「おじさんLINE」が盛んになっており、模倣者まで出るほどにポピュラーになった昨今・・・
「長文&絵文字たくさんの「おじさんLINE」は若者に嫌われる…「返し方がわからん」「思い当たる節があって死亡」など」がすごく伸びてるよ!人気の話題をチェック! https://t.co/RR06zKD9tT 作成者: @enusakucm
— トゥギャッター (@togetter_jp) 2017年9月16日
自分にも思い当たる節がないではない。
「私的devotee史」なんてコーナーを作成しているのであれば、この件はきちんと総括しておかないといけないと思った。
当時、インターネットのdevoteeシーンと言えば、「MOON BASE」の管理人が事情で引退してExciteからyahooに移転となり、書き込みも少なくなり全体的な活動が停滞していた時期である。
その頃、SNSと言えば何と言ってもmixiだった。
まだ招待制で1人1アカウントしか持てない頃で、コミュニティ「amputee devotee」に入ることは、他のマイミクとの手前無理だった。
そのような状況で、自分は出会いを求めて、障害者系のコミュニティでamputee女性をいつも渉猟していた。
そんな中で、どこだかに在住の女子大生が、「左腕の肘から先を切断」と言うのである。
つまり、現在の欠損バーで言うぽわんちゃんと同じ障害部位ということになる。
昨日は今年最後のぽわんのBARありがとうございました(ฅ•ω•ฅ)とっても楽しく過ごせました♪琴音ちゃんのBARもぜひ楽しんでください★また感想はブログ更新します(∗•ω•∗)!みてねー! pic.twitter.com/Nr7XAGHxEr
— ぽわん♡ (@powan723) 2017年12月20日
その子を仮にNちゃんとしよう。
そのNちゃんは、仕事上も趣味上も何らの接点もない普通の女子大生である。
何の必然性があって話しかけるのか・・・? まさか「左手が無いんですってね? ぼく手足のない女の子が大好きなんです」なんてストレートに言えるはずもなく。
(なんか書いててどんどんつらくなってきた)
もし「どうして私に話しかけたんですか?」という質問があった時にどのように答えるか、その答えを考えあぐねている間にも、首尾よくマイミクになることはできた。
当方がどんな人間かはともかく、Nちゃんにとっても「友達の輪を広げる」ということに対しては吝かではなかったということだろう。
その頃、Nちゃんはmixi疲れを起こしていたようであり、日記の更新頻度も少なくなっているようだった。
しかし当方は喜びの絶頂。どんな時でも「ログイン5分以内」で、日記の更新も頻繁になっていった。
Nちゃんとマイミクになってからというもの、やたらレベルの高い(小難しい)文章で頻繁に日記を更新するようになった。
それでも足あとが付いたのは最初だけ。あとは更新しても更新しても、足あとはつかなかった。
また、Nちゃんが日記を更新すればそれに長文のレスを付けたものだった。
で、Nちゃんも真面目なのでレスを返してくれるのだ。
レスが来た時は飛び上がるような気持だった。
そして、今度は長文のメッセージも送るようになった。
でも、どうせ脈は無いなと思ってはいた。
来ない返事にもメッセージを送り続ける自分。
この頃になると、全然楽しくなんてなかった。
「いい加減、怒ってくれたらいいのに」身勝手ながら、そのようにすら考えていたほどである。
どこだかで読んだギャンブル依存症患者の心理状態と同じだった。
お世辞にも健全な精神状態であったなどと言えたものではなかった。
しかし、ちょうど1か月ぐらいで破綻は訪れた。案の定と言えば案の定である。
「もう返事はしないことにします。その方がお互いのためだと思います」
その時、住んでいた市の駅前のジョナサンで実りのない返事を待っていたことはよく覚えている。
ああ、ついに来るべき時が来たか。
中身を見なくてもこちらの意思が伝わるようにタイトルを「了解。ごめんね」として、マイミクを切るかどうかは任せる旨のメッセージを書いて送った。
ジョナサンを出て、家に到着した頃にはマイミクは1人減っていた。
これでよかったんだ。
その後の多忙な日々が、むしろありがたかった。
これが、自分のdevotee史上のうち、00年代最大の事件「Nショック」である。
図らずも、一女子大生であったNちゃんに「フェチの恐ろしさ」ってやつを教えてしまった。
あの頃女子大生だったNちゃんも今や、30の坂を越えている。
今ごろ幸せに暮らしているだろうか。
それすらもはや、当方には関係の無いことである。