東京は高気圧に覆われている。
今日1日は晴れのち曇りの模様。
最高気温は15℃であるという。
なぜか父上と一緒に何かを売り歩きプレゼンしている。
その相手先の一番偉い人は伊奈かっぺいであるが、父上は行き当たりばったりに「航空に関しては倅がやっていて」などというので、それに話を合わせて「航空を担当していまして」などとプレゼンする。
そんな夢。
目が覚めたのは母上が料理をしている音で、5時50分頃だった。
父母宅の朝は、NHKラジオのニュースで始まる。
自民党の裏金問題を報じており、安倍派は危機感を強め、若手議員も派閥の先行きに不安を覚えているという。
朝食は母上が早くも雑煮を作ってくれた。
この雑煮が好きなのを分かっていたのだ。
さあ朝食を食べたら明治神宮でにしこくん仕事でも・・・と思ったが、そういえば職場に土産を買うのを忘れていた。
むしろこちらを優先しよう。
そういえば何回か上京した事はあるが、お土産を買った事はない。
ともかくも、7時15分発の拝島線に乗れるように最寄り駅に行く。
ところが、西武新宿線が人身事故で、7時50分まで運行しないという。
そういうことであれば、バスで青梅線のどこかの駅行くしかない。
あるいは昭島駅まで歩くか…と思ったら、中神駅北口行きのバスが来た。
Twitterで西武新宿線の事故の詳細を調べると、死亡落合から中井の間の踏切で発生したようだ。
ブルーシートだのバケツだの言ってるので、たぶん死亡事故なのだろう。
中神駅に到着し青梅線に乗り換え。
青梅線は立川行きで、意外にもコーナーが取れた。
立川からは中央線で、意外にも座れた。
もうどこの会社も仕事納めしているので、誰も出勤していないのだろう。
7時51分に立川を発った中央線は8時46分に東京に到着するという。
御茶ノ水を出て、東京駅に着いたと思ったら神田だった。
神田駅は「お口クチュクチュモンダミン」の発車メロディ。
そう思って山手線のホームに行けばすぐ山手線か京浜東北線のどちらかが来るだろうと思ったら、中央線の次の電車の方が早く来た。
今はそういうものなのか。
ともかくも東京駅に到着。
東京駅の駅ナカで土産物を探す。
小岩井農場の詰め合わせがあったのでこれにしよう。
ここでもにしこくん仕事をするわけだが、このご時世は肖像権やら何やらが喧しいので、
そして山手線で浜松町へ。
しかし何だって昭和39年のオリンピックイヤーに開業した東京モノレールの始発駅は浜松町なのか。品川とかじゃだめだったんだろうか?
その辺りを調べてみると、そもそもは新橋をターミナルとして免許申請されたらしいが、用地買収ができなくて浜松町になったらしい。
それと、ほとんどの路線が海の上なのも、やはり用地買収できなかったからだという。そうだったのね・・・
ともあれ、現在では浜松町駅は空と海のターミナルとして、京浜東北線の快速も停まる駅の地位にある。
浜松町で結構時間があるので、タリーズでコーヒーでも飲みつつ日記をつける。
そして10時も過ぎたので、竹芝桟橋に行くことにしよう。
竹芝桟橋に向かう道には、スーツケースを引っ張った人たちがたくさん歩いている。
みんな小笠原で新年を迎える人たちだろうか。
竹芝桟橋は、既に乗船が始まっていたが、既に400番台の乗船も始まっていた。
窓口で乗船券に交換して、船に乗り込むことにする。
桟橋では、相変わらず感動的なお見送り風景である。
東海汽船のクルーは、おがさわら丸の赤と青のファンネルのタオルを持って見送りに来ている。
11時となり、船は出港する。
まずは後ろ向きに出港して、レインボーブリッジの前で方向転換をする。
昼食にしたいが、12時になるまでベッドで寝ていることにする。
日記をつけたり本を読んだり。
ベッドはどこも満員だ。こういうのは意外に珍しいのだ。
きっと、正月を小笠原で過ごす人たちなのだろう。
ところで、今回から使い捨てのスリッパを持ってきたのだが、なかなか快適である。
とは言え、冬以外であれば、どうせギョサンで来るので、冬限定の装備であろう。
さて、12時になったのでレストランで昼食にすることにする。29日で肉の日なのでステーキ。
1800円なので、2000円のマグロトロロ定食より安いことになる。
東京湾の中なので、船も揺れておらず電波もあるうちにデッキに上がってネットでもしていることにしよう。
デッキに出ると、コンテナ船と並走している。
なかなかフォトジェニックな風景。
テーブルのあるベンチでは、半ズボンにレギンスを履いたおばさんが、剣菱を飲みながら、スマホの「渚にまつわるエトセトラ」を大音量でかけてノリノリである。
おばさんかと思ったら、おっさんだった。
寒くなってきたので、7階のラウンジに入ることにする。
14時近くなり、房総半島も終わると、もう電波も来なくなる。
ここからは読書の時間だ。「夢声戦争日記」を読むことにする。
まだ昭和16年。
それでも、昭和16年も年の瀬になると、犬は肋骨が見えて痩せ細るし、日比谷スエヒロでもワカサギの唐揚げだの魚臭いスープしか出てこなかったりする。
以下、夢声が食べたものを列挙してみる。
・クレオソートの如きハンバーグステーキ。何かの臓物だと思われる(S17.1.3)
・日劇裏のスエヒロで烏賊のヌルヌルかき揚げ。肉なしデー(S17.1.5)
・トウランプのコーヒー。代用なれど割に美味し(S17.2.6)
こんな調子で読むが、昭和17年3月まで読んだところで、寿司でもビフテキでもrまだ食べようと思えば食べれる状況ではあったようだ。
そして資料用ブログ向けに「事件・犯罪大事典」をOCR。五十音順で「カネミ油症事件」まで。
小笠原を出るまでに全部終わるだろうか逆に言うと「枯渇しない」とも言えなくもないが。
小腹が空いたので、カロリーメイトを持って7階のラウンジに行く。
別に4階でもよかったのだが、7階にしかレモンの炭酸水が売っていないのだ。
ラウンジの向こうには島影が見えたが、あれは三宅島のようだ。
食べたカロリーメイトも、胃のほうに落ちただろうから、またベッドに戻ることにする。
ちなみに、受付では正月モードで、鏡餅が飾ってある。
この決死をするのに、ちょっとスタッフの人にどいててもらった。
それでなくとも、エレベーターには「写真撮影のときの注意」なんてのは張り紙してあって、肖像権などはうるさく言っているのだ。
撮ったはいいが、顔はボケている。
しかし、黒潮で揺れる船の上ではこれが関の山だろう。
船酔いしないうちにベッドに戻りまた読書。
徳川夢声の日記を読むが、昭和17年4月になると、島根県の現在の大田市あたりで選挙応援があったようだ。
夜行列車で出雲今市まで行って一旦泊まり、そこから翌日大田市まで行ったという。
そのような当時の旅行情勢や、大政翼賛会の非推薦候補の選挙の状況等が分かる。
ただし、非推薦候補といっても、左翼系ではなかったようで「国民儀礼」といって宮城遥拝・英霊黙祷・武運長久黙祷をセットでやっていたようだ。
また、演説としては八紘一宇について述べるなど、時勢に応じたもの。
ところが、候補者自身は「前回の選挙で落ちたから、男の意地で立候補した」だの、他の応援がチンピラのテキヤのような口調でユダヤの陰謀がどうたらと演説をしたりなど、結構フリーダムだったようだ。
また、大田市だけではなく、温泉津・江津・浜田でも演説をしたようだ。
また、当時は言ってはいけないことがあったようで、「天皇機関説に触れた」「中国戦線で戦功を挙げた連隊の名前を言った」「軍人は選挙に構わないほうがいいと言った」などという理由で、警察官に引っ張られそうになったという。
こういうのがあるので、日記というのは興味深い。
18時も過ぎたので、そばとビールにしようと思って、4階のレストランに行くと行列ができている。
これでは無理だと思って、非常食のわかめご飯などを持って3階のラウンジ「南島」に行くと、これまた席が埋まっている。
結局、セブンティーンアイスを食べた位にして、またベッドに戻る。
7階のラウンジに行く気力もなく、これは21時に夜間開放するのを待った方が良さそうだ。
腹を空かせながら「事件・犯罪大事典」のOCR作業をする。
今回は、1984年に熊本で発生した「からし蓮根食中毒事件」まで完了する。
当分、枯渇の心配はなさそうだ。
OCR作業に疲れたので、今度は「福島県犯罪史」を読む。昭和20年代の第4巻である。
これも、おがさわら丸で何往復かする間に半分以上読んでしまった。
そうしているとアナウンスがかかる。
4階のレストランの営業時間は21時30分までであると言う。
ということは、一般開放は22時位だろうか。夕食を食べるには遅すぎる時間ではないか。
さすがに22時過ぎに「夕食」でもないので、もう食べてしまうことにしよう。
4階レストランは行列は全くなかった。
ここで800円のかき揚げそばと、600円のレモンサワーを頼む。
かき揚げにはエビが入っていた。あまり好きではない。
と、21時ちょうど何と電波が2本立った。
今ぐらいが八丈島か青ヶ島を通過している頃なのだろうか。
そして、21時半に追い出されるまでの間、レモンサワーを飲みながら「福島県犯罪史」なんて読んでいる。
到底、正気の沙汰ではない。
そしてベッドに戻り引き続き読んでいる。
そのまま寝入ってしまった。
今日の決死出演は4名(累計36名)。