日本一の私道

今日は宇部興産専用道路のツアーへ行くことにする。
ここはツアーでないと行くことができない。

そのツアーは9時に山口宇部空港に集合なので、8:41に宇部新川を発車する宇部線があるがどうも心もとない。

大事を取って1つ前の列車・・・ と思ったら、それは7:45だという。
朝のラッシュ時でもそんなものか。
でもまあそれしかないなら仕方ない。余った時間は宇部空港の中でも見てるか・・・

と思って起きてみたら何と7時過ぎ。
完全に起床事故である。

朝食バイキングをとるべきか・・・
というか、駅前ではないここのホテルにしたのは朝食がバイキングだからである。
そうなれば必ずや食べないといけない。たとえ10分程度であろうとも。

ところで、宇部新川発まであと何分許されているか。
スマホで確認すると7:45の新山口行きの次に、8:22の宇部岬行があるではないか。
これがあるならこれに乗ろう。
「宇部空港前」草江には行かないが、宇部岬なら歩けないこともない。

ところで、バイキングのご飯はうまく炊けていないうらみがあった。

ということで宇部新川。
工業都市らしい武骨な駅舎で、窓は鉄サッシとなっている。
決死モデル:チームYジャスミン

改札口と1番ホームの間に噴水があるという国鉄ばなれした構造となっており、3〜4番線への跨線橋はホームに垂直に階段が取り付けられているのもまた国鉄ばなれしている。

そして宇部(山陽本線の)から来る宇部岬行きは105系の2両編成で、高校生で満員だった。
確かに今は通学時刻。どうやら通学列車のようだった。

ただし次の琴芝で半分ぐらいが大挙して降り、その次の東新川でほとんどが降りてしまい、宇部岬へはほとんど空の車内となってしまった。

そして宇部岬に到着。
宇部岬は対向式ホームであるが、駅舎とは反対側のホームに到着し、そしてそのまま下関行きとなって折り返す。
決死モデル:チームRスマレ

どうせ宇部新川方面に行くのであれば、駅舎に近い側のホームに到着しても良かったのではないか?
この辺りのカラクリはどうなっているのだろう。

尤も、跨線橋を渡ったからこそこのアングルで撮ることができた、ということも言えるのだが。

さて、宇部岬から宇部空港まで、歩けないこともないようだ。
googleマップで見る限りでは「空港通り」を歩いていけばいいらしい。
この斜めの広い通りが「空港通り」なのか?

しばらく歩くが、どうも空港らしきものが見えない。
改めてスマホで確認してみると、どうやら道を90度間違えてしまったようである。
急いで細い道を歩き、どうにか宇部空港が見えてくる。

そして宇部空港に着くと、「マカさんですか?」と名指しれてしまった。
どうやら自分が一番最後だったらしい。
決死モデル:トルソーさんナイ

今回のツアーの募集は船鉄ツアーで行っており、バスも船鉄となる。
座席は指定となっていたが、自分の隣の人はキャンセルしたのだという。
それで自分は2席占有することができた。

客層としては、老夫婦が多く、「〜ちょる」「〜じゃろ」と山口弁が飛び交っているので、地元参加が多いのだろう。

程なくして、宇部興産に40年以上奉職していたという人の説明があったが、県外からの客はいつも1/3程度だという。
また、戊辰戦争であるとか山口県人の先進性であるとかの話になった。

最初の観光地は秋芳洞となる。
一応、産業見学ツアーとは言えど、まともな観光地も入れてアピールはした方がいいということなのだろう。
決死モデル:チームPペギー

ただ、エレベーターが故障しているとかで予定とは違って下の方の入口から途中までの単純往復となる。

洞窟としてはかなり大きく、かがまないと通れないとかそのような場所はなかった。
それでも「千町田」とか、どうやってこんな地形ができるのかと興味深い所もあった。

ということで産業観光の前座としての秋芳洞は終わり。

ここで昼になったので、軒をつらねる店々の一つで昼食。
山口の名物の一つに「ごぼうそば」というのがあるらしい。
ただ、今回は中高年が対象のツアーのためか、量は多くなかった。
ちなみに、このツアーの参加最年少は34歳なのだという。

早く食べ終えたので、1階の土産物店を見てみる。
山口といえば安倍首相の地元。
佐波川サービスエリアで見たような「晋ちゃんちくわ」はないのだろうか。
無いということはここは反日土産物店か?
それとも野党がしっかりしていないからなのか?

さて午後からはいよいよ本来の産業観光となる。
最初は美祢市内にある宇部興産伊佐鉱山からとなる。

参加者の1人1人にヘルメットが手渡される。
工場の中はヘルメットの着用が義務付けられる。
決死モデル:チームTフジアキ

工場の中を通過するがここは撮影禁止。
工場を抜け、小高い丘に上がると石灰石鉱山が一望できる場所に来る。
撫順の石炭のような露天掘り鉱山で、アリ地獄のような広い穴が広がっており、そこを巨大なダンプカーが登ってくる。

ちなみに、見学者用のヘルメットは紙でできており、使い捨てすることができる。

そしてこの敷地内を出る全ての車が洗車することになるので、このバスも洗車することになる。
とりあえずは足回りだけ。
決死モデル:チームY宇崎

・・・と、前をダブルストレーラーが通過するではないか!
今こそシャッターチャンス!
と思ったらヘルメットの上で足場が悪すぎるためか宇崎を落としてしまい、シャッターチャンスを逃してしまった。

日頃の行いが悪いのか・・・

さて、それはともかくこれから宇部興産専用道路となる。

さて、バスは順調に専用道路え入っていく。

今回のツアーは指定席なので、こちらで言ってもどうにもならないが、この興産専用道路は右側の席の方が楽しかったであろう。
右側なら対向車線をダブルストラックがどんどん通過していく。

かたや左側はといえば大して変わった標識があるわけでもない。

ところで、解説するおじいさんは戊辰戦争の話を盛んにする。
「江戸城は無血開城をして…」

個人的に、当方は朝敵で賊軍の地の出身(福島ではない)なので意味深な笑いを向けると、
「まあ、少しは血が流れたんでしょうけど…」

車窓には、中国地方特有の赤瓦の農家が点在している。

さて、専用道をしばらく走ると一般道に下りる。
「楠こもれびの郷l」という道の駅みたいな所で小休止となる。
決死モデル:チームP桃園

ここは「万倉」という集落にあるらしい。

え? 万倉・・・?
昭和36年に廃止になった船木鉄道の終点・・・?

ちょっとトイレなんか行ってる暇はない。
その万倉の終点を探すことにしたい。

ところが、廃止から既に58年が経過しているだけあって、駅の跡など見つけようもない。
それでも、幹線道路上に「万倉」というバス停があり、宇部や船木町から来る方向に待合室がある。

ちょうど、その船木鉄道の後裔である真っ赤なバスが通過していった。

そしてなおも専用道路を南下すると、市街地らしきものが見えてくる。
いよいよ宇部市内に入ることになる。
高規格の道路が2つ並走して走ることになる。

その前に、整備工場に寄ってあのダブルストレーラーを見学する。

トレーラーは元々オーストラリア製を買っていたということであるが、そういえばオーストラリアって労働者の環境を徹底して守ってたら自動車産業が壊滅したとかそういうニュースなかったっけ?
あ、そうそう。このニュース。

日本も、外国人研修生を酷使して国内の1次産業や2次産業の露命を守るのでなく、徹底して労働者を守って「撃チテシ止マン」をすればいいのである。

それはともかく、宇部興産の広報社員おねいさんが質問に答えてくれる。
せっかくだからこちらも質問してみようか。

「ダブルストレーラーなんて日本でここでしかやってないマニアックな業務なのに直営にしないで2社にアウトソーシングしてるんですか?」
「それは・・・ ちょっと聞いてきます」
「あ、いや、別にいいですよ」
「いえいえ、聞いてきますので」
結局答えはもらえなかった。
松岡茉優を面長にしたような広報社員おねいさん

そして次のクライマックス・興産大橋へと向かう。
巨大なトラス橋・興産大橋は「日本一の私道橋」であり、貨物線の通過のために水面上6mが確保されなければならず、真ん中が高く急こう配であることも知られている。
決死モデル:チームR園田

ダブルストレーラーの整備場からは、広大な石炭置き場を通って橋に入ることになる。

ダブルストレーラーもこの橋を通るのかと思うような物凄い急こう配であり、もしこんな所で止まらされて再発進などと言うことになったらどうなるのだろうと思わされるような急こう配である。

しかし車窓の左手からは、工場を一望のもとに見渡すことができる。

そして工場の構内を通り、宇部興産の宇部本社へ。

最初は全員が部屋に集められて、宇部興産の会社の説明を受ける。
宇部興産は財閥系ではなく、地元の名士が石炭に目を付けて興した会社なのだという。
そして現在は多角的なメーカーとして世界に多くの拠点をもってどうたらこうたら・・・ という内容。

その部屋の後ろには、宇部市内の小学生の社会科見学のお礼が所狭しと貼ってあった。

そしてその説明が終わると、ショーウィンドウで産品の説明である。

セメントや合成ゴムのみならず、窒素肥料にも関係しているというが、この窒素肥料の商品名のセンスは凄い。
曰く「ピカイチ302」「米育一発462号」・・・

さて、これでいよいよツアーは終わりである。
宇部空港で解散し、最も近い草江駅へ行くことにする。
決死モデル:チームPさくら

考えてみれば、訪問した駅数を多く稼ぐという意味では、朝は宇部岬駅で良かったのかもしれない。
程なくして新山口行きが来る。105系の2両編成だった。

そして新山口からは「のぞみ」で岡山を目指すことにするが、小郡改め新山口というのは、屋内の待合室も無くなり(自由通路となり)、やたら味気ない駅になってしまった。
山口という県庁所在地や、宇部という主要都市の玄関口なのに。
というか、譚に乗り換えだけにorientedした駅なので、駅そのものの設備はそれほど力を入れなくてもいいということだろうか・・・?

果たして「のぞみ」の中の人となる。

そして岡山に到着。

時あたかも大阪ではG20サミットの最中。
大阪でやるG20のために、岡山駅までこうしてゴミ箱をふさがないといけないのだろうか・・・?
決死モデル:チームWBラジエッタ

ところで腹が減ったので飯を食うことにしたい。
しかし適当な店がない・・・

結局、石焼炒飯の店で食べることにした。
前は広島ラーメンの店なんてのがあり、広島市西区福島町限定の「ホルモン天ぷら」まで食べることができたのだが。

そしてブログを付けたくらいにして22:34のサンライズのお出ましを待つ。

そしていよいよサンライズの登場。
出雲始発は少し遅れるのだという。

連結部分の7号車と8号車の間には、老若男女の人だかりができる。
やはり連結シーンはいつでも人気だ。

その中で、良い撮影スポットを見つけた。
階段の上からであれば、真横から、そして上から撮ることができる。
これはなかなかの良いスポット・・・

さて、14号車に乗り込んで一路東京へ向かう。

 

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