輪行袋の練習

小笠原諸島Bonin islandsは高気圧の真ん中にある。
今日一日は晴れのち曇り。
最高気温は21℃であるという。

ソファーの上で目が覚めたら5時半過ぎだった。
やはり寝冷えをしている。

それで、短い時間であるが、改めてエアベッドの上で寝ることにした。

YouTubeのライブニュースでは、熊本のコンカフェで店長が女性店員をナイフで刺したニュースなど。
「あにぱと熊本下通店」という所らしい。

さて、今日は輪行袋で自転車を運ぶための練習のために母島に行くことにしたい。
それで、7時前に出ることにする。

今日も日差しが激しい。
決死には苦労しそうだ。

果たして、二見港の母島桟橋に到着。
それなりに客がいる。

まずは乗船券を買うが、輪行袋に入れておけば、自転車は船内に無料で持って入っても構わないようだ。
乗船券は村民割引で6100円。
住所を証明する免許証は、住所の部分に「更新手続き中なので7月5日まで延長」などと書いている。
小笠原警察署とも書いていないので、住所を証明する書類としては全く不備になってしまうが、どうにか買うことができた。

そして、自転車を詰め込んで船に乗り込むことにする。
湾内には、にっぽん丸が停泊している。そういえばokeiさんのTwitterかインスタで書いてた気がする。

ほどなくして、ははじま丸は出港する。
幸い、電源の取れる席に陣取ることができた。

別の席では、おそらく3歳前後の子供が「足が痛い」と泣き叫んでいる。まさに「泣く機械」。

Twitterを見ていると、俳優の寺田農が亡くなったと言う。
寺田農といえばラピュタのムスカというイメージ。

そろそろ9時半も近づいてくると、母島の湾に入っていく。

そして、母島に到着する。巉嶼ざんしょで来る初めての母島だ。
輪行袋から巉嶼ざんしょを出して準備をする。

ところで、撮る写真が逆光が続いているので、沖港の船客待合所せんまちで一旦ダウンロードすることにしよう。

そして、都道最南端を目指すことにする。
非常に起伏の激しいルートで、一旦休まないと登りきれない坂ばかりだ。

そのかわり、一旦下り坂になると、気持ち良く下ることができる。
つまり、戻る時はこの坂を登らなければいけないのだ。
ただし、沖港は海抜がほぼ0メートルで、都道最南端はある程度の標高があるはずなので、帰りは差し引きで楽になるのではないかと思う。

中ノ平橋、万年青橋という2つの橋を越えたところに、都道最南端の終点があった。
同じははじま丸で来たと思しき高齢者のグループが記念撮影をしている。
そして、こちらも決死することに。

後は、さっさと戻るほどにしよう。
標高の低い方向に向かって走ることを、既にルートを知っていると言うことで、精神的にも楽だ。

果たして、集落に到着する。しばらくベンチのあるレストハウスで休んでいることにしよう。

そしたら、どこかの親子連れの集団がトラックに子供たちを乗せてやってきた。なかなか良い風景だ。
「太陽の色は?」「白!」なんてことを大声で叫んでいる。太陽の色は白である、それは真理だ。

そうかと思えば、高齢の観光客数名が自民党安倍派の裏金問題を批判している。

そろそろ11時40分も過ぎたので、昼食に行くことにしよう。

今回は「めぐろ」に行こうかと思う。
それで行ってみたらってない。
どうやらインスタに「ランチ」とある日しかってないようだ。
明日なら「ランチ」はってるようなのだが。

仕方がないので脇浜なぎさ公園に近い88カフェにいくことにしよう。

果たして、88カフェはっていた。
ここは、9時から夕方までっているようで、父島で言えば、ハートロックカフェのように内地のような感覚で来ることができる。
ただし、ガッツリ系には向いていないおしゃれ系のカフェである。

ここでガパオライスを食べる。
BGMは南国らしくウクレレの音色に身を委ねる。
高木ブーみたいにウクレレやってみようかな。
でも、ウクレレが引っ越しの荷物になってしまう。
小笠原では小笠原の郷土史をやっていることにしよう。特に米軍占領期。

その後、脇浜なぎさ公園に行ってみることにする。
結構本格的に整備された公園である。

見るだけ見たら、後は沖港の船客待合所せんまちに戻ることにする。
既に帰りの切符は買っているが、乗船名簿だけはもらわないといけない。

いつも鳩首会談で会う他社の人が長靴を洗っていた。
日帰り出張したらしい。

こちらは、巉嶼ざんしょを輪行袋に入れて乗る準備。
他には、中学校の女子バレーボール部が父母ちちはは戦の帰りらしい。

船には、なるべく後ろのカーペット席に陣取れるように早めに乗ることにする。
そしたら、例の中学校の女子バレー部も、隣の席に来て、寝転がり出した。なんと無防備なことよ。
後は寝転がって父島に到着するのを待つだけである。

明日は、ダークツーリズムの総集編的なことをやろうと思っているので、昭和の犯罪関係のネット記事なんかを読んでいる。

うつらうつらしたところで、船の向きが変わりだした。
いよいよ二見湾に入ったらしい。

そして、父島に到着する。これで輪行袋の練習は終了した。
16時なのだが、日差しが強い。

そしてさっさと帰宅することにする。

そして夕食はキムチ鍋。
Twitterを見ると、モスクワでコンサートホールでテロがあり、100人近く亡くなったという。
ウクライナがらみではなく、イスラム系の犯行であるという。

食後、しばし部屋の片付け。
基本的に、収納用の段ボールは頑丈な方が良いので、今後も持っているものはそのような頑丈な段ボールに入れておくことにする。

20時になったので、久しぶりにヤンキータウンに行くことにする。
ここの子は高校を卒業し、美大目指して予備校に通うという。
BGMは、1960年代から80年代のアメリカのヒット曲。
「Navy eraの頃は、レコードが送られてきたの」と聞くと、「学生の頃はグアムに買いに行ってたよ。軍隊の飛行艇は週に1回あったよ」と言う。
ということは、現在のおが丸と同じ位には、外との交通があったわけだ。

そろそろラムのキャプテンモルガンも枯渇しそうなのでもう1本入れようかな。
結局、1時間強いた程度で帰ることにする。1,250円。

そして帰宅し、5月に父上と母上が来る時のために炊飯器の運用試験をすることにする。
明日の朝に炊き上がるように炊飯器を設定する。
ちなみに炊飯器はこの社宅の部屋で代々引き継がれているものである。

そして風呂に入ることにする。
最近は社畜垢に入り浸ってることが多いが、どこの社畜も色々あるようだ。

風呂から上がったら23時30分過ぎ。

あとはもう寝ることにしよう。

今日の決死出演は5名(累計19名)。

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