昭和26年の北海道、倍返しは命で

最近半沢直樹がえらい勢いで流行ってるみたいで・・・
そんなに面白いだろうか? 会社の中の争いみたいなのが。

だって実際に「倍返しだ!」とか息巻いてる社員がいたら、そんなのトラブルメーカーでしかないだろ?

・・・というわけでまあ、半沢直樹シリーズは一切見ていていない。

今回触れる事件は、昭和26年に北海道で発生した「倍返し」案件である。

その第一報は昭和26年7月13日の室蘭民報である。

「北海道の湘南」と呼ばれる胆振管内西部の伊達にある高橋農場で、農場長夫妻が惨殺されたというのである。

それを見つけたのは牧場の使用人の女性である。
朝、女性が使用人宅へ行ってみると使用人が夫婦ともども刃物で殺されているではないか!

事件は直ちに当時の伊達町警察署に届けられた。
初動捜査の結果、犯人はふろ場から侵入したようであるという。

農場長をするくらいなので、おそらく他の家より金は持っているだろう。
この時点で、怨恨なのかはたまた強盗な記事の分量は少ない。
分かっていることがこれだけしかなかったのだ。

翌7月14日の室蘭民報では、もう少し詳細に報じられている。

というか・・・
あまりに詳細すぎませんか?

何と、包丁を刺されて殺されている妻がそのまま新聞に掲載されているのである。
拙ブログで紹介した限りでも、以下の事件で死体画像があるにはあるのだが・・・

・昭和26年 栃木県小山町の女性殺害(下野新聞)
・昭和31年 松島パークホテル殺人事件(河北新報)

たしか桜木町事件(昭和26年)でも死体画像をそのまま掲載して大騒ぎになったというし、その3年前の帝銀事件は言わずもがな。

ともあれ、この事件の話に戻ると、のどに包丁が刺さっているだけでなく、脳天には五寸釘が刺さっていたというのである。

また、この時点で分かったのは盗まれたものが無かったということ。
つまり強盗説はここで消え、怨恨説のみが残ることとなった。

また、犯人は2人組ではないかという見立てがなされた。

そして被害者は子供のいない夫婦であったが「温厚な人格者で恨みを買うことはない」ということだった。

しかし、この事件に関してはそれっきり、犯人像は杳としてつかめなかった。
しかし、報道されていないところで、捜査は着々と進められていたようである。

それは事件発生から1か月が経過した昭和26年8月12日の室蘭民報で報じられることになった。

「怨恨」という線から、内部犯行が疑われていたようである。
それは、52歳になるこの農場の牧夫に疑いの目が向けられた。

この記事中、「国警札幌方面隊由布警部補」という名前が出ているが、この人は後年、「捜査実話シリーズ北海道編『知床秘話』」(はなぶっくす 1980)を著した由布満氏その人である。

同書によれば、この間の捜査は難航を極めたのだという。

7月14日の室蘭民報では「温厚な人格者」ということだったが、実際は全然そんなことはなかったのだという。
性格は陰湿をきわめ、立場を悪用して使用人をいろいろと苛め抜いていたようである。

それだけのことを聞き出すだけでも、牧場町であった被害者と集落内で対等の立場で話すことができる中学校の校長が家族にも内緒で、裏口で話したのだという。

夫婦ともども死んだ後で、いったい何を恐れていたのか・・・
閉鎖的な田舎というのは恐ろしい。

そして、その農夫の実名が出るのは8月19日の室蘭民報である。
この時点で、本人は容疑を否認していたという。
ただ、物的証拠は続々と挙がってきていた。

そもそも、この農夫は道北は士別の方の剣淵で農業を営んでいたのだという。
それが昭和19年12月、洞爺湖温泉に湯治に来ていた時に被害者夫婦と出会い、高橋農場で人を求めているというので、農場主任として伊達に職を得ることになった。将来的には土地を分けてもらって独立してもいいという。
それで昭和20年3月に剣淵から伊達に一家挙げて引っ越してきたという。

しかし分けてもらえるはずの土地は室蘭の日鉄に貸渡しており、土地を譲ってもらう話はどこへやら。
それで深い恨みを持つようになったのだ、と記事には書かれている。

ただ「北海道警察史」では、少しニュアンスが違ってくる。

(犯人)は上川地方で約十町歩の田畑を耕作し、部落区長や農事実行組合長なども勤めていた。昭和十六年一月、農閑期を利用して登別温泉第一滝本館に神経痛の湯治に来ていたところ、同じく遊びに来ていた(被害者夫)と知り合ったのである。そして森竹から高橋農場の営農主任にならないかと誘われたのであった。
(被害者夫)は前年道庁技師を辞めて管理人となったが、農場経営の経験も相談相手もなく困っていた。営農に実力のある者を物色していたとき、たまたま温泉で知り合った(犯人)の実直さに目をつけたのである。地位は営農主任、月給六十円、農家一戸無償貸与、耕地五町歩貸与を条件に「伊達は気候がよく神経痛の人にはしのぎやすい処だから」と毎日執拗な誘いを続けた。
そして家族の同意を得た(犯人)は、親の代から四十有余年の土地・家屋等を整理し、四月ころ伊達に引越して来た。営農主任としての(犯人)は、今までの経験を生かして一心に働いた。荒れていた農場は見違えるように改良され、食糧増産の時代的要請に応えて成績も上がり、平和な四年余の歳月が流れた。
昭和二十年八月、わが国は敗戦という有史以来の最大悲運に遭遇し、日本の歴史を大きく変えてしまった。高橋農場も農地改革でそれまでの小作が自作農となった。しかし(犯人)にとってはそれが敗戦以上のショックとなったのである。管理人(被害者夫)の前に呼ばれた(犯人)は「農場も農地改革で縮小され今後は牧場として牧畜に力を入れることになったので、営農主任が必要なくなった。また君の農地を返してもらい、君には牧場の雑役夫として働いてもらうが、それが嫌ならなるべく仕事を探して早く牧場から出て行ってもらいたい」と宣告されたのである。
それから(被害者夫)の(犯人)に対する追い出し工作が続けられた。(犯人)を中傷する流言を広めたり、匿名の投書をしたり。しかし(犯人)は田畑・家屋を売り払ってしまった今となっては、郷里上川に帰ることができず、他に行くあてもないため、せめて子供が一人前になるまではと忍従の日が続いた。
二十六年四月、伊達町議会議員選挙があり、初出場の(被害者夫)は高位で当選した。同月二十四日(被害者夫)宅で当選祝賀会が催され、牧場使用人や元小作人が多数集まった。その席上、(被害者夫)は聞くに耐えない言葉で(犯人)を罵倒したのである。必要なときは甘言をもって誇い、そして酷使し、自分の意に添わぬと口実を設けて弊履のごとく捨てようとする(被害者夫)のやり方に対し、(犯人)の憤りは頂点に達した。そして「殺してやる」という感情に変わっていつたのである。

これは・・・よくないでしょ。
この「必要なときは甘言をもって誇い、そして酷使し、自分の意に添わぬと口実を設けて弊履のごとく捨てようとする」というのが全てではないだろうか。

まあこれは・・・殺されても仕方なくないですか・・・?

そんなこんなで、容疑者が完全にオチたのは8月24日の室蘭民報で報じられた。

資料によって多少の齟齬はあるが、いずれにしても「待遇への不満」であることには変わりなかった。
土地を取られる、農場主任から牧夫に格下げ・・・

閉ざされた環境で、なおかつ上下関係のある立場。
恨みを晴らす・・・それこそ「倍返し」のためには、このような凄惨な手段を取るしかなかったのだろうか。

また、後年「五寸釘事件」と呼ばれることになった件の五寸釘(記事中では四寸釘)に関しては、この伊達の地を亘理藩が開拓した時からの言い伝えとして「犯罪を犯した場合、人頭に四寸釘を一本打ち込めばこの犯人は誰にも捉えられず永久に捕らえられない」と言われていたのだという。

第一審はこの年の12月10日、札幌地方裁判所で開廷された。
結局は無期懲役の判決が下され、控訴せずに服罪したのだという。

そんな今回のダークツーリズムの始まりは、被害者が犯人を執拗にスカウトしたという登別温泉の第一滝本館から始まる。

本来、第一滝本館は19,600円からということであったが、Go Toキャンペーンで35%引きなのと、じゃらんポイントで3,000円ぐらいあったのとで何と9千いくらで泊まることができた。

ここの大浴場で新米の農場経営者は、神経痛で湯治に来たという士別の農民を懸命にスカウトしたのだろう。
後に殺人事件の被害者と加害者という関係になることも知らずに。

大浴場への長い通路には、昭和期の第一滝本館の写真を並べている。
というか規模が大きすぎて、寝室から風呂に行くだけでも一大事、バイキングに行くだけでも一大事である。
決死モデル:チームPみく電磁戦隊メガレンジャー出身)

ただやっぱり温泉旅館はいいね。
命の洗濯ができた。

さて、お旅立ちは登別温泉バスターミナルからである。
北海道のバス会社は独自に待合室のあるターミナルを構えていることが多い。
今回の旅行にしても江差バスターミナル然り、広尾バスターミナル然り、根室駅前ターミナル然りである。

道南バスでも、東室蘭駅近くの東町と、洞爺湖温泉と登別温泉にターミナルを構えている。
昭和40年代感のある、なかなか味のあるターミナルである。
決死モデル:チームPさくら轟轟戦隊ボウケンジャー出身)

温泉帰りの時間だけに、頻繁にバスが出る。
登別駅前行きをやり過ごして、室蘭港フェリーターミナル行きに乗ることにする。
もう室蘭まで乗り換えなしで行けた方が楽だ。

そして旧室蘭駅である室蘭観光協会前へ・・・ と思ったが、室蘭まで来たのであれば、室蘭市青少年科学館に寄りたい。
昭和38年オープンのこの青少年科学館、昭和38年に「最新鋭」だったと思われるものがそのまま残っているような佇まいである。
市役所前で降りて一度行ってみよう・・・

と思ったら今日は休みだという。
この連休でフル営業した分、この3日間は3連休するらしい。
そしてまた、今年いっぱいで閉館するのだという。
これは、もう1度室蘭に来なければいけないということになる。

さて、ここから旧室蘭駅に歩くことにする。
洞爺湖温泉行きのバスは11:37に発車するが、到着は12:35で昼食時である。
しかし、現場付近つまり稀府には食べるところもセイコマも無い。
そうなると室蘭で食料を買っておくしかないということになる。
決死モデル:トルソーさんラ・バルバ・デ仮面ライダークウガ出身)

さて、今度は洞爺湖温泉行きに乗りましょう・・・
今日はこの時点で行程の全てがバスである。

道南バスの時刻表によれば、このバスは国道37号線沿いの南稀府のほかに、伊達緑丘高校前にも停まるということだった。

その南稀府が近づく。
あれ?伊達緑丘高校前はどうやって停まる?
さっき白鳥台を経由したように、伊達緑丘高校を経由する?

結局そんなことはなく、南稀府の次は国道を直進し、稀府学校前だった。
重い荷物をもって国道を逆に歩く。
時刻表をちゃんと見なかったせいでとんだ無駄足だった。

ともかくも現場はどこなんだろう?
先述の「由布本」によれば、

夫婦が殺されているという農場管理人の家は、伊達町饗察署から東に約一0キロ離れた伊達町字黄金という所で、伊達から室蘭に通ずる国道三七号綿と併行して走る国鉄室蘭線の稀布駅から、北に向かって爪先上がりの丘陵地帯を約一キロ入る。
稀布駅から農場の事務所までは幅員四メートルの町村道が真直ぐついており、農場事務所より約一00メートル手前を道路の東側に一0メートル入り込んで、東向に建っている約八0平方メートルの木造平家が被害者の居宅で一戸建ち、その付近には人家はない。
家の裏側すなわち道路側は落葉松とポプラ並木でこれにはパラ線が張ってある。

・・・これを信じると、今で言えば伊達緑丘高校の少し先、ということになる。
一帯は、普通に民家が立っており、いろいろ差しさわりがあると思うので背景をぼかした画像で勘弁してもらうことにする。
決死モデル:チームYジャスミン特捜戦隊デカレンジャー出身)

さて、ではこの伊達緑丘高校の前を通るバスはいつ来るというのか・・・?
と思ったら、ちょうど今来るという。

稀府駅に歩いて行くより、さっさとこのバスで伊達紋別の駅に行きますかね・・・

伊達紋別の駅でしばし待ち、長万部行きに乗ることにする。
キハ150の単行である。

いかにもな同業者が乗っている。
たぶん、この中のかなりの数が小幌で降りるのだろう。
みんなだいたいやることは同じである。

長いトンネルを抜け、15時11分に小幌に到着すると案の定であった。
ここから15時42分の東室蘭行きまでが撮影タイムである。
決死モデル:チームPペギー秘密戦隊ゴレンジャー出身)

両方がトンネルであり、「ゴーッ」という音が聞こえてくると列車が近づいたことになる。
駅にいる全員がカメラを構える。
結局、貨物列車2本、特急2本を撮ることができた。

これでもう旅程は終了。
あとは新千歳空港に行くだけ・・・

 

 

 

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