トンネル抜ければ 夏の海

個人的には、どこへ行っても山下清呼ばわりされる昨今・・・

ほなとことんまでなったろやないかい。
そう言えば放浪癖がある所まで自分とそっくり・・・
今日は頚城鉄道百間町駅の跡を利用したくびき野レールパークの開催日なので、そこまで行ってみようか。

ということで上から下まで山下清コーデでキメる。
これが俺の#OOTD(Outfit Of The Day)だ!
余程インスタ映えするのではないだろうか。
人生の中でまさか自分がこんなアングルで写真撮るとは思わんかった。

そしてまた、山下清たらんとする為に何としても必要なのは「おにぎり」これを措いて他にあるまい。

#零票確認ガチ勢も済んだこととて・・・

ぼ、ぼ、ぼ、僕は、お、お、おにぎりが、た、食べたいんだな。
ぼぼ、僕の、と、と、と、特殊性癖は、へ、兵隊さんの位で言えば、た、た、大将か、じょ、上級大将なんだな。

ということで今日もまた新幹線の中の人となっている。
ただし今日はMaxときなので、スマホの電源があるわけではない。
決死モデルチームPウメコ

それに、トンネルしかないのでWiMAXはおろかスマホすらつながらない。
新幹線でも高速バスでも、最近の電源ありの旅に慣らされると、この無い無いづくしのMaxはつらくもある。

ただ、このMaxにしても東北新幹線がE5、E6で高速化する、長野新幹線はE7で統一ということで消去法で上越新幹線に来ている感が否めなくもない。

そして国境のトンネルを抜けスマホの電波が戻るとそこは越後湯沢でした、と・・・

今回の頚城行きは本当に接続に恵まれており、零票確認が終わり、直江津からは1日に数本しかない百間町方面のバスのうちの1本である11:06に数分のところで間に合うのである。
それも噂の超快速「スノーラビット」にも乗れるのだ。
決死モデル:チームWBノノナナ

そのスノーラビットは、1両だけで発車を待っていた。
1両だなんて、日本の速達列車史上例を見ないのではないか。
いや、仙台〜会津田島の急行「いなわしろ」があったか。

ともあれ、直江津あたりでは今でも速達手段として勝負しうるのだ。

そしてスノーラビットは快調にほくほく線を飛ばす。
とは言ってもトンネルしかない。

トンネルを出たと思ったら十日町に到着した。
ほくほく線は単線なので、対向列車との待ち合わせがある。
それで数分停車。
決死モデル:チームT美川

向こうからやってきた越後湯沢行きは普通列車であったが、2両編成だった。

こちらも出発し、いよいよ中越から上越に入ることになる。
ほくほく線としては、こちらの区間の方がよほどスピードを出せそうな区間のようである。

そして松之山トンネルを抜けて頚城平野に出ると、スマホがやっとつながるようになった。
そして犀潟で信越本線に合流。

そして直江津に到着し、マルケーの21番のバスで百間町を目指すことにする。
バス停で待っていたのは、いかにも同業者といった風情のオタクであった。

また、バスの案内所の女性も、今日がくびき野レールパークの開館日であることを知っており、親切に案内してくれた。
昨日の小坂レールパーク同様、地域の観光の1つの核として存在しているようだった。

程なくしてバスは出発する。
直江津から百間町はそれほど距離があるわけではない。
決死モデル:チームP芳香ちゃん

直江津の市街地を出て、一面の田園地帯を走る。

そして頸城村・・・現在は上越市頚城区となった百間町の海洋センターに到着。
この内陸部で「海洋センター」とはこれいかに? という感じもするが、ここもまた丹原のプール同様、笹川良一の日本財団の海洋センターがある。

そしてこの海洋センターのバス待合室は「頚城巡回バスターミナル」と名付けられていた。
とはいっても土休日はほぼ走っていないも同然である。
地方における公共交通機関はここまで崩壊してしまったのかと驚きを禁じ得ない。
決死モデル:トルソーさんファラキャ

それと、くびき野レールの公式ページでは「周囲には店がありませんのであらかじめ食べ物を買っておいてください」と書いてある。
いくら交通の不便な田舎であるとは言え、まさか食い物屋が皆無ということはないだろう。

Googleマップで調べてみると、少し歩いた所にパンヤがあるようである。
そこで昼食用のパンを買って、それからくびき野レールパークへ行くことにしたい。

さあ、ではくびき野レールパークへ・・・ と思ったら!?
のっけからゴーゴーカレーがあるではないか。
決死モデル:チームTヤギー

さすがは北陸である。金沢の郷土料理がここにも進出しているとはさすがである。
聞くと「5月のゴーゴーカレーのイベントの時以外はここで出店している」という、

だったら、公式HPの「店がありません」とかいうのはどういうこと!?
こんな事を知っていれば、遠い思いをしてパン屋に買いに行くことは無かったのだ。
恐らくは、供食設備が貧弱なので免責事項ディスクレイマーの意味から書いたものと思うが、それにしたってこのことは事前に告知してもいいではないか。

まあいいや。保存会の人達だって一生懸命やってるのだ。

入ってみると、早速DC92が無蓋車1両、客車1両をつないで構内を往復していた。
軽便鉄道の本で「頚城鉄道」の項目があると必ず出てくる、3軸ロッド式の機関車である。

これは昭和29年に協三工業で製造された。つまりエンジンは御年65歳ということになる。
ここまで古いエンジンをよくぞ保存してくれているものである。

車庫の中の時刻表を見てみると、9時~15時の開館時間中、30分ごとに構内を往復しているようであった。
行路としては、車庫を出てまず本線であった所?の浦川原方ギリギリまで出る。
そしてポイントを切り替え、本線であった所?を戻って、新黒井方?ギリギリまで走る。
そしてまた本線上を浦川原方?まで戻り、ポイントを切り替えてまた車庫に戻る、というのが1セットのようだった。

そして、気動車マニアのケがある自分としては、頚城はホジ3の方が気になる存在である。
そもそもこの「ホジ」とはどういう意味か?
井笠鉄道でも気動車の車輛記号は「ホジ」だった。
まさか鼻ホジ?

・・・いや、「ホ」というのは「コホナオスマカ」の客車の重量記号ではないだろうか。ナハネ20とかスハフ44とか言うあれである。
で「ジ」はジーゼルの「ジ」。
これが熊延鉄道になると「ヂハ」だったりしたものである。

中を見てみると、まるでバスの運転席のようなシフトレバーがある。
正に機械式気動車。

このアンバランスな前面窓が特徴的なホジホジは、元々は大正3年に「日本初の畳敷き特別車両」ホトク1として誕生した木造客車であった所、昭和6年に自社工場でエンジンを付けたのだという。
中に入ってみると、エンジンルームが茶箱のように客室中央に鎮座している。
東京モノレールならここに座席をおいて座っていたかもしれない。

ただし、現在はエンジンの故障で動いていないのだという。
次回の9月の公開には間に合わせたいとのこと。

そして両車両の中間に入ってみる。
ホジホジのサボは「浦川原行」、DC92の牽く客車列車は「百間町~飯室」とある。
そう。末期の頚城鉄道は、国鉄と接続する新黒井~百間町と、飯室~浦川原を廃止するという妙ちきりんな廃止方法をとっていたのだ。
国鉄と連絡もできずローカル私鉄が運営できたのだろうか?

そういえば同じ新潟県の新潟交通も、末期は県庁前~東関屋と、月潟~燕は廃止して、離れ小島のように運行していた。
これは「新潟形の廃止方法」なのだろうか?

そのあたりの事情はWikipediaには書いていなかった。RM Library(77)頚城鉄道であれば書いているだろうか?

さて、せっかくなので30分に1本の客車運転に乗ってみようか。
運行経路は先述の通りとなる。

乗ってみると、ロングシートの車内は非常に狭い。
以前乗ったインドのナローゲージよりまだ狭いのではないだろうか。
そう、いつぞや乗ったインドのナローゲージのような体感が蘇ってきた。

ロングシートとは言っても向こうの人の膝と突き合うような狭い車内。
百間町や浦川原出身の人は、直江津行きの列車を黒井で降りて、この小さな列車に乗り換えただろうか。
「思えば遠くへきたもんだ」という感慨を抱きながら。

一旦本線へ出ると、係員がポイントを反位から正位に切り替える。
幸せな感覚に包まれる。

さて、この列車を降りてしまうとやることがない。
さりとて16:44のバスまではまだ時間がある。

ベンチらしきものも無いので、適当なブロックに腰かけていると、保存会の人達が片づけを始める。
一抹の寂しさが百間町駅を支配し始める。
ああ、そうか。ここは15時までだったんだ。

そうすると、15時から1時間強、何もやることがない。
そのくらいならさっさと直江津に出て帰った方が良いかもしれない。

ということで犀潟へ。
本当は直江津に行こうと思ったが、上越妙高からのほくりく新幹線に乗るには、犀潟からでも直江津からでも変わりないようだったので、それではと最も近い犀潟に行ってもらうことにしたのだ。
決死モデル:チームPメイ

犀潟には以前来たこともあるが、その時は「新潟県で最も古い」木造駅舎だった。
しかし現在は建て替わっている。
しかし、待合室は冷房が効いており、これはこれで良かったのかもしれない。

ということで直江津行きに乗る。
直江津行きはほくほく線からの直通車輛だった。
いわばイラン航空のテヘラン~成田便を北京~成田だけ使うようなもんだろうか。

そしてえちごトキめき鉄道に乗り換え上越妙高へ。

上越妙高は新幹線駅だけあり、供食設備や物販設備は充実している。
栃尾の油揚げや竹の子汁を食べたが、竹の子汁はやたら魚の香りが強い。
まるであら汁のようだった。

さて、「はくたか570号」が来たので、これで一路東京を目指すことにする。
決死モデル:チームTエリー

頚城鉄道の旅も終わってしまった・・・

さて、今日は選挙特番でも見るか!

 

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