最後は「はまなす」の寝台で

北海道からは全線を伴った低気圧が去り、高気圧が近づくとしていた。
(2022年9月12日しるす)

いよいよ、札幌生活の最後の日である。
引っ越しの荷物の運び出しは既に済んでおり、この日はススキノのホテルで朝を迎えた。
後は会社に行って辞令をもらうだけである。

いよいよ、このすすきのの交差点を見るのも、しばらくはないだろう。
そう思うと名残惜しい。

ここから、地下鉄に乗って出勤。
朝1番で辞令をもらい、後はそれぞれの任地に向けて旅立つだけである。

自分は、ここで직맹の役員をしていたので、それ関係の残務処理をしていた。
それで昼過ぎまでいたのだが、引継ぎに支部長のところに行ったら「まだいたの?」と言われてしまった。
この支部長も、ダンディーな割に人望がいまいちだったのも、こういうところがあったのではないか。

それはともかく、後は本社に行くだけである。
ところが、別に飛行機ではなく「はまなす」で行くことになったので、出発の22時までかなり時間がある。
その間、何をしていましょうかと。

とりあえず、それまで住んでいた社宅に戻って、決死納めでもしようか。

と言うことで、テレビ塔の裏のバス停からバスに乗って、社宅へ行く。
この社宅に1番近いバス路線も、これまで1時間にイッポン走っていたものが、これからは2時間にいっこになってしまうと言う。
何もかもこうやって衰退してしまうのだろうか。

ともかくも、ここで決死する。
この社宅は、かつては陸軍の連隊があった場所であったと言う。
それで案内板が立っている。

わざわざこんなところまで消しても、まだ14時台。
ここから8時間ぐらい待つとしても、なかなか中途半端な時間である。

結局、すすきのに戻って、かすうどんならぬ「かすそば」を食べ、腹がいっぱいになったところで札幌駅へ。

いよいよ、3番線に「はまなす」が入ってきた。
牽引機はDD51。

近々、北海道新幹線が新函館北斗まで来れば、この「はまなす」もなくなってしまう。
それに代替する夜行列車はないと言う。
名実ともにこの「はまなす」は、日本で最後の「夜汽車」となるのである。

とは言え、まだまだ撮り鉄の砲列と言うほどではなかった。

さて、乗り込むことにしましょう。

確か22時18分だったろうか。
「はまなす」は定刻通り札幌を出発した。

これで、北海道も最後である。

今回は最後であるだけに、奮発して寝台車を取ることにした。
その寝台車は、機関車の次位に連結されている。

だから、機関車が目の前に迫っている。
そういえば子供の頃は、機関車が引っ張る客車列車はいたるところで走っていた。
こうして機関車が迫ってくる風景は、いつでも見られるはずだった。
しかし、機関車が引っ張る列車と言うのは、加速や原則は遅すぎる。
これでは、高頻度な運転に耐えるはずはないので、どんどんなくなっていったのである。

さて、いよいよ寝台に入ることにしよう。
この、デッキから寝台車の廊下の扉もいかにも「国鉄」いや、「日本国有鉄道」である。
これだって、近々なくなってしまうのだ。
なんだって撮っておくに限る。

しかし、ある意味良いタイミングで札幌から本社に転勤できたものである。
北海道新幹線が開業してからでは、こんな味のある引っ越しはできなかったであろう。

打ち明け話的なことを言うと、本社の前任者との引継ぎをした時、「夜行列車と新幹線に乗って行きますので」と言ったら、もともと知り合いだったその前任者の人は、北多摩特殊支店の課長で出るようで、「位が高くなったら、その日のうちに東京に来る位じゃないといけないよ」なんてことを言っていた。
確かに、ここ最近、支社長や支社の部長は、異動となるとその日の午後には本社に行っていた。
そのような慣行が、良いことなのか悪いことなのかわからない。

ただ、今回の場合は、前任者が向こうの課長にも相談してくれたようで、「特に差し迫っていないので4月3日の出勤でもいい」と言ってくれたのだった。

それはともかくとして、寝台に入ることにしよう。
JRの柄の浴衣も備え付けてある。

上段に人はいない。
もしかしたら南千歳は苫小牧から乗ってくるかもしれないが。

しかし、このような春休みシーズンでも容易に寝台が取れると言うのは、普段はよほど閑散といるということの裏返しであろう。
なるほど、JRグループの中で1番経営が苦しい北海道が、新台を維持できるかと言えばなかなか難しいであろう。

ともかくも、明日の青森は5時18分到着である。
明日の新幹線はグランクラスなので、さっさと寝ることにしよう。

 

 

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