盛岡バスセンターに次いで、岩手県有数の昭和スポットであった大迫バスターミナルも、今年いっぱいで閉鎖するのだという。
岩手県交通 大迫バスターミナルの営業終了の回覧が回ってきた😢
ついに終わってしまうのですね😭 pic.twitter.com/oNfytMqg0v— 早池峰銀河 (@hayachineginga) 2018年12月19日
また、大迫バスターミナルと運命を共にする大迫町内のローカル線にも乗っておくことにしたい。
全ては、大迫バスターミナル発のローカル線の時刻に合わせて行動することになるのでそこから逆算することとしたい。
大迫から日中乗れる路線は都合3路線。
- 旭の又線(大迫12:40→合石13:06/13:10→大迫13:36)
- 竪沢線(大迫12:40→竪沢13:08/13:10→大迫13:38)
- 黒森線(大迫13:50→黒森14:19/14:25→大迫14:49)
そして大迫に行くためには、花巻か石鳥谷(「ときめきトゥナイト」池野恋の出身地)から行くことになるが、折よく新花巻12:00→大迫12:29というバスがあり、これであれば大迫11分で乗り換えることができる。
しかし、田舎のバスというのはとかく遅れやすいもの。11分だけの接続で間に合うであろうか。しかしこれしかないなら仕方がない。
そのためには新花巻にいつ着いていないといけないか。
どうやらやまびこ43号で新花巻に11:54に到着するためには、8:05に新八柱を出ないといけないらしい。
しかし新花巻6分というのも心もとない。もし何かがあって少しでも遅れたらもうアウトである。だから1本早いので行きたい。
そしたら新花巻を10:37に到着するはやぶさ103号に乗るために、新八柱を7:15に出るか・・・
と思ったら見事に起床事故である。
結局、8:05の東所沢行きで新花巻にギリギリで行くしかない。
ところで、今回は冬であり、なおかつ北の方へ行くのでストッキングは黒スト。今シーズン初の黒ストであり、 決死モデルはトルソーさんの霧島に務めてもらう。
そもそも「トルソーさん」というTRS48オリジナルのチーム編成は、各チーム成立後の追加メンに、アハメス・ナイ・メアの様にどのチームにも入れようがないメンがいたので、「被服工場の試着モデル」という位置付けで独立させたのが始まりである。
このため、まず新しい衣装はトルソーさんの誰かに最初に着てもらうというのが筋が通っている。
そんなこんなで武蔵野線とケト線を乗り換え大宮へ。
大宮からのやまびこ43号はE5系なのでコンセントが付いている。
(決死モデル:トルソーさんのラ・バルバ・デ)
ところで、メタ的な話をすると、今日のこの黒スト衣装は、何と急遽作成したものである。
サフ塗りはさすがに一昨日済ませたのだが、北の方に行くのにナチュストでもないだろうと、昨日の夜まず肌色を塗り、風呂に入って深夜を待ち、おおよそ乾いたと思われるところでクリアブラックを遠くから吹き付けたものである。
朝になってみると、だいたい50デニールの透け透けな感じで仕上がったのだが、やたらムラが強い。これではいい出来とは言いにくい・・・
いずれ、この冬のどこかで塗りなおすことになりそうである。
このようなことが、起床事故の原因となってしまったのであろう。
新花巻は釜石線の交点に建設されたが、もともとここには「矢沢」という駅があった。
しかし、新花巻が開業した時に廃止となり、その代わりに棒線の釜石線新花巻駅が誕生したのである。
現在では、快速「はまゆり」含め、全列車が停車する駅となっており、岩手県沿岸方面の玄関口となっている。
そのバスターミナルであるが、1~5番まであるが、現在では4番が花巻駅や花巻温泉方面、5番が大迫や土沢方面と、寂しい状態になっている。
そして5分程度遅れて大迫行きが来たので乗ることにする。
バスは国際興業色のキュービック。今や関東でもなかなかお目にかかれない骨董品になってしまっている。
今でこそ石鳥谷町域も大迫町域も含め全て「花巻市」となっているが、平成の大合併まではどちらも「稗貫郡」で花巻の都市圏だったようである。
(決死モデル:チームPみく)
バスは、小学校で言えば石鳥谷町八重畑、大迫町亀ヶ森の各集落を抜けて大迫を目指す。
バスの中では、花巻での病院か買い物から帰ってきたであろう老人が数人乗っている。
運転手はお婆さんの話し相手を務めながら走っていく。運転手さんの「んだねぇ、ほにほに」という相槌はインカムで車内に響く。
それにしても、最近まで一つの自治体であった場所と地方都市を結ぶバスがこんなに客が少なくていいのだろうか。これではバス会社も経営に苦しむわけである。
そして商店街の軒先が迫る道に入るといよいよ大迫町の中心地である。
5分遅れで新花巻を出たバスは、その遅れをキープしたまま到着し、どうにか12:40のバスには間に合いそうである。
そしてこれが噂の大迫バスターミナルとなる。
Wikipediaによれば、昭和25年11月に花巻バス大迫営業所として開業したのだという。
その花巻バスが岩手中央バスや岩手県南バスと合併して岩手県交通となるのは、昭和51年のこととなる。
この合併の前後、岩手県交通の母体となった各社の組合は非常に強く、経営状態を省みずストやポカ休を繰り返し、市民の信頼は極度に落ちていたのだという。
時に国鉄も順法闘争の頃であり、昭和48年の上尾事件や首都圏国電暴動と言った労働運動への抗議暴動にまで発展している。
ただ、「労働運動」は市民にそこまで嫌悪されなければいけないものであろうか。日本人は「権利を勝ち取るために声を上げる」という事を極度に恥辱にしていないだろうか。
このような国でどうやって労働者の給与が上がるというのだろう? 結局は政府財界のやりたい放題に他ならぬ一般国民が手を貸して・・・ ってそんな話はここではいい。とにかく今日は、大迫バスターミナルの雰囲気を堪能することである。
さて、12:40に出るバスと言っても、合石行きと竪沢行きがある。
別にどちらでもいいのだが、合石行きの方は国際興業色で、竪沢行きは青と銀の岩手県交通色である。
それでは、竪沢行きに乗ることにしよう。
12:40に大迫バスターミナルを出た竪沢行きは、しばらく同じ12:40に出た合石行きの後を追うように走る。
そして国道筋を抜け、北上山地を東へと分け入るように走る。
路傍には雪が少し積もっている。
終点の竪沢はちょっとした集落になっており、バス停の近くには集会所と消防団の小屋があった。
(決死モデル:チームY宇崎)
そして、近くには「猫山春日神社」という神社があるのだという。
さて、後は戻るだけ。
基本的に、単純往復はしなくて済むならしない主義なのだが、こんな秘境に来てしまうとそんなことも言っておれず、単純往復で戻るしかない。
あとはまあ寝て過ごすだけなんだけど。
今朝起床事故しても寝足りなかった分を、ここで改めて寝ることに。
そして大迫に到着。
今度は、13:50発の黒森行きに乗ることにしたい。
合石行きと竪沢行きは片道540円であったが、黒森行きは660円。つまり黒森行きの方が長いバス旅になるということである。
自分でバス旅に来ておいて何ではあるが、バス旅というのは結構かったるい。単純往復ならなおのこと。
ただ、この路線が走るのもこれで最後となる。後釜は予約制デマンドバスになるというが、岩手県交通としての最後の走りを見ておきたい。
という事で、国際興業色の黒森行きの中の人となる。
バスは、先ほどの竪沢行きにもまして峻嶮な山道を走る。
途中、内川目小学校のあるあたりが沿線で最大の集落ということになるようである。
そしてまた山道を分け入る・・・
と、その山道に点在するバス停の待合室の前に、見慣れない古い木のポールが立っており、そのポールに直接、バス停名が書いてある。
あれはもしかすると花巻バスのバス停標がそのまま、40年以上放置されているということ・・・?
そんなこんなでバスは終点の黒森に到着。
(決死モデル:チームPペギー)
集落の雰囲気としては、さっきの竪沢と変わる所はない。
ただ、折り返し時間が6分あるので、さっきとは違いある程度の余裕をもって周囲を散策することはできる。
とはいえ何もないが・・・
いや、何かある。
待合室の建屋があるのは別にいいとして、その前にあるものである。
さっきの途中のバス停で見たような木のポールが、ここにもあった。
やはり「黒森」とバス停名を縦書きで書いてある。
さっきと違うのは、さっきの木のポールが薄緑であったのに対し、こちらの木のポールは赤で塗られている。そして後付けで「岩手県交通」と貼っている。
念のため、煙草を吸っている老運転手に聞いてみる。
「あのポールはもしかして、岩手県交通に合併する前の花巻バスのものですか?」
「そうだよ。花巻バスは県南バスと中央バスと合併して岩手県交通になったんだ」
やっぱりそうだった。
花巻バスが消滅して42年、まだここに花巻バスの痕跡が確固として残っていたのだった。これは凄い。かったるいバス旅行だと思っていたら、思わぬ所で拾い物を見つけてしまった。
この喜びを誰かに伝えたい・・・ でもamputee devoteeに鉄ヲタは何人もいても、バスヲタまでいるかどうかは分からない。少なくとも国鉄バスの駅を巡ってはブヒデュフ言ってるのは自分ぐらいしかいない。
そんなこんなで単純往復が終わり、大迫のバスの旅は終了。
最後はバス溜まり側からバスターミナルを撮影して終わることとしたい。
(決死モデル:チームTフジアキ)
TRSメンの「中の中の人」では最年長となるフジアキの中の中の人がまだ4歳だった昭和25年から68年間、鉄道の走っていない大迫の交通の中心として機能し続けてきたターミナルはここにその歩みを終えることになるのだ。
道路側から入って正面は切符売り場兼事務室となっているが、売っているのは定期券ぐらいであろうか。それも常時窓口に人がいるわけではない。
また、向かって右は蕎麦屋と売店であり、つい最近まで営業していたらしい。
このようなところからも、「バス駅」としての側面が垣間見えようというもの。
そしてその蕎麦屋の上には、岩手中央バスや花巻電鉄バス時代の塗色のバスの写真が数枚展示されている。どうせなら花巻バスの写真を載せればいいのに。
さて、帰りはどうやって帰ろうか・・・
16:55の石鳥谷行きを待つか、それとも15:25の大船渡から来る盛岡行きに乗っちゃう・・・?
結局、大迫町内で待てそうな所も無いし、盛岡~大船渡線の急行バスに乗って盛岡を目指すことにしたい。
その間、ちょっとバスターミナル周辺の街並みを散策することにしたい。
大迫というのは、盛岡(不来方)と遠野という2つの城下町を結ぶ釜石街道の宿場町として発展した。
それは、街道筋に延々と商店が連なっていることからも見て取れる。
また、平地の少ない土地であり、ブドウが特産物になっているようであり、果物系のお土産が多かった。
(決死モデル:チームP桃園)
また、大迫地区で町おこしとして「バスのある風景」という写真コンテストを行っており、大迫バスターミナルが「昭和遺産」としての観光価値があるという自覚はあるようであった。
12月30日以降のバス停留所も既にできており、真新しいポールだけ立っていた。
上に丸い板が付くはずであるが、これは正式に開業してから付くのだろうか。
さて、10分の遅れも無く大船渡から盛岡行きの急行バスが来たので、乗ることとしたい。
大迫行きは満足裡に終わった。
後は釜石街道を盛岡へ進むだけ・・・