麻原彰晃が死刑(7月6日)になってからというもの、西日本豪雨、大阪直撃台風、北海道地震と災害続きで、大仏建立の機運が高まっている。
麻原彰晃が死刑されてからの災害のまとめです
ご確認下さい pic.twitter.com/ijr7stXL4j— 超ゴッドオブ大麻マン🐾 (@oppaipan420) 2018年9月6日
「ここまで災厄が続くと大仏を建立するレベル」
というツイートが結構流れてくるが、非常時の避難場所としてランドマークにはもってこいだし、図体の中に非常用備蓄とか発電機、燃料、電話基地局などの機能を有するハイブリッド大仏の登場が待たれる。— Takahiro Karino (@TechnoTreasure) 2018年9月6日
なるほど、奈良の東大寺の大仏は相次ぐ疫病の鎮護を目的として建立されたものであるという。
Wikipediaの「奈良の大仏」の項目に曰く、
聖武天皇が位に付いていた8世紀前半、すなわち天平時代の日本は決して安定した状況にはなかった。天平9年(737年)には、当時の政治の中枢にいた藤原武智麻呂・房前・宇合・麻呂の四兄弟が、当時猛威をふるっていた天然痘(疫病)で相次いで死去した。そのほかにも、天平時代は例年旱魃・飢饉が続き、天平6年(734年)には大地震で大きな被害があり、国分寺建立の詔の出る前年の天平12年(740年)には九州で藤原広嗣の乱が発生するなど、社会不安にさらされた時代であった。聖武による国分寺の建立、東大寺大仏の造立には、こうした社会不安を取り除き、国を安定させたいという願いが背景にあったものと推測されている。
ただ、東大寺の項目を見てみると、こんなことも書いてある。
大仏造立・大仏殿建立のような大規模な建設工事は国費を浪費させ、日本の財政事情を悪化させるという、聖武天皇の思惑とは程遠い事実を突き付けた。実際に、貴族や寺院が富み栄える一方、農民層の負担が激増し、平城京内では浮浪者や餓死者が後を絶たず、租庸調の税制も崩壊寸前になる地方も出るなど、律令政治の大きな矛盾点を浮き彫りにした。
まるで現在の日本ではないか。
安倍政権が重用した竹中平蔵による経済政策で非正規雇用が増大し給与指数は低下している。
・・・と、そんなことはともかく実際に大仏を見に行こう。
とはいえ、奈良の大仏まで行く暇はないし、かといって鎌倉大仏・・・もちょっと暇がない。
仕方がないので、鎌ケ谷大仏にでも行くこととしたい。
(決死モデル:チームWB嵐山)
ということで新京成線に乗って鎌ヶ谷大仏の駅へ。
鎌ヶ谷大仏の駅は新京成バスの鎌ヶ谷営業所も兼ねており、ちょっとしたバスターミナルになっている。
また、駅ビルは意外に商店街が充実している。
新京成は駅ビル事業に力を入れているとは聞いていたが・・・
駅前は比較的繁華な市街地となっている。
新京成と言えば団地ばかりというイメージがあり、意外にこのようなまともな「街」というのは少ない感じがする。
そもそも、鎌ヶ谷大仏というのは、白井街道の宿場町であった鎌ヶ谷宿の有力者が、祖先の霊を弔うために建立したのであるという。
また、昭和23年か24年に新京成線が津田沼側から鎌ヶ谷大仏まで延伸した時、新京成側はこの大仏で観光起こしをしようとしたが、見物客はあまりの小ささにがっかりしたのだという。
札幌の時計台、高知のはりまや橋に先駆ける「日本三大がっかり」はこの鎌ヶ谷にあったという事らしい。
さて、大仏を見るだけ見たので、次はプールへ行くことと致しましょう・・・