緊急事態宣言も解除の方向に動きつつあるとは言うものの、まだまだ旅行という雰囲気ではない。
また週末が来たのでどこか近くにでも行きたい・・・
と思ったら、午後には雨になるという。
じゃちょっと自転車はやめて電車にするか・・・
昭和26年の稲刈りも終わった10月28日の昼前のこと。
今でこそ佐倉市に合併され宅地化著しい臼井地区も、当時は関東平野の純農村であった。
その臼井町の54歳の農夫が京成線の踏切を超え、自分の家の畑を耕しに牛車を引いて行く途中、普段から仲の悪かった隣家の61歳の男をであった。
「お前の所の小倅がうちのガラスを割りやがって・・・」
「何を!?」
こんな小競り合いはこれまでにも何回も繰り返されてきたのかもしれない。
いつもと違ったのは41歳の男が万能鍬でメッタ打ちにされて死んだということ。
この事件が当時の千葉新聞に掲載されたのは、翌10月28日のことであった。
現在の千葉日報が昭和31年に創刊されたのは、この千葉新聞の廃刊を受けてのもの。
拙ブログに登場するのはこれが初めてではなく、本事件が発生した同じ昭和26年1月31日に栄町で発生したDV夫殺害事件でも千葉新聞が出ている。
当然61歳の男は逮捕され、裁判にかけられることになった。
翌昭和27年12月24日発行の「アサヒグラフ」に、その裁判や現場検証の経緯が詳しく掲載されている。
千葉地方裁判所で行われた第1審では、61歳の男は傷害致死で懲役6年の判決を下されたという。
判決に不満であった男は控訴し、東京高裁で行われた第2審では懲役2年となった。
先述の千葉新聞では「子供が加害者宅のガラスを割ったこと」が口論の契機とされていたが、この「アサヒグラフ」では「財力も腕力も優れていた被害者にたえず劣等感を抱いていた」という記述がなされている。
どうも線路の北側の市街地から踏切を渡る所で口論が始まったようで、それを別の女性が目撃していたようである。
「馬鹿野郎!」
「何が馬鹿だ」
「馬鹿だから馬鹿だ」
「この!」
この事件で被告人の弁護にあたったのは、のちに八海事件など冤罪事件の弁護で有名となった正木旲氏である。
そしてこの正木氏のWikipediaの項目で使われている写真こそ、この事件の現場検証の写真なのである。
その正木氏の弁護のポイントは、以下の通りであった。
- 被告人の普段の性格からして、殴りかかる被害者を防ごうとした正当防衛である
- 目撃した女性も「最初に挑発したのは被害者である」旨の証言をしている
結局、1審では検察により殺人罪で懲役12年の求刑があったところ、「明確な自白が無い」「殺害の動機が曖昧」「計画的ではない」と言う所から傷害致死で懲役6年の判決となった。
さて、ではここにダークツーリズムに・・・と言いたいところではあるが、実際どこでそれは発生したのか。
最近は国土地理院でも航空地図が提供されており、当時の様子がよく分かるというもの。
だいたい何となく分かってきたぞ・・・
そうと知ったら京成線に乗って臼井へGO!
現在の京成臼井駅は、昭和53年に土地区画整理事業によって北側の臼井町の市街地から現在の駅に移ったものであるという。
(決死モデル:チームPさくら)
ついでに言うと印旛郡臼井町は事件の3年後の昭和29年に、佐倉市に合併されている。
駅前には「長嶋茂雄さんのふるさと」と書かれている。
いつだったか、長嶋茂雄の生家がその母親の死後、荒廃するにまかせて地元でも困惑している旨の記事があった。
実際に国道沿いの生家に行ってみると、現在はすっかり建て替わっていた。
そして表札は出されていなかった。色々面倒くさいことがあるのだろう。
そしてその近くには佐倉市立臼井小学校がある。
校門の脇には「巨人軍 長嶋茂雄 昭和四十一年五月吉日」という銘がある。
長嶋茂雄が30歳となった昭和41年のシーズンは以下のようなものであったというと、以下の通りであったという。
打率.344、5度目の首位打者を獲得。26本塁打・105打点はそれぞれ王に次ぐリーグ2位だった。秋には、日米野球で来日したドジャースのオマリー会長が「長嶋を譲って欲しい。2年間でいい」と正力松太郎社主に打診したが、「長嶋がいなくなると、日本の野球は10年おくれる」と断ったため、メジャー移籍は実現しなかった[21]。
予報されていたこととはいえ、だんだん雨脚が激しくなってきたので先を急ぐことにしたい。
件の事件で被害者と加害者が口論しながら通ったという田舎道はだいたいすぐ分かった。
踏切も現在ではこのように近代化されており、とうじのよすがを偲ぶものは向こうの丘ぐらいしかない。
(決死モデル:チームPペギー)
さて、あとは事件のあった「おいせん坂」へ行くこととしたい。
この「おいせん」とは、おそらく現在の「お伊勢公園」のことであろう。
そのお伊勢公園はこの踏切からは歩いていてもすぐである。
ただ、歩いていても「坂」と言えるほどの勾配は感じない。
そしてお伊勢公園へ。
お伊勢公園の北側に回ってみると、下り坂となっている。
ただし踏切側から見ると、下り坂となっており、踏切方面から「坂を上る」感じではない。
(決死モデル:トルソーさんのナイ)
ところで、ナイの中の中の人と言えばニュースzeroにもキャスターとして出演している。
ナイの中の中の人がもし現地リポートをしたらどのようになっただろうか。
「千葉県内で農業を営む61歳の男が、同じく農業を営んでいたという41歳の男性を、万能ぐわでメッタ刺しにして殺害したということなんですが、ここがその現場となります。現場はこのように、京成線の踏切からは近いのですが、木々がうっそうと生い茂っておりまして真昼でも薄暗い状態となっています」
・・・とかそんな感じなのかな。
だんだん雨が激しくなってきたのでさっさと退散することにしよう。