昭和史マニアのルーチンワークとして何気なくWikipediaの「1959年」の項を見ていたらこんな記事が目に入った。
ああ、サリドマイドってもう60年が経つのか。
基本的に、サリドマイドは「睡眠薬」として後年に亘って認知されており、こちらの方は前年の1958年1月20日にやはり大日本製薬により「イソミン」として発売されている。
早速、昭和33年(1958年)7月16日の読売新聞には、「常習性のない新しい催眠剤 イソミン錠」として広告が打たれている。
催眠薬の常習性は、21世紀の今に至ってもなお解決されていないようで、2017年にも以下のような記事が医師により掲載されている。
ところで、この紙面から「昭和33年」という時代相を読み出してみると、記事の上の方でイラク政変について触れられているが、この2日前、イラクでは「7月14日革命」が発生し、ハーシム王政が打倒され、共和政が樹立された。
日本では、原油の輸入について懸念がなされていた。
また、イソミン錠の広告の下には日立トランジスタラジオの広告が出ている。
ハンディサイズの6石トランジスタラジオでお値段9,800円。
「年次統計.com」によれば、昭和33年のサラリーマンの月給は16,608円であったという。
してみれば、今の価値でいえば20万円近い価値のあるラジオだったということになるだろう。
いわんやテレビにおいてをや。
次に、「プロバンM」が発売された直後の昭和34年8月30日、つまり今日からちょうど60年前の記事を見てみたい。
広告欄には「ロシュのサリドン」という薬の広告が出ているが、これはスイスに本社のあるF. Hoffmann-La Rocheの日本法人である日本ロシュ(大正13年創立)が、昭和7年に「フジサワサリドン」として発売したものであり、サリドマイドとは関係のないもので、現在でも鎮痛薬として中外製薬から発売されている。
時代相としては、この面のトップに内山書店の店主が再び上海で暮らす旨の記事が掲載されている。
現在でも中国関係の書籍では有名な神保町の内山書店であるが、そもそもは上海で書店を展開していたものである。
時に、中国は大躍進政策の真っただ中であり、科学的知見に基づかない出鱈目な農業政策で、何万という餓死者を出していた。
この時期、その失政を彭徳懐が毛沢東をいさめていたが、このために彭徳懐は失脚し、後の文化大革命で悲惨な最期を遂げることになる。
では、その昭和34年8月に発売された「プロバンM」とはどのような胃腸薬であったか。
その広告が昭和36年5月20日の読売新聞の広告欄にあった。
曰く「頭を使う人の胃の薬」。
詳細を見ると「プロバンM錠はふつうの胃のくすりと違って頭と胃の療法の神経にはたらき胃潰瘍・十二指腸潰瘍・胃酸過多・胃炎を原因から治します」。
現在では、薬の広告では「治します」と断定することはできないはずである。
このあたりは、ちょうどこの昭和36年に「医薬品等適正広告基準」として制定されたばかりの頃だったようである。
ともかくも、サリドマイドの危険性は日本では話題にはなっていないようであった。
ただし、奇形児は各所で生まれており、研究員を西ドイツに派遣するなど、密かに動きはあったようである。
当時であれば羽田空港から南回りのルフトハンザ機で研究者が往復したであろうか。
サリドマイドの危険性が西ドイツで「レンツ警告」により報告されるのは、この半年後の11月となる。
このちょうど1年後の昭和37年5月29日、「イソミン」「プロバンM」の発売元である大日本製薬は「謹告」を出す。
曰く、
- イソミンと同じ成分の睡眠薬をドイツで妊娠初期の女性が飲んだら奇形児が生まれる恐れがあるとの発表があった。弊社でも調査したが科学的根拠が見当たらなかった。
- 日本ではこのような(奇形児の)報告はなく、動物実験でも異常はなかった。
- しかし、世間を騒がせているのは確かなので、無用の混乱は招きたくないので、弊社の良心に基づき積極的販売は差し控え、出荷を一時停止する。
- この問題はそもそも妊娠初期の女性が服用した時に発生したもの。その他の人の服用に全く問題はない。
- だから妊娠初期の女性は服用しないほうがいいですよ。
何とも誠意に欠ける「謹告」である。それも「弊社の良心に基づき」と良い人アピールまでしてきやがった。
昭和37年当時、インターネットがあったら確実に大炎上していただろう。
ちなみに、自分が某地方都市で新入社員だった頃に、下心満々で入った障害者スキークラブでは、やはりサリドマイド児の人がいた(つまり年代的には10歳以上年上)。
その人は、被害の賠償も兼ね大日本製薬に採用されて働いていたのだという。(どんな仕事をしたかまでは聞かなかった)
そして60年の歳月が経ち、あの頃アラフォーだった人たちも、今や定年するかどうかという頃合いになってしまった。
思うところあってブログにひと記事したためようと思った矢先にこんなツイートがあった。
絶縁した知人のメソッドは現在でも自らの漫画技法の基礎になっている、というツイートである。
これには続きがあり、10年以上経って何事もなかったように電話があったのだという。相変わらずのエキセントリックな行動力を感じたものの、電話番号はどこで・・・?
聞いてみると、実家で母親に聞いたのだという。
何とも距離感皆無な知人であることよ。
おそらくは、もともと何らかの学習障害か知的障害を抱えていたのではないだろうか。
やっぱりね・・・ 行動力や熱意が高く、今に至るも自分自身の基礎となるメソッドを確立してくれたという恩はあっても、人間的に合わないと結局は付き合ってもお互いの迷惑になるしかない。
一方的に向こうが悪いわけではなく、こちらだって色々問題はあったのだ。
挨拶を送ればおそらくは、何事もなかったように返事を返してくれるだろう。
そして鬱陶しいほどの付き合いがまた始まるだろう。
その中には役に立つ何かがあるかもしれない。
しかし自分は臨界点に達しまたキレる。
そしてまた断交。
こういうことを繰り返すのも迷惑というものであろう。
やっぱりかかわらないほうがお互いのためなのだ。
そんなことを考えていた矢先、いみじくもこんなニュースが・・・
いや、まあそれは・・・
ここは北清掃工場の余熱で運営している温水プールであり、前にも何回か来ている。
ここは25mプールだけではなく、円周状の流水プールもあり、子供達も楽しめるようにできている。
色々用事があって遅い時間になったので、おそらくは30分入れればいい方だろう。
そんなこんなでウォーキング。
ところで、この北区元気ぷらざ、施設改修のため9月から来年4月いっぱいまで休館するのだという。
(決死モデル:チームTエリー)
そして雨の中を赤羽駅まで歩く。
心のバリアって色んな所にありますよね、っていう・・・
ところで、サリドマイド60年でもないが、赤いちゃんちゃんこの意味というのは、複数のサイトを総合したところでは以下の通りなのだという。
- 赤は魔除けで産着の色にも使われていた。
- 「還暦」というのは「生まれ直し」という意味合いから同じ赤が使われた。
- 数え年を使っていた当時、年取りは正月だったので冬であり、そのために防寒着であるちゃんちゃんこが使われた。
- 現在では赤いものであれば何でもいいようで、通販では赤いネクタイや靴下も贈られる。
なら赤い車椅子とビキニにするか、っていう(笑
それはともかく、この赤羽のどこで夕食にするか、ということである。
今や赤羽もラーメンの激戦区なのだそうな。