そこに行けば どんな夢も 叶うというよ

やっぱりマチャアキ西遊記のエンディングは「ガンダーラ」だった。
時期によって違うのかな。

ムンバイまでの飛行機までの間は、iPadに入れておいたマラーティ語の学習書で、兎も角もデーヴァナーガリー文字を習得することに専念する。
とりあえず文字だけ覚えておくだけでも結構違うはず・・・

さて、シンガポール航空は無事にムンバイ・チャトラパティ・シヴァージー空港に到着。

そしてこの通りビザも通り、入国完了。
決死モデル:チームR真夜

前回ムンバイ空港からインド入りした時は、深夜の2時に何も考えずに一旦空港外に出てしまったものだから再入場できず、暑い深夜のムンバイで5時発の列車を野宿で待つという信じられない初渡印の一夜であった。
ちなみにその時に撮ったのが「決死撮影最西端」のノノナナである。

ノノナナあの夜は蚊もたくさんいてとてもじゃないが眠れなかった。

さて、今回は学習したので不用意に外に出る事はしない。
まず10,000円をインドルピーに両替の上、500ルピーという高額紙幣を、チャイなどを頼むことで100ルピー以下の小額紙幣に崩すという作業を行う。
ところで、サブウェイで何かのサンドを頼んだ時「大きいのにするかい?」と聞かれたので、「じゃそれで」と言うと、何のことはない2つ出てきて、お値段も2倍(153ルピーが306ルピー)という・・・
最初にお値段は言わないで後で徴収する、インドらしいやり方である。

さて、良い時間になったし外に出ますか・・・

お、あそこに何か書いてる。ちょっと読んでみるか・・・
स्(s)टा(ta)र(r)ब(b)क्(k)स(s) कॉ(ko)फी(phi)
・・・スタルバクス コーフィー

おお!読めた!スタルバックス!
やっぱり文字は読めないより読めた方がいい。

さて、どうやってムンバイの町中に行きましょうかね。
今回は意外と白タクの客引きがいない。
いつもは鬱陶しいくらいだが、今回は全然いない。これはどうしたことだ?

ともかくも、オートリキシャーでメトロの駅を目指してもらう。

ムンバイメトロの「Airport road」駅は、空港から1km強離れており、花巻空港と花巻空港駅(旧:二枚橋駅)程ではないにしろ、空港のアクセスには使いにくい。
決死モデル:チームTレナ

ところで、ムンバイメトロはメトロとは言うものの、少なくとも現時点では地下区間があるわけではない。徹頭徹尾高架鉄道である。
もう都市鉄道であれば「メトロ」と定義してもいいってことなのかな。

ともかくもAndheriから今度は国鉄のムンバイ国電に乗る。
今晩23時発の夜行列車に乗るまで、ムンバイでやることなんてない。

とりあえず、現在の「決死撮影最西端」の記録を塗り替えることにしたいと思う。
そういうことで、ムンバイの西側の海岸から突き出る「ハッジ・アリー廟」を目指すことにしたい。

はたしてムンバイ・セントラル駅で下車。
決死モデル:チームP桃園

ムンバイ・セントラル駅はインド国鉄 西鉄道局(ムンバイからヴァドーダラー・アーメダバード方面)の長距離列車のターミナルでもある。
インド国鉄発足前のBB&CI(ボンベイ・バローダ・セントラル・インド鉄道)によって建設された駅舎はなかなか壮麗である。

・・・と、このように文字だけで言ってもなかなか伝わりづらいかと思うので、実際に「The great indian railway atlas」から、地図で見てみたいと思う。

ムンバイ市内の国鉄線は大きく分けて2つであり、紫色の路線がWR(西鉄道局;Westan Railway)の路線で、かつてはBB&CI(ボンベイ・バローダ・セントラル・インド鉄道)の路線であり、ムンバイ・セントラル駅からヴァドーダラーやアーメダバードといったグヂャラート州(グヂャラート語圏)方面へのターミナルである。
また、緑色の路線はCR(中鉄道局;Central  Railway)の路線であり、かつてのGIPR(大インド半島鉄道)の路線で、チャトラパティ・シヴァージー・ターミナスから、プネーやナーグプル(マラーティ語圏)を目指す路線となる。

ともかくも、ムンバイ・セントラル駅からタクシーに乗ってハッジ・アリー廟を目指したい。
このハッジ・アリー廟、15世紀に建設されたイスラム教の聖地であるということらしい。
現在でも参拝者が絶えず、人の流れに沿っていけば自動的に着くようになっている。

廟にはひょっこりひょうたん島のように、海の中の海割れのような所を歩いていけば着くようになっている。

廟の向こうは新しいムンバイのビジネス地帯で、古いムンバイと新しいムンバイを一望のもとに写真に収める事ができた。
これが決死撮影最西端を塗り替えた写真となる。

さて、最西端を更新するだけしたら、今度は別の所に行きましょうかね・・・
さしあたってはムンバイ・セントラル駅に戻る。
今回はタクシーを使わずバスで行くことにしよう。
ムンバイのバスは赤いバスであり、ロンドン流に2階建てのバスもある。

さてまた国電に乗ってチャーチゲートを目指しましょう。
決死モデル:チームY楼山

チャーチゲート駅は、ムンバイ国電の西局区間のターミナルであり、セントラル駅同様、インド国鉄発足前のBB&CI(ボンベイ・バローダ・セントラル・インド鉄道)によって建設されたものである。
ただし駅舎は古いものではなく、大した趣もない。

チャーチゲート駅からはやはりタクシーで、市街地の南端のインド門を目指す。

インド門に行く際も手荷物チェックがある。
行く所行く所でやたらセキュリティチェックが厳しいのは、実際にインド国内各所でテロが発生してるから?

さて、これがインド門である。
どういう由緒の物かと言うと、1911年にイギリス国王夫妻が植民地であったこのインドに行幸されたときに、第一歩をしるした地であるという、日本の言い方をすれば「聖蹟」というやつである。
とりあえず、インドらしい観光もしておかないとね・・・

さて、それでなくともムンバイという地は、大英帝国時代に多くの本国イギリス人が第一歩をしるした地であり、大英帝国の頃に建設されたであろう建築物が至る所で現役である。

英領インド時代にGIPR(大インド半島鉄道)の「ヴィクトリア・ターミナス」として建設され、現在でもムンバイの主要なターミナル駅であるチャトラパティ・シヴァージー・ターミナスは世界遺産となっている。
決死モデル:チームY城ヶ崎

ここで20:05の発車まで待つというのもつらいので、近くにAC付きの飲食店がないか探した上で一休みすることにしたい。

・・・と、歩いていたらバーガーキングが見つかった。
ということで、バーキンで一休み。
ACもあり、トイレもあるのでありがたいのだが、何しろ大英帝国時代の建築だけにモバイルの電波が通りにくい。
レンタルしたWi-Fi端末は電波が通らないが、スマホの方は国際ローミングでどうにか電波が通るので、それでTwitterなど。

いよいよ、アムラバティ行きの「CST Amravati Express」の発車が近づいてきたので駅へ行くことに。

ホームでは相変わらず、Waiting listの合格発表風景が展開されている。
それでも最近は、携帯電話に直接合否を送るなど、変化してきているそうである。

さて、列車は一路Murtazapurへ・・・

関連するエントリ(とシステム側で自動的に判断したもの)


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です