にも報告され、11月3日の明治節が明けた翌4日の事、その娘の母親を取り調べたところ、殺害してゴミ捨て場に捨てたことを自供したのである。

それ以上に衝撃的な事実が報じられたのは、年が明けた昭和21年の1月13日の朝日新聞である。

当時の新聞はと言えば、極度の紙不足で表裏の2面だけ。
その2面の1番下にに小さく「群馬に戦慄の食人事件」と報じられている。

何分にも群馬の山奥で発生した事件であるだけに、具体的にどこどこの村であると言った事は書いていないが、その白痴の継子を殺した事件は、それだけにとどまらず、残った家族全員でその娘の肉を食ったということが報じられている。

年明けと言うタイミングでこの事件が報じられたのは、近く前橋地方裁判所で裁判が行われるということで、おそらくは前橋支局の記者が、当時の基準からしてもあまりにもショッキングなニュースと言うことで本社に報じたのではないだろうか。

新聞にはこれ以上の事は報じられていないが、昭和35年に刊行された「群馬県重要犯罪史」の記述を見るとかなり詳しく書かれている。

そもそも、この夫婦はどちらも初婚ではない。
昭和13年に事件当時の夫と一緒になった時点で、妻には昭和12年生まれの娘がおり、夫の方には、大正12年生まれの娘、昭和4年生まれの娘、昭和7年生まれの双子の娘と息子の4人がいた。
これに加えて、昭和15年と昭和17年にはそれぞれ息子が生まれている。
都合、7人の子供がいたことになる。

それでも普通に収入があって生活できていたと言うのならまだ良いのだが、夫の方は怠け者であり日雇いの収入を無計画に使ってしまう、妻の方はと言えば知能が低く、集落の中でも最底辺の極貧生活を送らなければいけなかった。

それで、夫のつれ子である大正12年生まれの娘、昭和7年生まれの双子の娘と息子は奉公に出していたようである。
なるほど、小学校を出る年齢になっていれば子守ぐらいはできるだろうと言うことだったのだろう。

そして17歳になっているはずの昭和4年生まれの娘なのであるが、小さい時に脳膜炎を患ってから白痴となってしまったと言うのである。

「馬鹿な子ほどかわいい」とはいってもあくまで自分の産んだ子供のことであり、旦那が連れてきた子供でなおかつ何の役にも立たない低脳の子供となったら、もう殺すしかないと言うことだったのだろう。

さてではダークツーリズムとしてその事件のあった尾沢村を目指すこととしたい。

まず、高崎から上信電鉄に乗り下仁田を目指す。
本当は、12時前に昼食にするのはあまり好きでは無いのだが、下仁田行きが12時13分発だと言うので、11時50分ごろに、前回も食べた痺れ辛いマーボードーフを食べることにする。

そして、良い時間になったので上信電鉄のホームへ行く。
上信電鉄はSuicaが使えないのでわざわざ切符を買わなければいけない。

それで、改札前の券売機で切符を買おうと思ったら、5000円札が機械に吸い込まれてしまった。
すでにもう発車時刻は近づいている。
大急ぎで駅員を呼び、5000円札を取り出してもらい、窓口で切符を買うことにした。

発行された下仁田までの切符は硬券だった。

車内は、光にならなければ座れないほどであったが、高崎商科大学前で高校生が大挙しておりたので、それ以降はガラガラであった。

終点の下仁田が近づくと、深い谷間となり、川の向こうの集落は、その谷に降りないといけないほどになっている。

そして終点の下仁田に到着。
構内にはJRから買った107系が止まっており、側線には保線用のモーターカーと貨車が止まっている。
かなりエモい風景である。

そして駅前にはバス停が3本たっており、下仁田町内、上野村、南牧村へのバスが出ている。
いずれも自治体が運営するバスとなっている。

南牧村へ行くバスはワゴン車となっており、駅の脇のスペースで休憩していた。

1つの自治体でありながら、もはやワゴン車だけで事足りる程度の交通需要しかない、ということである。

ちなみに人口1500人の南牧村の高齢化率は全国一で平均年齢が64歳であるという。
村で唯一の小学校も中学校も、10人強しか児童生徒がいない。

お客さんは70代か80代の老人ばかりで、運転手も60を超えているのではないかという老齢っぷりである。

…と、窓がポツポツ鳴っている。

雨!?
それもかなり強い。

気象庁ホームページを見ると、かなり強い雨が山沿いで観測されていることがわかる。

これは「興味本位で来るな」と言うお告げなのか?
そりゃ科学的には「熱雷」で説明がつくかもしれない。
しかしあまりにタイミングがよすぎる。
不気味なほどだ。

ところでバスのほうは、ワゴン車である割には降車ブザーがあったり、案内表示器があったり、かなりバスの体をなしている。

ところで、バスを降りる羽根沢に着くまでに雨は止んでくれないだろうか。

結局、バス停までに雨は止みそうになかった。

運転手が、「どこ行くの?民俗資料館の軒下で休んでたら?」なんて言う。
そうなのだ。基本、ここは村の外の人間が来るような場所ではない。
ワゴン車ぐらいの大きさの車なら顔を突き合わせる距離感だ。
この見慣れない客がどこへ行くのか、聞きたくもなるだろう。

まさか「昭和20年の人喰い事件の場所に…」なんて、言えたものではない。

それ以上深く聞かれる事はなかったが、いずれにしろ同じバスで下仁田駅で戻ることになる。
それまでに、何の目的でここへ来たのか答えられるようにしなければいけない。

それはそれとして、この雨の中をどうするかである。
「天のお告げ」に従って、これ以上動かずにここで待っていることに集中した方が良いだろうか?

Googleマップに載っているお休み処は営業している気配がない。
民俗資料館も土日は休みだと言う。

その民俗資料館は軒下で休めるようにはなっているが、ここに2時間もいると言うのはなかなか辛い。

そうしていると、だんだん雨が弱くなってきて蝉が鳴き出した。
つまりもう雨は降らないと考えて良いのではないだろうか。

弱い雨が降ってる中、タオルを頭にかぶり現場を目指すことにする。

雨が止んで日が出てきたのだが、ここまで寂しい山道だと野生動物も心配である。
それを警告する看板類はないが、例えば熊にでも出られたらどこへ逃げればいいのだろうか。

そういう心配をしてると、二股の道に出る。

その二股を右に折れて、川沿いに登っていくと、「元報道記者が見た昭和事件史」で現場だとされている多目的広場に出る。
しかし、「群馬県重要犯罪史」で見る限りでは、実は該当の住所は別にあり、これ以上言うと差し障りのある状態である。

そこで、くだんの多目的広場を撮影した位にしてここは終わることにする。
群馬県甘楽郡南牧村の収鋲は、表向きバス停の近くにあった民俗資料館で行ったということにしよう。(収鋲率:群馬県68.6%、全国49.2%)

後は元来た道を単純往復で沢沿いに下ることにする。

そして、バス停で1時間弱下仁田行きのバスを待つことにする。
その間、ブログの下書きをつけていることにしよう。

あと、よそ者がこんな山奥で何をしに来たと言う問いにどう答えるかについては、「星尾温泉に来た」と言うことにしようか。

果たして戻りのバスが来た。
しかし特段の会話もなく、下仁田まで連れて行ってもらうことになった。

後はもう帰途につくだけである。
16時56分の高崎駅があるが、そこから間をおかずして17時25分にも高崎駅がある。
それであれば、南蛇井の駅に寄ることができるかもしれない。

16時56分発の高崎行きは、元西武101系であった。

果たして、南蛇井に到着。
南蛇井の駅はいい感じの木造駅舎である。
そして、有人時間帯もあるのか、切符売り場やポイント設備もまだ生きている感じである。

撮影するだけ撮影して、次の高崎行きを待つ。
次の高崎行きは、元JRの107系であった。

ところで、すでに16時45分が過ぎている。
という事は、コロナはどうなったかである。
東京都の新規感染者は3058人だと言う。
先週の日曜日は1763人なので、実に1000人以上の増加である。
昨日のぽわんちゃんが何日か店を休みたいと言うのもよく理解できる。

上信電鉄は、高崎に近づくにつれて少しずつ客が増えていった。
そして高崎に到着。

高崎では、悪趣味だがどうせなら肉鍋にでもしようかと思ったが、ちょうどいい店がない。
あっても前橋のかなり奥に猪鍋の店があるという程度。

それでも、大盛り系の店であれば高崎駅前にあるようである。
と言うことで、高崎駅東口へ行ってみよう。

情報によっては、日曜日休みだと言う情報もあったのだが無事に開いていた。

ここで、塩味のすた丼を食べる。

さて、後は帰るだけである。
どうせなら、大宮20時56分発の「しもうさ」号に間に合うように帰りたい。

高崎からだと、19時33分の快速アーバンは20時46分に大宮に到着する。
これなら大丈夫だろうか。

それまでは、喫茶店で時間をつぶすことにする。

そして19時33分が近づいた。

Twitterを見ると、ぽわんちゃんがダイエット始めたのでカロリーのないお土産が欲しいと言う。
自分の今いるところはまさに群馬である。
ということで、下仁田こんにゃくをしこたま買い込む。

あと上野行きの快速アーバンに乗るだけ。

 

 

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