今日から明日前半にかけては単独行動となり、決死撮影としては平常運行に戻る、という事に相成るのだが、ハノイ駅行きの列車の空きをベトナム鉄道のページを見ると、満席!?
どうしよう・・・ こんな事なら、横着しないで予約してればよかった。
最悪、バスで行くしかないかな・・・
とりあえず、ハイフォン駅に行くだけでも行ってみたい。もしだめなら、その時にバスなりなんなり次善の策を考えることにしたい。
(決死モデル:チームYジャスミン)
ハイフォン駅に来るのはかれこれ2年ぶりとなる。
その時に比べても、駅周辺は大型ショッピングセンターが建つなど、変化を見せている。
ただし、フレンチ・コロニアルなハイフォン駅舎の佇まいは変わっていない。
で、窓口で切符を買ってみたら・・・
・・・それはいいとして、切符を見ると行先がLong Biên(龍辺)になっている。つまりハノイ駅の1つ手前。どうやらここで終わりになり、ハノイ駅には行かないらしい。
本エントリ冒頭の時刻表を見たら「ハノイ駅」になってるのだが・・・
だったら時刻表にもそう書いてほしい。何でこういうwebsiteの表示と実際が違ってても平気なの?
それはさておき、機関車はチェコ・シュコダ製のD12E。
オーストラリアドル人の方のファンページによれば、1985年~1990年の間に40両が製造され輸入されたという。まだまだ共産圏の国際分業体制がギリギリ機能していた時代である。
さて、列車の方であるが快調に紅河デルタを走る。ベトナムの経済発展が分かるような風景を行く。
そして龍辺に到着。河内駅に到着してくれないかな・・・と淡い期待を持っていたが、やっぱり無理だった。
(決死モデル:チームP桃園)
この龍辺~河内の1区間と言うのがなかなか曲者で、全然踏破することができない。何の事情があるのだろうか・・・?
それはともかくとして、1日1本だけの太原行きまではあと数時間ある。
その間、旧市街で昼食したりなんだりしていることにしよう。
そして今度は、太原行きの切符を買うことにしたい。
時刻表では一応河内駅発となっている。
とはいえ、さっきの件があるので、河内~龍辺を実際に運行するのかどうかなんて怪しいものである。結局こういう所が発展途上国なのかねえ・・・
さて、例えば走るとすれば、河内駅とは微妙に違い「河内B駅」(Ga B Hà Nội)という事になる。
そのB駅がどこにあるかと言うと、何のことはない河内駅の裏口をそのように呼称しているようであった。
B駅は河内駅の統一鉄道(南北線)の反対側から出る海防・老街方面の切符売り場や待合所がある。
単に裏口駅舎と言うだけなので、ホームはもちろん河内駅と共用である。
さて、腹もいっぱいになったので、そのB駅に切符を買いに行きたい。
タクシーを使うには近すぎ、歩くには30分ぐらいかかりそうな微妙な距離である。
そこへ、シクロ(サイクルリキシャ)の運ちゃんが近づいてきた。
「ガー ビー ハノイ」
「ガービー? ツー フィフティー(250,000ドン)」
「𠄩𤾓𠄼𨑮(250,000ドン)? 歩く」
「OK、𠄩𤾓(200,000ドン)」
「歩く」
「𠬠𤾓𠄼𨑮(150,000ドン)」
「歩く」
「𠬠𤾓!𠬠𤾓!(100,000ドン)」
「𠬠𤾓・・・?」
まあ・・・日本円で500円ぐらいならいいかな。それで手を打とう。
(決死モデル:チームR真夜)
B駅に到着したら、10万ドンの他にチップをよこせという。
結局そんなこんなで12万ドン。ベトナムにチップの文化があったとはね・・・
ハノイB駅はまあまあ古い感じである。
世代としては北爆を知っているかいないかぐらいの代・・・?
決死モデルは、この旅最大の鉄ネタでもあることとて、チームTヤギーに登場願うことにしたい。
いざ切符売り場に進み入りたい。
入ると、待合室の売店のおばさんが手招きする。売店が出ている程度にはお客さんはいるという事のようである。
切符を買おうと思ったら、
「列車は龍辺からだよ? まあ売るだけなら売るけど・・・」
というか、あなたの仕事は切符を売る以外に何があるの?
はたして、切符は無事購入。
駅舎とは別棟の待合室は、確実に北爆を知っているのではないかと言うほどの年季の入りようである。
ところで、予備役のヤギーであるが、メガネが曇っていて不潔感すら漂っている。決死に出すのはかわいそうなほどである。
さて、切符も買うだけ買ったので後は龍辺の駅へ行くだけ。
ちょうど嘉林行きのバスが来て、龍辺を通るか聞いてみたら「通る」と言うのでそれに乗ることにした。
果たして龍辺の駅近くに到着。
(決死モデル:チームWB嵐山)
ハノイのバスには、各車両にGPS端末が取り付けられているようで、アプリでその配車状況が分かるという素晴らしいIT化がなされている。(日本でも同じ?)
太原行きには多少早いので、旧市街を散策することにする。
ハノイの旧市街への観光は、河内駅より龍辺駅の方が便利なのだ。
時間が来るまで、珈琲𪓇(ブラックコーヒー)でも飲んでいることにしよう。
龍辺駅は棒線駅なので、おそらくは嘉林にある車庫からは、尾久客車区から上野駅に入る北斗星のように推進回送で入ることになるだろうが、ベトナムではそういう神がかった器用なことはせず、送り込み用の機関車を付けて入る。これはインドのムンバイ・チャトラパティ・シヴァージー・ターミナスでも同じだった。
さて、夕暮れの龍辺を発車したQT1列車は、嘉林でそこそこの数の乗客を乗せて北へ走る。
座席の埋まり具合としてはそこそこで、2座席が占有できる程度には空いている。
少なくとも、白糠線とか美幸線のような絶望的な閑散状況ではない。
客層としては、おばさんがほとんどを占める。男ならとっくにバイクを運転していくであろう。
紅河デルタの夕陽は沈んでいく。
太原に到着した頃には、すっかり夜になっていた。
(決死モデル:チームTエリー)
また、人口33万でベトナム第9位の大都市の代表駅である太原の駅は棒線駅で、1日1本しか来ないとはいえ、出迎えのバイクなどかなり賑やかであった。
また、駅舎はおそらく北爆やトンキン湾事件を知っているのではないか? というくらい古い駅舎であった。
まさか奠邊府まで知ってるということは・・・あるまい。
一応、ホテルは太原で最も高いホテルを予約した。
それでも1km近くあり、何もない道だったらどうしようと思っていたがそれは杞憂だった。
さすがに30万人以上いる都市だけあって、夜も賑やかであった。
後は明日の朝に備えて眠るだけ・・・