口之三島収鋲 〜事実上ビザの必要な国内旅行〜

台風14号はすっかり両側に前線を伸ばして、温帯低気圧化している。
その前線のしっぽは、大隅諸島までかかろうとしている。
また、三島村の波の高さは3メートル位になっている。

6時前に目が覚める。
なんといっても、気になるのは今日の三島村へのフェリーが出港するかどうかと言うことである。

恐る恐る三島村のホームページのフェリー運行状況を見てみる。
そうすると、「9時半に予定通り運航」と書いてある。
やった!

後はもう準備するだけである。
しかし、撤収する時と言うのはなんだかわびしいものがある。

それはともかく、さっさと朝食にしてしまおう。
と言うことで、奄美の鶏飯で朝食。

そしてまた部屋に戻って一休み。

テレビのBBCワールドを見ていると、コメンテーターが「エリザベス女王は神の僕となった」なんて言ってる。
日本でも、死んだときの戒名は「仏様の弟子になる」と言う意味があると言うが、そのあたりの概念は西洋でも変わりは無いようだ。

さて、8時近くなったので行動開始することにしよう。

外は、すっかり台風一過の青空である。
高見馬場通りは、市電もバスも正常に動いている。

まずは、その中心街を突っ切って三島村役場に行ってみる。
有名な事実として、三島村役場は三島村の中にはなく、鹿児島市内にある。

とは言っても、別に三島村役場に何の用があるわけでもないので、撮影したくらいにしてさっさと港に行くことにしたい。

鹿児島の桜島がよく見えるところにある介護施設には「人生100年時代!我が足できばって歩きもっそ」と書いてある。なるほど鹿児島ではこんな感じで言うのか。

そして、南桟橋にはすでに三島村行きのフェリーが荷物を積み始めていた。

こちらも、客船ターミナルで、乗船手続きをする。
まずは、これまで計った体温や、ワクチンの3回目の証明書や、PCR検査の証明書を提出する。
もはやこれは、三島村に渡るビザではないか。

ともかくも、硫黄島までは3800円。
船のチケットは、硬券であった。
そこに「出納」のハンコが押してある。
なるほど、これが村営フェリーと言うやつか。

ところで、船が出ると決まったのであれば、飛行機も予約することにする。
そしたら、既に席は2つ埋まっており、最後の1人となることができた。
危ないところだった。
ともかくも予約は成立したが、体重を聞かれて恥ずかしい思いをした。
なるほど、小型機は体重がかなりものを言う。

ここから、船に乗ることにする。
9時30分、船は定刻に鹿児島を出帆した。

自分は、カーペット席に陣取る。
いたるところにコンセントが置いてあり、サービスの良さを感じる。

テレビでは、ダルビッシュが投げている。
現在、ダルビッシュはシカゴカブスにいるらしい。
今日の相手は、シンシナティレッズである。

ところで、体全体が心なしかしびれるような気がする。
これは外科的なものか、はたまた内科的なものか、何やら気になる。

デッキに出てみると、右後ろには開聞岳が見える。そして左手には大隅半島が見える。
台風の後とは言え、全然うねりはない。

ところで、デッキと同じフロアにカーペット客室があることがわかった。
自分は、階段を登らない所の客室に陣取っていたが、「敬老室」とあるのが気になっていた。
階段を上るとは知らなかった。
船の中と言うのは、本当にやることがない。

…が、직맹関係で1点提出してほしいものがあると言うのでそれを提出する。
その仕事は、その一瞬で済んでしまった。
本当は、その他にもいろいろやらなければならないことがいろいろありはするのだが。

暇を持て余していると、12時半に竹島という島に到着する。
竹島なんて言うと「日本固有の領土」なんて言ってみたくもあるが、ここは本当に竹がたくさん自生しており、タケノコが名産であると言う。

さて、12時半を回ったと言うのであれば、こちらも腹ごしらえをしたい。
竹島での客扱いで、ロビーに係員がいたので聞いてみると、上のフロアにカップラーメンの自動販売機があるのでそこでお湯を入れればいいと言う。
やっぱり客扱いのメインは上の階だったのか。

そして、カップラーメンの自動販売機でお湯を入れて非常食のチキンライスを食べる。
後はもう寝ていよう。

そして、13時も回り、今度は硫黄島に到着しようとする。
硫黄島は、断崖絶壁の島だ。

そう思ったら、港の周囲には、ちょっとした平地が広がっており、集落がある。
この硫黄島は、三島村の中では最も人口が多く、120人程度いるのだと言う。

港に近づくと、ぽんぽこぽんぽこと太鼓の音が聞こえる。
これは、西アフリカの伝統楽器である「ジャンベ」と言う楽器らしい。
このように、船が近づくたびに演奏しているのだろうか。
そういえば、船に掲示されている掲示板には、三島村のどこだか小学校の校長のメッセージで、「ジャンべも頑張らないと上手くなりませんが、その先には感動があります」といったようなことを書いていた。

ところで、あまりに日差しが激しいので、なかなか決死がうまくいかない。

それはともかく、硫黄島に到着した。
ぽんぽこぽんぽこのジャンベ部隊も撤収しようとしている。
いずれ、これをもって鹿児島県鹿児島郡三島村は収鋲としたい。(収鋲率:鹿児島県34.9%、全国53.3%)

光線状態が悪い中、決死を続けていると、中年女性が「今日お宿を予約されていた方でしょうか」と言う。
おっと、お迎えが来ていたようだ。

早速、軽自動車で民宿に連れて行ってもらう。
とは言っても、ものの500メートル程度の距離である。

民宿は、まるで一般家屋のような部屋であった。

旅装を解いたら、早速硫黄島の集落を歩いてみることにしたい。
この民宿の周りには、警察の駐在所や郵便局がある。ちょっとした官庁街と言っていいだろう。
ただし、郵便局にはATMがない。

集落の港に近いほうに、商店があった。
入ってみると、正直、青ヶ島の店よりも品揃えがはるかに少ない。
これで、どんな感じで生活しているのだろうかと思ってしまう。特に野菜など。

そう思ったら、宿のおばさんと店の中でばったり会った。
「何を買いにきたの」
「ちょっと小腹を満たそうと思って」
もう島で会う人はみんな顔見知りなので、話しかける感覚も大体こんな感じなのだろう。

宿に戻ろうと思ったら、同じ時に宿に来た人とばったり会った。
やっぱり話しかけられてしまった。
「温泉に行かないんですか?」
確かに、4キロ程度歩けば温泉のある場所と言う事は知っているのだが、それだけの体力もない。

「明日飛行機に乗ろうと思うんですが」
「飛行機?」
「そうです。薩摩硫黄島飛行場には珍しい飛行機が飛んでるんです。それが自分の旅のメインです」
その人は、びっくりしたような不思議そうな顔をしていた。
なるほど、世間の人から見れば収鋲者なんてこんなもんである。

さて、宿には戻ったものの、特にやることもない。
これで、決死メンバー全員消尽したので、今日の5人を洗いに出すことにする。いわゆる「宿洗い」。

직맹がらみで、来月の会議の予定を入れることにした。
結局、それは10月18日と言うことになった。
カウンターパートの人も、まさか鹿児島の絶海の孤島から電話をかけているとは思うまい。

とりあえず、引き続き回顧録でもつけていることにしよう。
昨日の時点で、少なくとも1月に1記事はつけたので、後はそこに肉付けしていくだけ。
2012年の後半あたりをやっている。

そのうちに、夕飯ができたと言う。
温泉に行ったと言うもう1人のお客さんと一緒に食べることになる。

そのお客さんは、全国の温泉をめぐっているのだと言う。
そして、この硫黄島の東温泉に来るために、3年待ったのだと言う。
3年待つような温泉であれば、明日は朝風呂でもしようか。

また、民宿のおばちゃんは飛行機についても言及し「とってもスリルがあるよ。ここで何機も落ちてるよ。1番機も落ちたよ」などと恐ろしいことを言う。

さて、部屋に戻って再び回顧録をつけることにする。
結局、132記事まで書いた。

もうこれ以上は書けなさそう。
そう言う時は寝るに限る。

さて、午後に洗いに出したメンもそろそろ乾いているだろう。
イロハシャッフルをすることにしよう。

と言うことで、明日以降はこの陣容で決死していくことになる。

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