街には正義があふれている。
飲食業なんかは「必要欠くべからざるもの」として一応営業自粛の対象にはなっていないのだが、それでも「自粛警察」が嫌がらせに来るのだという。
かりそめにも正義のつもりでやっていることであってみれば、名前を隠す、あまつさえ定規で筆跡をごまかすなどという犯罪者の自覚ありありの行為をする必要などあるだろうか。
さて今日は出勤日なので、重い足を引きずって街に繰り出すしかない。
ということでラッシュ時の松戸へ。
(決死モデル:チームP桃園)
言っときますがこれラッシュ時ですので。
結局、いつもの松戸始発の電車は労せずしてコーナーをゲットできた。
何なら次の金町からも座ることができた。
そして久しぶりに出社したが、結構やることが多い。
資料をイントラサーバから共有領域にダウンロードするだけで大仕事だった。
そしてルーチンもたまっているので、GWの分までこなすことに。
これで結局、定時を結構すぎてしまった。
出社した以上は、周辺のどこかでにしこくん撮りをしたいのである。
そうやって地点数を稼ぎたいという肚がこっちにはある。
春分の日を過ぎて、日が長くなっているとはいえ、刻一刻と夕暮れに近づいている。
さて、会社の近くのどこで撮ろうか。何がある?
最悪、駅という選択肢も無くはないがそれは最後の選択肢にしたい。
ということで、Googleマップを探してみる。
日本橋の方に一石橋という橋が架かっており、その袂に「迷い子の標」というのがあるのだという。
一体どんなのだろうか。
行ってみると、橋に比べてかなり小さかった。
Wikipediaによれば、
江戸期〜明治期にかけて付近はかなりの繁華街であり、迷い子が多く出た。当時は迷い子は地元が責任を持って保護するという決まりがあり、地元西河岸町の人々によって1857年(安政4年)2月に「満よひ子の志るべ(迷い子のしるべ)」が南詰に建てられた。
しるべの右側には「志(知)らする方」、左側には「たづぬる方」と彫られて、上部に窪みがある。使用法は左側の窪みに迷子や尋ね人の特徴を書いた紙を貼り、それを見た通行人の中で心当たりがある場合は、その旨を書いた紙を窪みに貼って迷子、尋ね人を知らせたという。このほか浅草寺境内や湯島天神境内(奇縁氷人石)、両国橋橋詰など往来の多い場所に数多く設置された。
1942年(昭和17年)9月に東京都指定旧跡に指定され、1983年(昭和58年)5月6日に種別変更され東京都指定有形文化財(歴史資料)に指定されている。
・・・ということなのだという。
へぇ~ いろいろあんのね。
兎も角もこうやって開拓していくしかない。
ギネスブックに載るためには。