廃墟ビューのお宿

会津若松は東山温泉には明治9年築つまり築142年の廃墟があるのだそうな。

ここ最近の「死のロード」も終わりを迎え、東武のリバティにも乗ろうと思っていた頃合いである。
頃や良し、さっそく出発しよう。

日本橋から都営浅草線に乗ろうと思ったら京成の3500系の佐倉行き。
決死モデル:チームR持田

3500系なんてまだあったんだね・・・
最近の鉄道車両は、どこもかしこもまるで地下鉄車両のようなサイド貫通扉の車両ばかりである。
京王だけは真ん中貫通扉の牙城を守るかと思ったら新5000系はまるで地下鉄のようなサイド貫通扉・・・

京成も3000系があの調子でサイド貫通扉であるから、3500系は往年の青電や赤電の姿を今に残す最後の形式であると見ていいだろう。

さて、浅草に到着しましたと。
浅草は外国人観光客ばかりであり、英語や中国語が飛び交っている。

そしてこちらは、浅草から長駆会津田島まで「リバティ」である。
浅草では会津鉄道の西若松までしか買えないが、何と4490円である。

14時15分、4番線に入線したリバティは6両編成で、前3両が会津田島行き、後3両が東武日光行きとなり、下今市で編成を分割するつことになる。

さて定刻の14時30分、リバティは浅草を出発する。
墨田川を渡ってすぐ、東京スカイツリーの足元が見える。スカイツリーは近すぎてここから全部は見えない。

北千住から先の複々線区間を抜け、東武動物公園から先は北関東の田園地帯を走る。
東武鉄道が「電車」ではなく「列車」の会社であることを如実に見せるローカル情緒あふれる駅を通過していく。

そして下今市に到着。
決死モデルチームP桃園

現在「SL大樹」の運行拠点となっている下今市は、14系客車が留置してあり、給水塔まで設置してある。
そのためか、ホーム上もレトロムードをやたら強調しており駅名標も国鉄フォントである。
いっそ、東武は東武で葛生やそれこそ矢板までピーコックが走っていたり、日光行きの特急がニャンコだった頃の情緒を再現してはどうだろう?

会津田島行きの「リバティ会津」は3分停車、東武日光行きの「リバティけごん」は4分停車となり、こちらが1分早く発車することになる。

連結中であるからといって停車中にドア閉をすることはせず、連結器をつなげたまま幌を外し、解結作業を行う。
これは、出発する時がすなわち連結器を外すとき・・・ということになるのだろうか。

そのあたりのことをWikipediaで調べてみると、

車両の連結解放時には、運転台にある連結操作スイッチを操作することで、連結締切装置が作動して、電気配線と空気配管の連結解放を行うとともに、解放時には、電気連結器を装備した連結器の解放シリンダに圧力空気を送り込んで連結器の解放を行い、運転室内の操作部にある併結/分割スイッチを操作することで、先頭車前面にある貫通扉の開閉と運転室内に装備されたホロBOXの展開・格納を、制御部が動作のシーケンス制御を行いながら、エアーシリンダーの駆動によりエアーシリンダー本体に装備された近接スイッチと機構に組み込んだリミットスイッチで扉とホロBOXの位置検知をしながら自動で行うが、ホロBOX同士を繋ぐ連結幌と渡り板の連結・解放は手動で行う。

・・・だそうな。

さて、3両編成となった「リバティ会津」は、WiMAXも通じない、もはや「山奥」へと分け入ることとなる。
下今市からはほぼ各駅停車となり、高校生も乗車して来る。
新高徳は、昭和34年まで東北本線の矢板から英国ピーコック製のSLの牽く混合列車が乗り入れてきていた。
こんな谷あいの駅から分岐していたのだろうか・・・?

そして鬼怒川温泉で大方の客が下車し、車内はガラガラになる。

そして新藤原から野岩鉄道に入る。
川治温泉には桜が咲いていた。

そして上三依塩原温泉口では6050系の下今市行きと交換する。
ここに来るのは塩原温泉に行った時以来である。
決モチームR小沢

ここまでくるとまるっきりWiMAXはつながらない。
それで、モバイルはドコモの携帯が頼りである。

野岩鉄道会津鬼怒川線は、人口の希薄な山奥でありながら温泉地に恵まれているせいか、運行頻度はそれなりにあり、客もそれなりにいる。

そして会津高原尾瀬口に到着し、野岩鉄道区間も終了。
ここはかつての国鉄会津線だった頃は「会津滝ノ原」という終点で、C12が方向転換をしていたものである。
その転車台が今でも現存する。

そして会津鉄道の区間に入り、終点の会津田島に到着する。
かつては会津線という特定地方交通線であったが、現在は東武のおかげで東京から電車が直接来る観光路線になっている。
決モチームRナオミ

会津田島は2面4線となっており、駅舎側のホームは野岩鉄道(というか東武)が使い、向こうの非電化区間は会津鉄道が使うという形になっている。

ここからは非電化区間であり、名実ともに「東北」となる区間である。
ディーゼルカーは夕暮れの会津盆地を会津若松に向かって走る。

そして最近、安田大サーカスの団長が「秘境駅」として番組で紹介した大川ダム公園。
決モチームWB小津麗

昔はここはダムの底に沈んだ区間に線路があったのだという。
しかしダムの建設による線路の付け替えで現在の位置に駅ができたのだそうな。

そして2両編成の列車は終点会津若松へと急ぐ。
浅草で帰る切符の最後である西若松に到着したのは19時近くであった。

そしてその先はJR東日本の線路である。

そして会津若松に到着。
赤べこがお出迎えである。

そして19時発の「ハイカラ号」最終便に乗り東山温泉を目指す。

現在の東山温泉は、会津バスの普通の路線は乗り入れておらず、鶴ヶ城などの観光用循環バス「ハイカラ号」「赤べこ号」で目指すことになる。

「東山温泉駅」で降り、夕食に名物ソースカツ丼を食し投宿。
廃墟見物は明日以降ということで。

 

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