サードプレイスの世界観

ベトナムのスタバで差別事案が発生したらしく・・・

ベトナムで起業している意識高い方が、現地人のいない空間をくつろいでいたら、そこえ現地のデリバリードライバーが現れて、一気に興ざめしたというものらしい。

なるほどなるほど、ベトナムなら上級国民ヅラして周囲を睥睨しながら過ごすことができたであろう、その夢やプライドを打ち破られた怒りはいかばかりのものだったでしょうか。

さて、それはともかく久しぶりにいちょう団地でフォーを食べることにしたい。
雨の中を我が居場所サードプレイスに向けて出発しましょう・・・
そのついでに、現在運転手が運転しているシーサイドライナーへも行きたい。
確かもう金沢八景も30年越しの本駅舎が完成しているはずである。

いつもであれば、いちょう団地に行くのであれば松戸から常磐線の中電(青い電車)でグリーン車に乗っていくのであるが、なにぶん2000万円ためなければいけないことになったこととて、なるべく定期券で行けるところは行くことにしたい。
ということで西日暮里まで定期で行き、西日暮里から京浜東北線で行くことにする。
運よく大船行きが当たれば、新杉田まで寝て移動できるはず。
決死モデル:チームWBナギサヤ

しかし京浜東北線はそろそろ快速運転の時間っだったはず・・・
と思ったら、10:16の磯子行きがあった。これが午前中の最後の各駅停車で、あとは上野まで山手線に乗らないといけない。
この前の10:11の大船行きであれば、新杉田まで寝て移動することができたが仕方あるまい。
ということで、今日は徹夜案件であることとて、寝れるときはなるべく寝て移動することにしたい。

そして寝ている間に磯子に到着。
決死モデル:トルソーさん丸尾

トイレの文言が奮っていて、いわく、

みなと横浜の緑の綺麗な街が調和している磯子です。
磯子のイメージを壊さないようにお手洗いを皆できれいにしましょう。

ちなみに、磯子区は昭和2年の横浜市の区制発足当初からある区であり、その他には鶴見区・神奈川区・中区・保土ヶ谷区の都合5区であった。
根岸線が桜木町からこの磯子まで延伸したのは、オリンピックイヤーである昭和39年であった。
それから昭和45年の洋光台延伸までは、この駅が終着駅だった。

そして後続の大船行きが来たので乗る。
新杉田までは1駅だけである。

そして新杉田に到着。
昭和47年開業区間である新杉田は高架駅となる。

そしてここから少し歩いてシーサイドライナーの駅へ。
ゆりかもめ同様、ホームドアになっておりホームから車両の撮影はできないが、新杉田に限ってはこのように衝立になっている部分から撮影できなくもない。
決死モデル:チームTアンヌ

そして運転士が運転した状態で出発する。
シーサイドライナーでは、このような非常時に備え、運転士を養成しているのだという。
そのようなことから、輸送力は普段の7~8割に留まっているのだという。

そして雨の中をシーサイドライナーは行く。

基本的には、臨海工業地帯となっており、人口と言える人口はほとんどないのではないだろうか。
ほとんどが高速道路か工場か倉庫である。マンションや人家がほとんどない。

客に大きな流れがあったのは市大医学部駅である。
横浜市立大学の医学部は戦時期に開学した横浜市立医学専門学校を嚆矢とする。

また、八景島に近づくと自然が増えてくる。
新交通システム有数の絶景と言えるかもしれない。
八景島ではカップルが降りて行った。

あとは終点の金沢八景を目指すだけである。
ちなみに、金沢八景の旧駅(仮駅)は残されており、そこから先は単線運用となる。
この旧駅が取り壊され次第、完全複線運用になるという。

そして金沢八景に到着。
現在は京急と同じ駅舎で乗り換えることができる。
決死モデル:トルソーさんアハメス

ホームの向こうには、湘南電気鉄道時代の瀬戸変電所が残されている。
しかし2000年に変電所としての役割を終え、単なる古い建物になっているが、何といっても昭和5年の建築物である。
ホームに倒壊して上り線を塞ぐ恐れもあり、解体計画も出ていたが、市民団体から保存の要望を受けたのだという。

ところで、のんびりしていたら時間が無くなっている。
これは本当にいちょう団地まで行けるだろうか。
少なくとも、立場からバスで行くというのは時間のロスになりそうである。
タクシー予約アプリで予約しようと思っても「満車」と出るばかり。

上大岡で地下鉄に乗り換えて立場へ行く。
そしてタクシーを待つが、なかなか来てくれない。
電話をかけても「出払っている」という。

それでも、10分ぐらい待っていたらタクシーが来てくれた。

そして雨の中をいちょう団地に到着。
掲示板には「土工募集」とあり、いやがうえにも雰囲気は高まる。
相変わらず6か国語の看板もある。
決死モデル:チームP桃園

ちなみに、いちょう団地のある泉区は、昭和14年まで鎌倉郡中和田村で、つまり相模国であった。
中和田というのは中田・和泉・上飯田・下飯田の各村の頭文字から取ったものであるという。
これが昭和14年から横浜市に編入され戸塚区となり、昭和61年に旧中和田村域が泉区として独立している。
旧中和田村域であっただけに、「中和田区」という案もあったのだという。
いちょう団地があるのは江戸時代まで「上飯田村」であり、現在でも住居表示は実施されず、例えば限界旅行勢に人気の高いベトナム料理店「タンハー」は、「横浜市泉区上飯田3050」となる。

さて、その「タンハー」に行ってみましょう・・・

店内は相変わらず人で賑わっていた。
そして店の奥に陣取る。
相変わらずベトナムの物産でひしめいている。

いつもの豆腐煎ダウフーチェン(厚揚げ)を頼んでみる。
しかし発音が通じない。南部出身の人だから?
どうやら「タウフーチン」というのが正しいらしい。
そしてここの豆腐煎は、𩻐𩵽mắm tôm(臭い海老味噌)が付くので、これは付けないようにお願いした。

ところで、時間までに徹夜案件に間に合うためには、高座渋谷を14:26に出発しないといけないようである。
こうなると、こちらもタクシーでないと難しそうである。

結局、フォーまで食べてそれでも数分余裕があったので、時間的には丁度よかったことになる。

そしてタクシーで高座渋谷へ行き、相模大野行きの各駅停車で大和まで行き、大和からは新宿行きの快速急行に乗る。
決死モデル:トルソーさんファラキャ

ママさんバレーの集団と思しきおばさんたちとの席取りに勝ち、代々木上原まで寝て移動することに成。功
彼女たちは新百合ヶ丘で降りて行った。

そして代々木上原からは千代田線に乗り換える。
コーナーの席に一目散に歩いて言ったら、同じことを考えていたであろう若いサラリーマンがドン引きしてほかの席に移っていった。これが女性なら悲鳴を上げられていたところであろう。

どうにか徹夜案件には間に合うことができた。

・・・と思ったら、ポケットを探してもスマホが無い。
どうやら車内に忘れてしまったようである。

Googleの端末検索で調べると、北千住駅で長いこと止まっている。
どうやら北千住の駅員が預かってくれているらしい。
んじゃまあ明日取りに行くか・・・

そんなことを、「サードプレイスの世界観」のスタバの前で気が付くというオチが付いてしまった。

 

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