【義手と義足の昭和史】義足のロックスター(S34.6.23)

欠損バーも今月からは土曜日だけの開催で予約制という「落ち着くべき所に落ち着いた」形となった。
次回は8月20日のもみじちゃんであり、もみじちゃんといえば乃木推しである。

その乃木坂の新曲は「好きというのはロックだぜ!」という。

日本のロックは、進駐軍によってもたらされたという。
そしてこれが本格的になっていったのは昭和30年代に入ってからで、昭和33年には「ロカビリー3人男」がデビュー、同年に「日劇ウェスタンカーニバル」が始まる。

そんな時期の中で昭和34年、「Be-Bop-A-Lula」等で一世を風靡したロックスターのジーン・ビンセントが来日したのである。

これは昭和34年6月23日の毎日新聞で報じられている。

6月21日に羽田空港に降り立ったジーン・ビンセントは、翌22日にお濠端の東京會舘で歓迎レセプションを開かれる。

そこで驚かれたのは、彼お左足が義足だったということである。
このことは、招待した東宝芸能も知らなかったのだという。
なんでも、3年前(昭和31年)にバイクの事故で切断したのだという。

しかし「普通の人のようにステージで跳ね回ることができる」ということだった。

この点に関しては、Wikipedia日本語版「ジーン・ヴィンセント」では別のことが書いてある。

いわく、

1955年7月、入隊中にオートバイ事故を起こし左足に大怪我を負うが、本人は左足の切断を拒否し、生涯にわたり足に障害を持つ事となる。

そうすると、記事中の「義足」云々は何だったのだろう?

ともあれ、同じ紙面ではハリウッド女優のクレア・ケリーが紹介されていたり、この年の皇太子殿下(現:昭仁上皇)の御成婚を「皇太子のロマンス」としてブロードウェイミュージカルに翻案するなどのことも紹介されていた。
ただし、この皇太子のロマンスがブロードウェイで実際に上演されたかどうかは定かではない。

さて、昭和34年にこのレセプションイベントが行われた東京會舘に行ってみようか。

ということで、出勤途中に行ってみる事にする。

場所はお堀端。GHQの隣に現在でもある。
ただし、GHQとは違って現在では建て替わっている。

朝の眩しい光で光線状態がよろしくなかったが、どうにか江戸城の石垣の影で日陰になることができた。

さあ、溜まってる仕事もあるので出勤しましょ。

そんな今日の水曜仕事
今回の決死出演は1名(累計32名)。


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