九州ブルトレ並みのアイランドホッピング

伊豆七島をアイランドホッピングしながら神津島へ向かう東海汽船の中は基本ヒマ。
暇なので北朝鮮の手話辞典読んでた。
訳に自信は無い。

金策製鉄連合企業所に関する報道🇰🇵
金日成の忠実な部下であった金策の名を冠したこの製鉄所は北の果て清津にある。
そうかと思えば「北朝鮮の東工大」金策工業総合大学は平壌にあり、金策市は咸鏡北道の金策の出身地・城津郡を改名して誕生した。
事務室には偉大なる首領様のお言葉。
ちなみにこの製鉄所自体は日帝時代からあり、それをそのまま北朝鮮が運営しているもの。
こうした日帝時代のインフラが北朝鮮に多く残っており(水豊ダム等)、戦後の一時期は南朝鮮より経済状態が良かった時期もあったにはあった。

目覚めたのは5時台。
少し早い大島入港の時だった。

今日の大島は岡田港。どうせなら元町港の方がよかったのに。

外はようやく日が登ったという程度でまだ薄暗い。
それでも決死するにはまだどうにかなる照度だった。

海風が吹き付ける中、何度もやり直ししてどうにか決死を終える。
それでもまだ大島は20分停泊なのでまだいい方だ。
あまりに決死をやり過ぎてくしゃみと鼻水が出る。

次は利島。
それまで何をやっていようか。
か細いWi-Fiで北朝鮮ニュースでも見ていようか。

半年前の北朝鮮の手話のニュースを見るなど。

7時半が近づいてきた。
次は利島となる。

利島は人口300人で港はこの利島港が唯一。
山は宮塚山という休火山なのだという。
伊豆七島の中でも最も観光客が少なく、観光客が来ると島民にびっくりされるのだという。
いつか、ここをゆっくり歩いてみたいものである。

さて、このさるびあ丸のレストランはコロナで休止中であるというが、土日は開いているという。
営業時間は7:30〜8:30。つまり利島から新島までということになる。
それでお茶漬けを食べてみた。

あとはまたゴロゴロしつつ次の新島を目指す。

新島到着は8:35。
さっきの利島よりははるかに都会に見える。

新島村の人口は約2500人であるというが、それはあくまで隣の式根島まで合わせてのことで、式根島の人口が550人であるというから、都合2000人程度がこの新島に住んでいることになる。
ひと頃はナンパの名所であり、昭和61年には「新島の伝説」などという歌を田代まさしが歌っていたのだという。
その頃ナンパに血道を上げていた昭和40年頃に生まれた若者たちもまたこの東海汽船で来ていたのだろうか。

また、珍しいコーガ石という石材の産地であり、渋谷駅のモヤイ像もこのコーガ石が原料なのだという。
そして、くさやの発祥がこの新島であるとも言われている。

新島村はこの新島だけではなく、隣の式根島や無人島など複数の島々で構成されているという。伊豆七島では珍しい例ではないだろうか。
次の式根島まではたった20分程度なので慌ただしい。

そして次は式根島。
先述の通り、式根島は一つの自治体ではなく新島村の一部となっている。
つまり、さるびあ丸の寄港地の中で唯一独立した自治体になっていないということ。

式根島は利島などと違って山があるわけでもなく平坦な島である。
江戸時代までは新島と地続きであり、火山噴火によって分かれたのだという伝説があるらしいが、それは嘘なのだという。
明治初期、本土の企業家が式根島の所有権の横取りを太政官に申請し、それに危機感を持った新島の島民が「あくまでこの島は地続きだったのだ」と主張したのが始まりだったのだという。

でもどうなんだろうね。果たしてこの結果は「純朴な島民が知恵で悪辣な本土資本の侵略を追い返した」みたいな美談なんだろうけど、「こんな閉鎖的な島なんか侵略されてしまえ!」みたいに思ってた人もいなくはなかったのだろう。
そもそも日本はそういう歴史の連続だ。
ペリーが黒船の脅威で開国し明治維新となり、終戦でマッカーサーが日本に民主主義をもたらした。
そして今はコロナが働き方を根本から変えた。外からの外圧が無かったら日本社会は腐るのだ。
だから「膿家」なんてのが生まれる。
…まあそんな話はどうでもいいや。

あとは1時間程度で終点の神津島に到着する。
この先、いつのバスに乗ってどこに行くかというのを考えないといけない。

思えばこの8人和室はずっと1人で占有していた。
かつてサーフィンやらナンパやらに勤しんでいた若者たちもこの8人部屋に雑魚寝して新島を目指しただろうか。
そうやってナンパして結婚に至って出来た子供は今やかなりいい歳になっているのだろう。
実は欠損バーにも「両親の出会いはナンパだった」みたいな子もいる。

しかし10時まで船旅とはまるで西鹿児島まで走っていた頃の九州ブルトレのようでエモいではないか。
八丈島に行く橘丸は8時ごろの到着だったが、このさるびあ丸はそれより乗船時間が長い。
距離としては200kmあるかないかであるにもかかわらず、だ。

なおもゴロゴロしていたら、船が減速するのを感じた。
時間を見ると10時。もう神津島港が近いのだ。
いよいよ終点の神津島である。

降りると岩肌が屹立している。伊豆七島ならではの風景だ。
しばらく歩いて旅客ターミナルへ。
10:50に温泉保養センター行きのバスがあるというので、それに乗って旅の汗を流すことにしますか…

このご時世、どこの田舎の町村も駅を交通センターとなる建物は地域のコミュニティセンターだったり観光協会の事務所が入っていたりする。
バスが出るまでの30分強を、このターミナルで過ごすことにしたい。

そう思ってたら、すでにバスが来ていた。
バスとは言ってもワゴン車である。つまりその程度の需要しかないのだ。
バスの写真を撮るが、バス停のポールでうまく運転手の顔が隠れるように撮る。

ちょっと運転手に聞いてみる。
「今日温泉保養センターは営業してますか」
「やってないよというかお客さんは入れないよ。2週間待たないとね」
衝撃の事実。
しかし島によっては感染者も出ているので警戒しないといけないようだ。

仕方ないのでちょっと中心部に行ってみますかね…
Googleマップを見たら、丁字路の近くに「アニメイト」という店があったので何事かと思ったら、単なる飲食店らしき何かだった。

神津島の中心部はやたらアップダウンが激しい。
しかしこれでも、青ヶ島や御蔵島のように断崖絶壁を登り切った所にあるとかではなく、家を建てれる程度には緩やかな坂である、ということであろう。

中心部と思しきところにはそれなりに家が密集している。
その中に御蔵島南駐在所があった。管轄しているのは新島警察署。
新島はやっぱりこの地域では都会なのだ。

で、注目すべきはその隣のある「免許更新事務所」だ。
確か青ヶ島では八丈島から警察署員が定期的に来て講習するらしい。
こうした施設も島ならではと言えよう。

ところで12時も近くなったのでどこかで昼食にしたいのだが…
悲しいかなどこも営業してない。

ただし商店は営業してたので、地元の焼酎を買うことにした。
「盛若」という麦焼酎らしい。お店のお兄さんによれば「神津島の酒は全部麦ですね。飲みやすいと評判ですよ」という。

どこをどう歩いても営業してる飲食店がないので、仕方なく客船ターミナル近くの食堂へ。
こういうところでは可もなく不可もない何かにありつくことはできる。
ということで何を食べたかというと、豚の生姜焼き定食。
魚は食えないので仕方ないのだ…

さて、あとはもう見たいものも特に無いので、13:10の多幸浜行きバスが出るまで旅客ターミナルでブログ付けでもしながらぼんやりしてるしか無い。

そしてバスの出発の時間になった。

「このバスは多幸浜行きですよ?」
「いいんです。各地のローカルバスに乗るのが趣味なんで。太川陽介みたいに」
「ああ」
「キャンプ場も閉鎖になるしお客さんいなくて大変でしょう」
「コロナもどうなるんだかね。昨日も300人ぐらい感染したし…」
「まあ3月7日は解除でしょ。小池百合子だってオリンピックやりたいだろうし」
「オリンピックなんてやったら外国からどんなウイルスが入ってくるか分からない」
「だからオリンピックの時は東京から逃げたいですよ」

そんな話をしつつ天上山の登山口へと坂を登っていく。
その登山口が峠のサミットであり、そこから先は坂を下る。

「天気によっては東海汽船は多幸浜に着くんですって?」
「ああ、冬に西風になると多幸浜になるよ」
「多幸浜だと不便ですね」
「でも多幸浜は晴れた日には三宅とか御蔵まで見えるんだ」

バスは13:20頃つまり3分早く到着し、都合5分程度撮影時間があった。
なるほどこれは絶景である。

あとはもう帰るばかりとなった。
また旅客ターミナルでブログ付けでもしつつ、朝鮮YouTubeでも見つつ暇を潰す。

いよいよ15時が近づいてきた。
また同じバスに乗って空港へ向かう。
空港はちょうど調布から来たばかりの便で出迎えの車で賑わっていた。
これらの車が悉く軽自動車なのである。

そもそも船で車を運んでこないといけないわけで、それが一番効率的なのだろう。
青ヶ島でもそうだった。

空港の外で決死してると電話。
「あの、新中央航空ですが… あ、いらっしゃってますね」
どうやら遅すぎて業をにやしたらしい。

大急ぎでチェックインして荷物を預ける。体重まで記入させられる。
荷物超過で1500円取られてしまった。それで、現在決死してる嵐山以外は預託荷物となってしまった。

あとは赤外線チェックして登場待合室の人となる。
しかし狭い。

いよいよ搭乗時刻となる。名前を呼ばれた順からの搭乗となり、座席は機体の前で言い渡される。
そうやって左右の体重のバランスをとっているらしい。

そしていよいよ出発。これで神津島ともお別れである。

調布へ向かうドルニエ228の機内で思い出した。
調布飛行場到着の際は、宇崎で決死したかったが、宇崎は預託荷物の中。
つまり荷物を受け取るまで決死できないのだ。

チェックインがあまりにバタバタだったので思いつかなかったといえば言い訳になりやすいが、とにかく調布飛行場に降り立った時で決死するのは無理。

飛行機は式根島、新島、利島、大島と上空を飛んでいく。
そして三浦半島から本土に入った。
iPhoneをオンにしていると電波が入り、位置情報も分かるのだ。
首都高速の狩場インターチェンジの複雑な形も丸見えである。

そして調布飛行場に到着。
ここで決死できないのはなんとも悔しい。

外でやっと決死できたが、「太陽に向かって撮る」レベルのド逆光で取れたものではなかったが、どうにか電柱の影で撮ることができた。

あとはバスで調布駅へ行くだけ。
どうせ調布に行くなら、たけちゃん煮干しラーメンでも食べようか。
いや、煮干しラーメンならもっとガッツリしたのがいい。
調べてみると下北沢に「凪」があるようだ。

そして快速で明大前まで行き、明大前から井の頭線。

下北沢の「凪」で夕食。
あとは千代田線直通で帰るだけ。

帰宅して青酎で晩酌… と思ったら瓶がもう空いていたので、今日神津島で買ってきた麦焼酎「盛若」を試してみる。

麦焼酎だけに飲みやすくて人気なのだとか。

神津岛町営バスの運転手氏によれば「昔は島では芋焼酎も作ってたけど臭いので売れなくなった。今は麦焼酎しか作ってない」とのこと。
ガッツリ芋派のワイからすれば麦焼酎なんて味が無くてまるで甲類焼酎みたいに思えるけど…

そのあたりは個人の感じ方なのでどっちが良い悪いではないけど、でもくさやの産地の民が「芋焼酎は臭すぎる」ってどんなんよ?とは思った。

関連するエントリ(とシステム側で自動的に判断したもの)


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です