尾瀬夜行2355がこんなツアーを始めるのだという。
いつか乗ってはみたかったが、別に登山をするわけでもないし・・・と乗る機会を逸していたところ、お誂え向きのツアーができたものである。
ただし、ツアーという形を取らないといけないので、東武トップツアーズの松戸支店でツアーを申し込んだのである。
午後は会社で会議があり、一度帰宅するかどうか迷ったが、そのまま出発する事にした。
途中、稲荷町の銭湯で汗を流す。
そして浅草駅へ。あの饐えた匂いの地下商店街も殆どが店を閉めているが、飲み屋が1軒だけ開いていた。
待合室には登山客が数人。きっと尾瀬夜行で行くのであろう。
尾瀬夜行23:55はリバティの3両編成で、客はコロナのせいかほとんどいなかった。
(決死モデル:トルソーさんのナイ;魔法戦隊マジレンジャー出身)
明日は3:19に到着して、それでも3:50までは車内にいていいというが、それでもかなりの強行日程である。
それで、早く寝れるように焼酎とポテトチップスを買い込んだ。
3両編成の尾瀬夜行は北千住、新越谷、春日部と停まっていく。
隣のホームでは北春日部行きの日比直が止まっているが、やはりあの夜行列車独特の優越感を感じることができた。
車内はガラガラでシートを回転して広く使いたかったが、春日部から近くに誰か乗ってくるかもしれないので、春日部までは起きていた。
そして春日部で周囲に誰も乗り込まないのを確認して、シートを転回して広く使って寝ることに。
目が覚めたらギリギリ3時50分であった。もう退去時刻である。
ある意味当たり前かもしれないが、自分以外は登山ルックであり、まるで場違いのように思える。
それに何より寒い。朝方といえば1日のうちで一番気温が下がる時間帯。その事をすっかり忘れていた。
会津高原でこのくらい寒いなら、桧枝岐とか沼山峠なんてどのくらい寒いんだ・・・
(決死モデル:チームP芳香ちゃん;魔法戦隊マジレンジャー出身)
バス乗り場は、会津高原尾瀬口駅の駅舎を出て、上屋のある通路を下っていったところにある。
程なくしてバスは来た。
「どちらで降りられます?」と聞かれたので、桧枝岐村の中心部に近い駒ヶ岳登山口にしようかとも思ったが、眠くてしょうがないので沼山峠まで行ってしまいたいような気もする。
しかしここで檜枝岐村を見ておかないと後悔するような気もする。
結局、駒ヶ岳登山口までお願いする事にした。
外はまだ暗い中、バスは山道を登っていく。
寝ているうちに空は白んできた。
もうそろそろ駒ヶ岳登山口に到着である。
半ば眠い中をバスを降りる。
そしてまだ肌寒い。
こんな山の中での早朝、寄ってコーヒーでも飲めるような所もない。
そんな駒ヶ岳登山口で降りるのはなかなか勇気のいる事だった。
ただ、ここから桧枝岐村の中心部は歩いてそれほどもかからない。
朝もやの道を歩いていると村役場の前に到着した。
この桧枝岐村、ちょっと奇異に思えたのが村の中心に墓地があるという事である。まるで役場や住宅と墓地が混在するように。
このような村落は初めて見た。やっぱり眠くて寒い中を降りて正解だったかも知れない。
(決死モデル:チームY宇崎;獣拳戦隊ゲキレンジャー出身)
さて、沼山峠行きのバスは6:30発だというので、まだ30分ぐらい時間が余っている。
旅館や民宿の並んでいる桧枝岐中央のバス停の近くまで行くと、桧枝岐歌舞伎の舞台があるという。
そこは神社の中にあった。
神社の参道には、なぜか沢山のハサミが奉納されている祠がある。これは悪縁を断ち切る神様なのだという。
そうかと思えば、隣にもやはりハサミが奉納されており、こちらは良縁のための神様なのだという。
(決死モデル:チームY城ヶ崎;電磁戦隊メガレンジャー出身)
これらの奥に、桧枝岐歌舞伎の舞台はあった。
ベンチの代わりに山の石段に座るようになっている。苔もむしており、雨上がりなどに座ったらさぞ気持ち悪いだろう。
そんなこんなしていたら、バスの出発まであと数分になってしまった。
なかなか充実した桧枝岐途中下車であった。
次は路線バスで沼山峠へ。
同じ桧枝岐村内を1時間かけて走る。桧枝岐村というのがあまりにも広大すぎるのだ。
途中から登山客が数人乗って来た。
そして沼山峠に到着。コロナの影響で休憩所の売店は開いていない。
桧枝岐に寄るためにバスを1本遅らせたとは言っても、奥只見湖乗船口行きのバスは9時発なので、まだ2時間ぐらいある。
まだ肌寒いので、なるべく日の当たる所で待つ事にした。
そのうち暑くなって来た。
電気バスが御池と往復している。あれにも乗れればよかった。
(決死モデル:トルソーさんのメア;魔法戦隊マジレンジャー出身)
そのうち奥只見湖乗船口行きのバスが来たが、行先表示は「会津バス」のままで、いかにも本来の時刻表にはない路線という雰囲気がある。
そしてナンバーは「福島22」。3桁ナンバーが一般的になっている昨今、2桁ナンバーなんてエモい。
沼山峠から奥只見湖乗船口へ行くバスは予約制であるというが、御池から3人乗り、都合4人で奥只見湖遊覧船を目指すということになる。
道中、人家はほぼ皆無。
1日2往復だけの系統で、おそらくは遊覧船との連動ダイヤになっているのだろう。
途中、時間調整のために数分の停車がある。「外に出て写真撮るなら撮っていいですよ」と福島弁の運転手。
バスでなお1時間揺られてもまだ桧枝岐村内という、さすがは日本一人口密度の低い村である。
そして新潟県南魚沼市に入る。というか、只見川沿いの道路がすなわち県境なのだ。
そして乗船場とも思えない山奥が終点であった。
乗船場へ行くには長い階段を下りる。
そこは無人の乗船場で、若い船長と小さな船が待っていた。
(決死モデル:チームR園田;仮面ライダー555出身)
11時15分、バスに乗っていた4人をそのまま乗せて小さな遊覧船は尾瀬口乗船場を出発する。
両側には山々が迫りくる。
この奥会津はかつて「お蔵入り」地方と呼ばれ、会津若松はおろか会津田島の本署へ出るだけでも一昼夜掛かったというほどの隔絶した秘境であったという。(「福島県犯罪史」第5巻より)
観光案内は自動音声であるが、「この奥只見の自然の厳しさを象徴する事件として、昭和13年2月18日、右手に見えます銀山平の片貝沢で軍用機の操縦桿が凍結して遭難し墜落、遺体の回収に1年もかかったという事故の現場となっております・・・」期せずしてダークツーリズムになってしまった。
と、向こうにはそこそこ大きくてアメリカの外輪船のような遊覧船がすれちがって行く。ああいう本格的な遊覧船もあるようである。
(決死モデル:トルソーさんの丸尾;超力戦隊オーレンジャー出身)
結構な数の観光客がダムからの眺めを楽しんでいる。
ダムサイトから食堂や土産物屋などの観光拠点となるターミナルまではかなりの高低差があり、「スロープカー」という、横浜の病院のモノレールのような乗り物が100円で有償運送している。有償運送ということは、地元の陸運局に登録しているのだろうか。
観光ターミナルは1970年代情緒を感じる建物で、けんちん汁でも食べたかったが結局バスまでの時間は無し。
奥只見ダムからは南越後観光バスで行くことになる。急行バスとは言うもののマイクロバスであった。
(決死モデル:チームR小沢;仮面ライダーアギト出身)
ここから「シルバーライン」という、ダム建設のための道路を行くことになる。20kmの区間のほとんどがトンネルであり、まるで立山黒部アルペンルートのような道である。
そして小出をかすめて新幹線の停まる浦佐駅へ。
浦佐駅には田中角栄大先生の銅像がある。
(決死モデル:チームPユウリ;未来戦隊タイムレンジャー出身)
浦佐は魚沼地方の拠点である六日町と小出の中間にあるが、田中角栄の影響力による政治駅である説と、越後湯沢と長岡の中間でたまたま線形がよかったからという説がある。
13:11の「とき」にも間に合ったが、西口側に大盛で有名な食堂があるという。ここで食べてから13:55のに乗ってもいいか・・・
ということで、その大盛丼を頼んでみるが「今はやってないんですよ」という。仕方が無いのでモツ煮定食で。
あとはもう帰るだけ。とにかく眠い。
大宮に到着したが、武蔵野線直通は無いのだろうか?
仕方が無いので、大宮駅の地下ホームから埼京線へ。南浦和の1つ前の武蔵浦和からであれば、座れる確率も高くなろう。
果たして、武蔵浦和で武蔵野線に乗ったらコーナーに座ることができた。