小笠原諸島は前線を伴った低気圧が通過している。
今日1日は朝方だけ雨で、その後は曇るという。
最高気温は23℃になるという。
目が覚めたら7時半前。
外は雨が降っている。少なくとも地面が濡れている。
2024年の今年は、数え年で50歳になる。
つまり「知命」ということ。
数え年なんて意識するようになったのは、本格的に日記をつけるようになってからだ。
永井荷風や古川ロッパは、乃公と同い年の時に、どんなことを考えていたのか。
誕生日もそれぞれ違うので、数え年で計算する方がわかりやすいのだ。
ところで、部屋の中がやたら寒い。
風邪をひきそうだ。
それでも、洗濯をしてしまい、SNS周りを少しやった位にして、初詣に出ることにしよう。
外は、傘が必要な程度には雨が降っている。
村の中心部は、役場で日の丸を上げていたり、警察署で紅白の幕を出していたり、新春ムード。
大神山神社でも、石段ではちょうちんを出している。
そして長い石段を登って大神山神社へ。
初詣のシーズンでもあり、手水場でも水を出している。
そして初詣。
お札も新しいものに取り替える。
おみくじも買ったのだが、「やまいにくるしむうえに はぢをうくることあるべしとなり」とある。
末吉とはいうが、かなり気をつけないといけない。
何しろもう「知命」という年齢なのだから。
それと、2024年ということは、あのブラックな2004年から20年ということになる。
そういえば10年前は何だったっけ。北海道支社から本社に戻る予定が1年延期になったんだっけ。
兎にも角にも、2024年は心していかなければいけない。
帰りしな、9時から海開きだったっけ・・・?と思ったら、まだ準備の最中である。
その時に防災無線が鳴って、「9時半から開催しますのでお越しください」という。
そうか9時半か・・・
ともかくも一旦帰宅。
そして、9時半が近づいたので、公園に行くことにする。
公園は、既に人で集まっていた。
なぜか、長い行列ができているので、何かと思ったら、「初泳ぎ証明書」という。
乃公ももらうことにした。
後は、祭りが始まるのを待つばかり…
ということで、ステージと脇のテントと、三日月山が入るように決死していたら、後ろから声をかけられる。
二等兵23-4と23-7だった。初泳ぎに来たのだと言う。
つまり決死してるのを見られた。こちらの決死が終わるのを待って声を掛けたまである。
それはともかく、多少話した位にして、老害は別なところに行こう。
「日本一早い海開き」は、まず小笠原太鼓で始まる。
次は、小笠原神社の神事。
そして、餅まき。
その後、後ろのほうに非常に長い行列ができたので、何があったのかと思ったら、ダンプレンを振る舞うと言う。
ダンプレンとはdumplingなのだそうで、いわば「西洋のすいとん」。
まるで、戦後の混乱期のような、長い行列を並んだ末に、小さなダンプレンが振る舞われた。
まるでトッポッキのような小さなすいとんに、コンソメで味付けがしてある。
かなり熱い。
23-4と23-7も並んでダンプレンを食べていた。
そして、反対側のテントに行くと、初泳ぎ証明書をくれるという。
そのうちに、南洋踊りが始まる。
渋谷村長が南洋踊りの保存会の会長であるのは有名だが、なんと支庁長や小学校長も踊っている。
偉い人は大変なのかもしれない。
そして福引が始まる。
一応601番の抽選券を持っているが、あまり期待はしない。
そう思ったら、偉い人として列席している海上保安署長さんが引き当ててくれた。
中には島ラー油、メカジキカレー、4000円分のお食事券、カレンダーが入っていた。
福引を当てたところで帰宅することにする。
昼食は、早速引き当てたメカジキカレーを食べることにする。
確かに小笠原は島魚が多く獲れるのではあるが、レトルトカレーを製造する設備は無い。
どこで製造してるのかと思ったら、札幌の業者であるようだ。
都合、2000キロも旅をしてここまで来ているわけだ。
ご飯も無いのだが、サトウのごはんを買うよりも、いつもの非常食のわかめご飯にする。
そして寝室に戻り、ソファーでぐったりする。
Googleフォトのマカ垢は、これまでのサブロクルールだった頃の余分に撮った写真を削っていく。
これでいくばくか容量が節約できるだろう。
結局、2023年10月まで削除した。
この元旦は結婚ラッシュだそうで、安住紳一郎・松井玲奈・広末涼子・HIKAKINなどが結婚するという。
ところで、松井玲奈はSKE48を卒業以降何をやってたのだろうと思ってたが、ド金髪になっていた。
このままぐったりしていると、時間が過ぎ去ってしまうので、ちょっとどこかに出かけることにしよう。
出かけるといっても、行くところなんて限られている。
艮瘋に乗って、ウェザーステーションにでも行くことにしよう。
そして、えっちらおっちら坂を登って、三日月山のウェザーステーションへ。
展望台には、数組の観光客がいる。
いや、地元の人かもしれない。かく言う乃公だって「地元の人」だ。
こちらは資料用ブログの週べ回顧の昭和34年11月の分をアップする。
さすがに、犯罪・事件関係は、正月三が日の間はやめておこう。
しかし、風が強いので、そんなに作業ははかどらない。
5ページ程度やった位にして退散することにしよう。
そして坂を降りていく。
相変わらず二見湾に面した街並みは絶景だ。
しかし風は冷たい。海開きの日とは到底思えない。
表通りの店々はいつもと変わらず営っていた。
それもそのはずで、「入港中」という商機であり、最大級の観光シーズンなのだ。
ただし、小祝商店は休んでいる。
その代わり、生協は3〜4日は休むようで、その辺りはきちんと協議して休んでいるのだろう。
農協の直営店もまた営っており、寄る事にした。
ここで「夢声戦争日記」でも読むことにしよう。
と思ったら社用携帯が鳴る。いつもは鳴りまくってるので無視してるのだが、不図見てみると「能登で大地震。震度6強」
エエエ!?
津波とか来るのかな・・・と思ったら津波警報が出てやがる。
そのうち能登が震度7になり、「大津波警報」になった。
これどうなるの!?やばいやばい。
何だか呑気に読書でもしている気分ではないのと、iPhoneのバッテリーが2%になったので、帰宅することにする。
津波の方は、富山県滑川市には到達したらしい。
山内泉アナの絶叫が話題になっている。
「今すぐに逃げること!後ろを振り返ったりしないこと!」
これは東日本大震災の教訓だと思うので、これでいいのだと思う。
そういえば船岡アナにストーカーされたのがこの山内泉アナだったか。
18時も近づいてきたので夕食の準備をしよう。
ささみ肉を解凍し、乾燥しいたけを水につける。
いつものキムチ鍋を「赤い雑煮」にして食べようと思うが、もはや祝賀ムードではない。
能登半島の方は、北陸各地で道路が寸断されていることが、Twitterで次々とやってくる。
そして輪島市内では大火事になっている。
また、その輪島市内では生き埋めなんていうツイートも。
かなり深刻。
YouTubeで気象庁の記者会見をライブ中継している。
震度7になったのは胆振東部地震以来、大津波警報は東日本大震災以来であるという。
津波は既に北海道の寿都だの小樽だのまで行ってるらしい。
差しあたり、こちらはエクササイズでもすることにしよう。
タイムキーパー代わりに、木下ゆうかチャンネルなどをBGMにしているが、iPadで地震情報を流している。
別にこんなところで聞いていても何になるわけでもないのはわかるのだが。
しかし、聞いてると精神的に不安定になってくる。
むしろ外で酔っ払って騒いでいる観光客や地元ヤンキーの方がまだ賢明だ。
結局、エクササイズは3往復やった。でもエクササイズは何のためにやるのだろう?
それは体の老化を防ぎ、身軽に動くためのはずだ。
それでは、身軽に動くための運動をしようではないか。
で、騒いでる声があまりにうるさいのでどこから聞こえてくるのかと思ったら、何と下の部屋だった。
つまり伍長23−1。実際に行ってみると、カーテンの隙間から23−2の顔が見える。
あとカラオケで歌ってるのは23−6か?
何か言ってやろうと思ったが、まあやめておこう。
22時になったので、風呂に入ることにしよう。いつものように木酢液を入れる。
ブラウザゲームは、まあまあ良い調子。
風呂から上がったのは23時半ごろ。
あとはもう寝てしまおう。
とんだ年始になってしまった。
今日の決死出演は6名(累計12名)。