銚子に乗る

濡れおかきの副業でやってる電車会社で凄いことをやってたみたい。

ちょっと銚子行ってみようか・・・

新八柱から武蔵野線で西船橋に出て、船橋から成田空港行きの快速に乗ることにする。
まずは船橋で成田エクスプレスをやり過ごす。
決死モデル:チームY間宮

そして次に来た快速エアポートの成田空港行きに乗って出発。

少し前であれば、銚子と言えば両国始発で総武本線廻りの153系「犬吠」と、成田線廻りの153系「水郷」があったもの。いずれも所属は幕張電車区で、1972年の総武快速線(地下東京駅直通)に際して開設された電車区である。
東海道線などで活躍していた153系が、急こう配の少ない房総に配置、ということだったようである。

そしてまた特急「わかしお」をやり過ごすために佐倉に4分停車。
決死モデル:トルソーさんラ・バルバ・デ

国鉄時代は、この佐倉には千葉県内で唯一の機関区があった。
佐倉機関区は総武鉄道の本所機関区の分区として開設され、昭和7年に機関区に昇格したものである。

そして昭和44年まで、C57やC58と言ったSLが配置され、上野駅から成田線直通の客車列車の先頭にも立っていたのがこの佐倉区所属のC57であった。
昭和26年の布鎌村DV殺人の容疑者となった行商女性も、この列車で上野との間を往復していたはずである。

そして成田に到着。
ここから先は、今や千葉支社の顔となった209系の銚子行きに乗り換えである。
決死モデル:チームPペギー

ここから先は総武本線経由でも成田線経由でも行けるのだが、今回は成田線経由で行くことにする。

ということで銚子行き209系の中の人となる。

成田線というのは不思議な線で、佐倉~松岸の本線に、成田~我孫子の我孫子支線、そして成田~成田空港の支線と、成田駅を囲むすべての線路が「成田線」になるのだ。

そして佐原で列車交換のためしばし停車。
決死モデル:チームPユウリ

佐原の町おこしでか何でか、駅名標がえせレトロ風になっている。
これは隣の香取駅などでも同じような仕様となっている。

ところで、今やその水郷をもって鳴る佐原には、東京から直通の特急は来ないのである。
最後の特急「あやめ」は、2015年3月13日をもって廃止になってしまった。

ここから先は、1994年の「すいごう」廃止以降、優等列車の配置の無い成田線最末端区間を行く。

そして成田線の登録上の終点駅である松岸に到着。
決死モデル:チームRハナ

かつての銚子水産高校はこの駅が最寄りであるが、現在は銚子商業高校と合併になってしまった。
商業科の銚子商業と合併し、どのような校名になったかというと、銚子商業高校なのだという。
もうさすがは高校野球というべきか。
確かに銚子商が千葉代表で出てきたとして、たとえば「銚子翔翠しょうすい高校」だのという名前になられてもそれは違和感がある。「何だそのキラキラ校名は!?」という世間の反応になるのがオチだろう。
では「銚子実業」は? ・・・まあいいか。

そして銚子に到着。
銚子にはヤマサ醤油やヒゲタ醤油と言った有名な醤油メーカーがある醤油の町であり、沢口靖子が主演した昭和60年の連続テレビ小説「澪つくし」の舞台ともなっている。
決死モデル:チームWB嵐山

ではなぜ銚子で醤油を? ということになると、それは醤油の原料が大豆や小麦であり、小麦を運搬するのに利根川沿いの野田や銚子が都合が良かったということのようである。
また、水産都市でもある銚子であれば、刺身の醤油の需要も高かったのではないだろうか。

さて、ここから銚子電鉄に乗ることとしたい。
銚子電鉄もまた、醤油輸送のために開業した鉄道で、その点は東武野田線と同じである。

ところで、車両は京王から持ってきた5000系であるが、昭和38年に京王5000系が登場した時、塗色はグリーン一色ではなかったはずである。
というか、それまでの軌道上がりでグリーンの電車がノロノロと走っていたそれまでの京王線のイメージ脱却のためにデビューしたのがこの5000系だったはずである。
それが今やこんな緑一色に塗られてしまって・・・

そしてその元京王の5000系はヨタヨタと銚子を出発。
確かに、京王線が「グリーン車」だった頃はこのような走りだったのだろう。そういう意味では、このグリーンも当を得ているのかもしれない。

そして銚子電鉄唯一の交換駅・笠上黒生に到着・・・
と思ったら「髪毛黒生」!?
どうやら、経営の苦しい銚子電鉄は、売れるものは何でも売るつもりのようで、笠上黒生の駅名をどこだかの会社にネーミングライツを売り渡し「髪毛黒生」になってしまったらしい。
決死モデル:チームWBラジエッタ

なりふり構わぬこの商売ぶり・・・
そのうちに、外川方からまたヨタヨタと電車がやってきた。
こちらもまた京王の5000系。

向こうの車輛は銚子電鉄の元々の色であるベージュとピンクの車輛だった。
これこそが銚子電鉄 ―― CDKの色である。

さて、笠上黒生から先もまた、ヨタヨタをラストスパートを切ることになる。

左手には太平洋を眺め、そして右手には畑が広がる。
銚子市で農業は、露地野菜が主であるという。

そして犬吠を過ぎ、終点の外川へ・・・

外川・・・ え?
ありがとう」・・・?
決死モデル:チームWBミサメグ

ここもまたネーミングライツで副駅名が付いたらしい。
命名権を買ったのは松戸の馬橋にある住宅会社だという。
もうなりふり構わぬ感じが出ていて、色々と凄い。

構内は棒線駅であるが、車止め代わりに旧型車両がダルマになっておいてある。
三方から潮風が吹き付ける環境で、車両の痛みも相当早いであろう。

そして外川駅の木造駅舎。
前述NHKの「澪つくし」で一躍有名となった駅で、いわば聖地ともなっている。

ここから銚子に戻るには、それこそ単純往復で戻るしかないのだが、それでは芸がないので、500m離れた隣の犬吠駅まで歩いてみることにする。

外川から犬吠駅までの道には、露地野菜の畑が広がる。
そして右手には太平洋の荒波が見える。

しばらく歩くと、すぐに西洋風というか南欧風の駅舎になってしまった犬吠駅が見えてくる。

ひと頃の銚子電鉄は何を血迷って犬吠駅をこんな西洋風にしたのか分からないが、そういえば銚子駅の銚子電鉄ホームにもオランダ風の風車があったような・・・(そして今は取り外されている。たぶん老朽化だろう)
決死モデル:チームWB小津麗

ところで、写真を撮っていると、後ろから中国人観光客の女性が撮ってくる。
避けると「ああ、もう、あなたをモデルに撮ろうと思ったのに・・・」
おいおい、中国人チャンコロどもには肖像権も理解できないのか!?!?

ともあれ、帰りの電車はまた銚子を目指す。
窓には筆書きの文字で「女性従業員募集」とある。

そして、銚子の1つ手前の仲ノ町で降りる。
決死モデル:チームY城ヶ崎

この駅は列車交換のできない駅ではあるが、銚子電鉄の本社や車庫があり、運行上の拠点駅となっている。
何でも、ダイヤルQ2で駅構内の音まで聞けるようになっているらしい。
もう得るものは何でも売る肚らしい。これはたまげた・・・
というか、かける人いるんだろうか?

駅前は、醤油工場が広がっており、人家の気配は全くない。

この仲ノ町の車庫は、見学することもできて、そのためには150円の入場券を買うことである。

銚子電鉄と言えば名物のデキ3。
大正11年に独アルゲマイネ社で製造され、宇部の沖の山炭鉱に納入されたのだという。
これが銚子電鉄に来たのは昭和16年のことで、仲ノ町から出るヤマサ醤油の工場への引き込み線の原料塩の輸送に活躍したのだという。

ただし、エアブレーキがなく、貨車にブレーキを直通させることができず、本線での運用はできなかったのだそうな。
つまり「入換専用電気機関車」。

そのデキ3は、小雨の中もお客さんのために扉を開けて待っていてくれたのだった。

そして、駅の脇には桃太郎電鉄の「貧乏が去る」像がある。
一時期、銚子電鉄は桃鉄とタイアップしていた時期があった。それで、元営団2000系を桃鉄塗装にしていた時期もあったはず。

ちょうど、外川から来た銚電オリジナル色の元京王5000系がやってきた。

さて、後は復路に就きますか・・・
銚子電鉄で銚子へ向かい、銚子からは総武線経由の千葉行き209系に乗る。

そして八日市場で降りることに。
八日市場は、匝瑳そうさ郡の中心地でもある。
決死モデル:チームRスマレ

何でも、この辺りのパチンコ屋に柏原芳恵が営業に来るらしい。
ひと頃はトップアイドルだった柏原芳恵、皇太子殿下がファンだったという柏原芳恵も今やドサ廻りの身か・・・

さて、何でまた八日市場かというと、八日市場からは成田へ行く国鉄バス多古線が走っているからである。
成田から多古までは結構な本数が走っているが、多古からこちらは本数が半減する。
それでも、ちょうどいい時間のものがあったので乗ることができたのだ。

八日市場を出たバスは、山間部の道を縫うように走る。

成田空港建設反対闘争で有名となった三里塚には、国鉄バスの駅がある。
・・・と思ったら、既に建屋がなくなってしまっていた。
決死モデル:チームPみく

もう少し早く来ればよかった・・・。
それでも、時間調整でしばらく停まるというので決死する時間があったのは、不幸中の幸いであった。

意気消沈のうちに、バスは成田空港の貨物地区を横目に成田を目指す。
どんどん日は暮れてゆく。

そして成田に到着。
八日市場からのちょっとしたバスの旅も終わる。

あとは成田でグリーン券を買って船橋を目指す・・・ と思ったら、グリーン券は他の駅のようにホーム上で買うのではなく、駅舎側で買うのだという。
何なのこれ・・・
まあ快速には余裕で間に合うからいいんだけど・・・

兎も角も、成田空港から来た快速に乗り込み、一路船橋を目指す。

船橋に到着したらまた成田エクスプレスが東京に向けて走って行った。
おそらくは市川で自分が乗ってきた快速を追い抜くのだろう。
決死モデル:チームPさくら

あとは総武緩行線と武蔵野線を乗り換えて松戸に帰るだけ。

そんな銚子への旅行であった。

最後にNGショットを1枚。
総武線のホームは、安房鴨川行きの「わかしお」が発車しようとしていた。

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